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中国リポート

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Lesson.2 超級リーグの歴史を知る

1995 「全国クラブ大会」創設
   ・12チームが広東省順徳市に集結。人材の育成と市場化の推進が目的
1997 初めての海外選手が登場
   ・天津三星チームに助っ人として李恩実(韓国)が加入。
1998 「中国卓球クラブ甲級リーグ」を開始
   ・ホーム&アウェー方式が採用される
1999 「中国卓球クラブ超級リーグ」に昇級
   ・トップ選手の入札制度が始まり、選手の移籍が増加
2001 海外から参戦する外国籍選手が増加
   ・柳承敏(韓国)、蒋澎龍(チャイニーズ・タイペイ)など
2002 中国香港籍の選手が多数加入
2007 海外選手のスポット参戦を制限
   ・登録選手に全試合へのベンチ入りを義務づけた

〔Column-コラム〕 海外選手を締め出した超級リーグ

 超級リーグに初めて参戦した外国籍選手は、上の年表のとおり1997年に天津三星のメンバーとなった李恩実(韓国)。これまでにボル(ドイツ)、サムソノフ(ベラルーシ)、シュラガー(オーストリア)、柳承敏(韓国)、荘智淵(チャイニーズ・タイペイ)、リ・ジャウェイ(シンガポール)など、世界のトップ選手が参戦してきた。ボルvs.馬琳、柳承敏vs.王励勤など、卓球ファンには夢の好カードが観られるわけだ。日本からもこれまでに小西杏、松下浩二、四元奈生美、そして福原愛などが参戦している。
 これらの選手は中国語で「外援(ワイユェン)」と呼ばれている。いわゆる「助っ人外国人」で、その多くは1シーズンに数試合のスポット参戦だった。しかし、2007年のシーズン、中国卓球協会は超級リーグの規定として、出場選手に全試合へのベンチ入りを義務づけた。これは実質的な海外選手の締め出しで、実際に今シーズン、海外選手の参戦は男女ともひとりもいない(中国香港の選手は多数在籍)。来年の北京五輪に向けて、ライバル選手に手の内は見せられないということだろうが、国内でも批判の声が多いようだ。7月2日付の人民日報にも『胸懐(度量)』と題して、「卓球大国ならば広い心を持つべき」という内容の記事が掲載されている。

 かつて90年代前半、中国男子が史上最低の成績に低迷していた時、中国卓球協会は孔令輝らをブンデスリーガやスウェーデンリーグに送り込んで鍛え、95年の世界選手権天津大会で王座に返り咲いた。そういった経緯を考えてみても、今回の海外選手の締め出しには疑問が残る。中国の卓球ファンも、がっかりしているのではないだろうか。
※超級リーグを2倍楽しく観る方法は Lesson.4まで続きます!

Photo上:第1回全国クラブ大会優勝・河南東方制薬のエース・トウ亜萍
Photo下:海外選手第1号、04年アテネ五輪複準優勝の李恩実