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中国リポート

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 先月のことになるが、中国のスポーツブランド『李寧』のスポーツ系ポータルサイト「網易体育頻道」で、「我的超級女友 ~My Super Girlfriend」というコンテストが開催されていた。
 コンテストといっても、イングランド・プレミアリーグ(サッカー)、アメリカ・NBA(バスケットボール)、超級リーグ(サッカー・卓球)などの選手たちの夫人やガールフレンドの中から、美人でセクシーな60人を『独断で』選出。そしてスポーツ選手のガールフレンド地球No.1を決めるという、なんともブロークンな企画だ。

 60人の内訳としては、ロナウド(現ACミラン/サッカー)の元妻やガールフレンドが5人も選ばれているほか、王励勤と噂になっている女優のヴィッキー・チャオ(趙薇)も選ばれている。この60人を毎日2人ずつ対戦させ、ネット投票で票数の多かったほうが次に進むという“PK”方式で選抜が行われた。

 この「我的超級女友」で決勝に残ったのは、孔令輝のガールフレンドで女優の馬蘇(マァ・ス)と、プレミアリーグ・チェルシーのJ.コールと噂になったグラビアモデル、キーリー・ハゼル。どちらも日本での知名度はほとんどゼロか。かなりの異種格闘技戦となったこの決勝戦、馬蘇の清楚なルックスがキーリーのダイナマイト・セクシーをわずかに上回り、僅差で馬蘇がNo.1に決定した。
 馬蘇は孔令輝より6歳年下の26歳で、正統派の美人女優。とにかくルックスは抜群だ。孔令輝と同じ黒龍江省・ハルピン市の出身で、孔令輝とは2002年、劉国梁の誕生日パーティで出会ったのだとか。劉国梁がふたりのキューピッドになったわけだ。

 現国家女子チームコーチの孔令輝は「北京五輪が終わるまで結婚はしない」と公言しているが、昨年10月には親友の劉国梁も国家ジュニアチームのチームメイトだった王瑾と結婚式を挙げている。黒龍江の生んだビッグカップルは、五輪後に盛大な結婚式を行うことになるかもしれない。

Photo上:今から6年前、2001年のインタビューでの孔令輝。
Photo下:そして現在、ちょっと丸くなった孔令輝。

  ワールドチームカップでは、1点の失点も許さずに完璧な優勝を飾った中国女子。ゲームオールにもつれた試合は数試合あったものの、敗れる気配はまったく感じられない。
 エントリーした4人は、世界ランキングの1~4位を占める張怡寧・郭躍・王楠・李暁霞。もうすぐ29歳になる王楠、大会期間中に26歳の誕生日を迎えた張怡寧、ともに19歳の郭躍・李暁霞と、中国女子チームにしては珍しく年齢の幅が広い。王楠・張怡寧の経験と円熟、郭躍・李暁霞の若さと爆発力、まさに史上最強メンバーのように思えてくる。

中国リポート2007/07/02「フォルクスワーゲンオープン中国大会が閉幕」でも述べたが、女子チームの強みはなんといっても、張怡寧/王楠と郭躍/李暁霞という超・強力なツインダブルスがいる点だ。そのため、張怡寧と郭躍は確定といわれる五輪代表の3番手に、王楠を起用しても、李暁霞を起用しても、ダブルスの心配はしなくても済む。
 ザグレブ大会以降の王楠と李暁霞の成績を比較すると、フォルクスワーゲンオープン荻村杯、女子ワールドカップを制した王楠に対し、李暁霞はフォルクスワーゲンオープン中国大会で金沢咲希(日本生命)に敗れるなど、やや精彩を欠いている。若い選手を積極的に起用する中国とはいえ、球史に残る女王・王楠の引退の花道として、北京五輪はこの上ない最高の舞台になるはず。現時点では、王楠が李暁霞をややリードしていると見ていいだろう。
 世界ランク5位の郭炎はディフェンディングチャンピオンでありながらワールドカップの代表から外され、今回のワールドチームカップにも帯同しなかった。プロツアーでも優勝に恵まれておらず、五輪代表になる可能性はかなり低そうだ。

 大きなプレッシャーがかかる北京五輪でも、その絶対的な優位は揺るぎそうにない中国チーム。中国では誰もが「卓球は金メダルを獲って当然だ」と考えている。
 しかし、コーチにとっても選手にとっても「義務づけられた勝利」ほど、苦しいものはあるまい。勝利の輝きはまるで「引き分け」と同じくらいにまで薄められ、歓喜は安堵へと変わり、敗北の衝撃は計り知れないものとなる。
 もし中国が金メダルを逃すような事態になるとしたら、敗因の半分は相手選手の実力、残りの半分はプレッシャーによる自滅、ということになるだろう。

Photo上/中:ザグレブ大会で決勝を戦った張怡寧/王楠と郭躍/李暁霞。この時は張怡寧/王楠が勝ったが、最近の対戦成績は郭躍/李暁霞がややリードしているか
Photo下:ワールドカップで4回目の優勝を飾った王楠。北京五輪出場へのプレッシャーの中、表彰台でも笑顔は見られなかった

 10月7日、ドイツ・マグデブルクで開催されていたワールドチームカップ(WTC)は、戦前の予想どおり、男女とも中国の圧勝で幕を閉じた。
 1チームにつき4名までしかエントリーできないワールドチームカップ。中国が五輪の前哨戦のひとつと位置づけたこの大会、エントリーした4人の中から1人が脱落し、残る3人が北京五輪代表に確定するという見方が、中国のマスコミでも一般的になっている。

 男子でエントリーしたのは王励勤・王皓・馬琳・陳杞の4人。「それなら世界ランク1~3位の王励勤・王皓・馬琳で決まり」と思っているファンの方も多いだろう。しかし、北京五輪で採用される4単1複の試合形式では、勝利するためにダブルスが非常に重要なポイントになる。そして、国家男子チームの劉国梁監督は異様なまでの慎重さで、ダブルスのペアリングをテストし続けている。

 今回のワールドチームカップの中国香港戦・2番で、王励勤が梁柱恩に敗れたように、北京五輪でもいずれかの試合で、中国が1点落とす可能性はあるだろう。そこに3番ダブルスでの敗戦が加わったらどうなるか? 中国は一気に、敗戦の崖っぷちに立たされることになる。
 たとえばドイツと対戦した場合、エースのボルを2点起用してくるより、ボルを単複で起用し、ボル/ズースの強力なダブルスを組まれるほうが中国にとってはイヤかもしれない。もし前半でボルに単複2点を取られたら、4・5番でオフチャロフ、ズースといった格下の選手が相手でも、どんな番狂わせが起こるか分からない。歴史的な地元開催のオリンピック、熱狂的な観客の声援、プレッシャーは想像を絶するものだろう。

 そういったダブルスの重要性を踏まえると、やはりダブルスのスペシャリスト・陳杞の存在感も無視できないものがある。五輪・世界選手権で優勝した馬琳とのペアリングはもちろん、今シーズンは王励勤や王皓と組んでもプロツアーで優勝している。ワールドチームカップではロシア戦でクズミンに勝った1試合しか出場しなかったが、この陳杞が3番手の座を獲得する可能性もゼロではない。

 中国にとって、金メダルが至上命題である北京五輪。敗北の可能性は徹底的に排除しなければならない。世界ランク1~3位の選手を素直に選べない理由も、まさにそこにあるのだ。

Illust左上:北京五輪の団体戦の試合形式(クリックすると拡大)。1・2番が終わったあと、両チームの監督がダブルスのオーダーを交換。自動的に4・5番のシングルスのオーダーも決定する。
Photo中:5月のザグレブ大会で優勝した馬琳/陳杞
Photo下:6月のフォルクスワーゲンオープン荻村杯は、王励勤/陳杞が優勝。試合中は陳杞が、先輩の王励勤にも積極的にアドバイスしていた

3.世界ランク486位にCHEN Longcanが登場?

 毎月のように新しい選手が登場してくる世界ランキング。そこで、10月発表の世界ランキングを隅々まで見渡してみると、486位にとんでもない選手がランクインしている。CHEN Longcan。この選手が誰だか、お分かりだろうか?

 このCHEN Longcanこそ、1985年世界選手権準優勝、88年ソウル五輪ダブルス金メダリストの陳龍燦(チェン・ロンツァン)その人なのだ。天才肌の右ペン表ソフト速攻型で、多彩な台上プレーとドライブ・スマッシュの速攻連打で一時代を築いた。90年に国家チームを引退したあと、日本リーグの和歌山銀行、日産自動車でも活躍していたので、日本の卓球ファンにも馴染みがある。
 陳龍燦は現在42歳、四川省チームの総監督を務めているが、昨日お伝えした成応華同様、7月のUSオープンに「腕試し」で参戦。日産自動車を離れてから7年間、練習らしい練習をしていなかったにも関わらず、アメリカ、カナダなどの代表選手をなぎ倒したが、準々決勝で倉嶋洋介選手(協和発酵)に3-4で敗れた。USオープンは今年はITTFプロツアーの中に組み込まれておらず、大会としてのランクも低いため、486位というランキングになってしまったようだ。

 中国国内でもほとんど話題になっていない、元五輪金メダリストの極秘参戦。観客たちは思わぬ大物選手の登場に喜んだようだ。来年もまた、アメリカの卓球ファンの前に元気な姿を見せてくれるかもしれない。

Photo:ITTFの世界ランキングでは、所属する協会がなぜかUSAになっている陳龍燦。ITTFは陳龍燦だと認識しているのだろうか?

2.老兵は死なず。…本当に死なず?!

 今回の世界ランキングには、7月にアメリカで行われたUSオープンの結果が加算されている。なぜか2カ月のタイムラグがあるのだが、そのUSオープンでの成績により、5カ月ぶりに世界ランキングに返り咲いたのが187位の成応華(チェン・インホア/アメリカ)。
 成応華は1958年、四川省卓球チームの成立と時を同じくして四川省重慶市に生まれ、75年に四川省チーム、77年に国家チーム入り。右シェークドライブ型で、表ソフト速攻型全盛の男子チームにあって、当時最大のライバルだったハンガリーのクランパの仮想選手(コピー選手)として長くプレーした。そのため中国代表として世界選手権に出場することはなかったが、全中国運動会では同じ四川省出身の陳龍燦と組んでダブルスで優勝している。

 88年にアメリカ代表チームのトレーナーとして渡米し、92年に国家チームのコーチだった黄統生とともに、ワシントンで卓球クラブを開設。現在では会員数200名を超える、アメリカでも最大級の卓球クラブに成長した。プレーヤーとしては、95年世界選手権にアメリカ代表として初出場を果たし、同年にアトランタで行われたワールドチームカップでは、「アメリカ卓球史に残る快挙」と言われたアメリカ男子チームの3位入賞に貢献。2000年シドニー五輪にも単複で出場している。

 今後、USオープン以外の国際大会には出場しないだろうし、USオープンへの出場も今回が最後かもしれない成応華。それでも、しばらくはワールドランキングにその名を残すだろう。49歳の「海外老兵」の卓球に懸ける情熱は、いまだに冷めることを知らないようだ。

Photo:モノクロ&古い写真で失礼! 95年ワールドチームカップでの成応華のプレー

 10月2日、国際卓球連盟(ITTF)から最新の世界ランキング(WR)が発表された。今回の世界ランキングは、中国的視点(?)から見るとなかなか興味深いものになっている。いくつかのトピックスをご紹介しよう。

1.グッバイ「卓球王子」。孔令輝の名前がランキングから消滅

 前回のランキングで24位だった孔令輝が、ついに世界ランキングから姿を消した。
 昨年10月に全中国選手権で敗れた後、引退を表明し、現在は国家女子1軍チームで郭躍、劉詩ブンらの指導に当たっているが、世界ランキングからその名前がなくなるというのは、やはり寂しいものがある。

 6歳で卓球を始め、父親である孔祥智コーチのもと、早くからその才能を開花させた孔令輝。中国男子の低迷期に彗星のように現れ、1994年のアジア選手権で18歳にして優勝。翌95年の世界選手権では初出場初優勝を飾り、中国の男子選手として、初のシェーク攻撃型の世界チャンピオンとなった。
 その後も、96年アトランタ五輪ダブルス優勝、97・99・05年世界選手権ダブルス優勝、2000年シドニー五輪金メダルなど、中国卓球史上に残る輝かしい成功を収めてきた。その人気は中国の卓球選手の中でも群を抜いており、端正なルックスから「ピン壇王子(卓球界の王子)」と呼ばれ、写真集も発売されるほどの人気を誇った。

 出場した最後の国際大会は、昨年9月に横浜で行われたフォルクスワーゲンオープン荻村杯だった。今後はコーチとしての手腕に期待したい。

Photo上:流れるようなオールラウンドプレーで観る者を魅了した
Photo下:5月のザグレブ大会での孔令輝は、ちょっと太り気味。劉国梁の二の舞にならないといいのだが…
 女子ワールドカップ最終日の準決勝終了後に、ITTF(国際卓球連盟)主催のファッションコンテストの入賞作品によるファッションショーが行われた女子ワールドカップ。世界各国のメーカーやデザイナーによる、新しい卓球ウェアが次々と披露された。今年1月の全日本選手権で、斬新なウェアで話題となった四元奈生美選手デザインのウェアも出品されている。

 最終的にはメーカーからの出品が多くなったとはいえ、世界中のデザイナーやアパレル関係から広くデザインを募ったという点では、画期的な試みとなった今回のデザインコンテスト。
 中には「これを着て本当に卓球できるの?」「このデザインはちょっと…」というものもあるが、改革というのはなかなかスムーズにはいかないものだ。新しいムーブメントが起こりつつあるのは、卓球界にとっては歓迎すべきことだろう。

 その女子ワールドカップ、ファッションショーの模様を、少しだけ…紹介。詳しくは10月22日発売の卓球王国12月号をチェック! カラーページでド~ンと迫ります。

Photo上:モデルさんはスタイル抜群。これが卓球ウェアと呼べるかどうかはともかく、かなり着る人間を選びそうなウェアだ
Photo下:中国卓球チームのウェアのオフィシャルサプライヤーである「李寧」の出品作。
 中国からの帰化選手が多数出場していた女子ワールドカップ。ちょうど良い機会なので、通常カタカナで表記されている選手たちの中国語表記を紹介。ちょっとした豆知識にどうぞ…。
※漢字表記後の()内は出身地

[男子]
ガオ・ニン(シンガポール)    →高 寧(河北省)
リン・ジュ(ドミニカ共和国)   →林 聚(福建省)
ヤン・ツー(シンガポール)    →楊 子(北京市)
リュウ・ソン(アルゼンチン)   →劉 松(広西壮族自治区)
ヤン・ミン(イタリア)      →楊 敏(上海市)
[女子]
リ・ジャウェイ(シンガポール)  →李 佳薇(北京市)
リュウ・ジャ(オーストリア)   →劉 佳(北京市)
リー・ジャオ(オランダ)     →李 佼(山東省)
スン・ベイベイ(シンガポール)  →孫 beibei(2文字とも草冠+倍/山東省)
ウー・ジャドゥオ(ドイツ)    →呉 佳多(浙江省)
ション・イェンフェイ(スペイン) →沈 燕飛(山東省 ※生まれは河北省)
タン・ウェンリン(イタリア)   →譚 文玲(遼寧省)
リー・チェン(ポーランド)    →李 倩(河北省)
ウー・シュエ(ドミニカ共和国)  →呉 雪(北京市)

 中国からの帰化選手の表記というのは、意外に難しい問題になる。
 上記の選手たちはカタカナで表記しているが、たとえば同じシンガポールでも、日本でもおなじみの王越古などは「ワン・ユエグ」よりも、「王越古」と表記したほうがしっくりくるし、実際にそう表記されている。高軍(アメリカ)も同様だ。また、中国香港の選手の場合も、現在は帖雅娜、李静など漢字で表記する場合が多いが、オールドファンには懐かしいチャン・タンルイ(陳丹蕾)やチャイ・ポーワ(斉宝華)はカタカナ表記だった。
 結局は帰化する前にどれだけ実績があるか、名前が浸透しているかが表記のポイントになる。世界選手権ザグレブ大会でベスト8に入った王晨などは、中国代表としても実績があるのだが、王晨かワン・チェンか微妙なライン上にいる選手だ。

 04年アテネ五輪女子シングルス1回戦で福原愛選手と対戦し、日本でもカルト的な(?)人気を博したミャオ・ミャオ(オーストラリア)は…、なんと名字も苗、名前も苗で「苗苗」。日本にも結婚して「恵恵(めぐみ・めぐみ)」さんになってしまった人は本当にいるそうだが、卓球のコーチである彼女の父親は、どうしてこんな名前をつけたのだろうか…。

Photo:バックはツブ高のブツ切りカット、フォアはパワードライブという戦型の先駆けだったリュウ・ソン。05年世界上海大会ではクレアンガをあと一歩まで追いつめた
Photo:同じく攻撃力のあるカットマンのリン・ジュ
Photo:名前は苗苗(なえなえ)でも、一部のファンは萌え萌えだったミャオ・ミャオ
 昨日9月30日、四川省成都で閉幕した女子ワールドカップ。
 デザインコンテストで選ばれたウェアを身にまとったモデルたちのファッションショー、過去最高額の優勝賞金など、試合以外の部分でも大いに注目を集めた大会となった。その模様は本誌12月号でも詳しく紹介するが、ここでは参加した選手たちの顔ぶれに注目してみたい。
 ワールドカップは五輪チャンピオン、世界チャンピオンに6大陸の代表6人、世界ランキングによる選出6人、そしてITTF推薦の2人を加えた計16人で優勝を争う。今大会はなんとITTF推薦以外の14人の選手のうち、13人を中国および中国からの帰化選手が占めた。そして、出場した13人の中国選手を出身地別に分けてみると、ひとつの特徴が浮かび上がってくる。

[遼寧省]王楠/郭躍/王越古(シンガポール)
[北京市]張怡寧/リ・ジャウェイ(シンガポール)/リュウ・ジャ(オーストリア)/ウー・シュエ(ドミニカ共和国)/王晨(アメリカ)
[天津市]ミャオ・ミャオ(オーストラリア)
[山東省]姜華君(中国香港)/リー・ジャオ(オランダ)
[河南省]帖雅娜(中国香港)
[湖北省]ヤン・フェン(コンゴ民主共和国)

 手元に中国の地図があったら眺めていただきたいが、ほとんどの選手が中国の北部、東部の出身だ。かつて多くの世界チャンピオンを輩出した上海市、李菊・楊影・孫晋らを生んだ江蘇省にかつての面影はなく、四川省、広東省、福建省なども元気がない。中国の卓球界は、女子に関しては完全に北高南低の状態だ。今回出場しなかった前回チャンピオンの郭炎は北京市、世界ランク5位の李暁霞は遼寧省の出身で、遼寧省と北京市が人材の供給地になっている。

 張怡寧、リ・ジャウェイ、リュウ・ジャ、ウー・シュエは北京市チームのチームメイト。台湾の人気アイドルグループF4になぞらえて「北京卓球界のF4」と呼ばれている。張怡寧の存在が、他の3選手に海外への移住を決意させたということだろうか。
 しかし、16人中13人というのは、いくら中国の卓球ファンといえども興味が削がれるだろう。残念ながらヨーロッパには中国に対抗しうる国は存在しない。やはりアジアの日本・韓国が奮起するほかはないのか…。

Photo:北京市から海外へ移住した3人の選手、上からリ・ジャウェイ、リュウ・ジャ、ウー・シュエ。左ペンドライブ型のウー・シュエは07年ラテンアメリカ選手権優勝


 昨日27日まで、大阪・大阪府立体育会館で開催された第16回東アジアこてんこホープス選手権国際招待大会。東アジアの7つの国と地域から、将来性豊かなホープス以下の選手たちが顔を揃えた。中国は男女団体とも決勝はストレート勝ちで優勝。男女シングルスも決勝は中国勢の同士討ちとなるなど、例年以上の強さを見せて4種目すべてを制した。

 中国はこれまでの15回の大会のうち、男子シングルスで10回、女子シングルスで12回優勝。過去のチャンピオンの中には、のちに中国代表として活躍した選手も数多くいる。
 1992年に開催された第1回大会、男子シングルス決勝で対戦したのは、01年世界選手権団体優勝メンバーの劉国正と、のちに日本の高岡龍谷高に留学した馮殿宇(現:田阪卓研)。2-1で馮殿宇が勝利し、初代チャンピオンに輝いている。
 93年の第2回大会、男子シングルス優勝は現在クロアチア代表として活躍している譚瑞午。女子で優勝したのは中国から出場していた柳絮飛(現:中国香港)。02年アジア選手権優勝の牛剣鋒が3位に入った。
 その他にも、白楊(第5回大会/03・05年世界混合複2位)、郭躍(第8回大会/07年世界選手権優勝)、馬龍(第9回大会/07年アジア選手権2位)などが過去の大会で優勝している。また、中国選手ではないが、94年の第3回大会で柳承敏(04年アテネ五輪金メダリスト/韓国)が優勝していることも付け加えておきたい。

 しかし、この東アジアホープスで最もインパクトのある活躍を見せたのは、現在超級リーグでも活躍している劉詩ブン(雨+文)だろう。01年の第10回大会に初参加した時はまだ10歳、身長は122cmしかなかったが、準決勝で福原愛(当時ミキハウスJSC)をゲームオール19点(当時は21点制)で破り、決勝では丁寧(現:北京首創)に12、8のストレートで完勝して優勝。翌年の大会でも堂々の戦いぶりで優勝を飾り、男女を通じて唯一の2連覇を達成している。

 東アジアこてんこホープス大会の報道は、卓球王国12月号に掲載。今大会で上位に進出した選手が、世界選手権の表彰台に立つことになるかもしれない。今からチェックしておいて損はなさそうだ。

Photo上:2001年の第10回大会で初優勝した劉詩ブン
Photo中:今よりさらにボーイッシュな丁寧、第10回大会決勝では劉詩ブンに完敗
Photo下:第10回大会準決勝、劉詩ブンと激戦を展開した福原愛