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「できればすべてのボールをフォアハンドで打ちたい」と水谷は語る

今夏、水谷隼のDVD『水谷は無駄な練習をやらない』の編集作業に携わった。日本男子卓球界を牽引し続ける水谷に、普段やっている練習を再現してもらい、その目的やポイントを自ら解説してもらう企画だ。

水谷はこれまで、全日本選手権で12回連続決勝に進み、9回優勝している。これは途方もない記録である。卓球は相性があるスポーツなので、苦手のタイプがある選手はトーナメントを勝ち進めない。かといってどんなタイプにも対応できる万能型選手は、爆発力がないため絶好調の選手に押し切られる。だから安定して勝つことは極めて困難だ。実際、水谷と決勝を戦った相手のうち、複数回戦った相手は、吉田海偉(元全日本チャンピオン)の3回と張一博(元世界代表)の2回のみで、残りの7人はすべて違う選手だ。その7人のうち4人は、決勝戦以外ではベスト4にすら入っていない(張本智和は若いから当然だが)。水谷がいかに比類のない存在かわかるだろう。

水谷という選手は、強いだけではなく、プレースタイルにおいても日本の卓球史において画期的な存在である。それまでの日本選手にはいなかった、バックハンドを自在に使えるようになった世代の代表格なのだ。そのためもあってか、私にとって水谷の卓球は、安定したバックハンド技術を基盤として、うまく相手の強打を受け止めながらラリーを続けて得点にもっていくという、どちらかといえばラリー志向のイメージが強かった。当然、普段からそういう練習を多くしているのだろうと想像していた。
ところが、届いた映像は意外なものだった。練習の多くが、フォアハンドで強引とも言える攻撃をする内容で占められていたのだ。

水谷の練習は、大きく3つに分けられる。相手にコースを打ち分けてもらって動くことをメインにする「フットワーク練習」、実戦と同じサービスから特定のパターンを練習する「システム練習」、そして野球のノックのように沢山のボールを次々と送ってもらって打つ「多球練習」だ。
まず意外だったのは、水谷は、練習時間のおよそ半分を「フットワーク練習」にあてているということだ。そして「フットワーク練習」のうち、半分以上の練習がバックハンドを使う場面がまったくない、いわゆる「オールフォア」で攻撃する練習だった。バックハンドを使う練習においても、その使用頻度は3分の1程度しかなかった。
大雑把に見積ると水谷は、練習時間の半分を費やす「フットワーク練習」の8割以上も、フォアハンドだけで攻撃するという肉体を酷使する練習をしているのだ。
「自分はバックハンドが得意ではないので、できればすべてのボールをフォアハンドで打ちたい」と水谷は語る。

水谷の卓球がラリー志向に見えるのは錯覚であり、
実際には荒々しいまでの攻撃卓球なのだ

あまりにも試合のイメージと違うため、にわかには信じられなかったが、あらためて実戦映像を見て納得した。
今回のDVDでは、紹介する練習内容に対応した実戦映像を挿入している。たとえば「相手のフォア側に短いサービスを出して、短くレシーブされたボールを狙い打つ」という練習があるとすると、水谷の実際の試合でその展開になっている映像を入れるという具合だ。当然、水谷が得点した場面だけを選んで使うわけだが、水谷が得点する場面は、フォアハンドでの攻撃によるものが予想よりもはるかに多かったのだ。確かに柔らかいタッチでバックハンドも使って相手の攻撃をかわす場面もある。そういうラリーは、えてして長いラリーになるので印象に強く残るが、実はそういうラリーでの水谷の得点は決して多くはない。水谷の卓球がラリー志向に見えるのは錯覚であり、実際には荒々しいまでの攻撃卓球なのだ。
しかし、そうした力業の攻撃は、攻撃自体の技術だけでは成立しない。その前の段階で相手の回転やコースを読んでチャンスを作る頭脳戦、心理戦がカギとなる。

水谷はこの能力が飛び抜けている。実際、リオ五輪で銅メダルを決めたサムソノフ(ベラルーシ)との対戦映像を分析すると、水谷はサムソノフのサービスがラケットに当たって最初にコートに弾む前にボールの長さを判断して動作を始めていることがわかる。これは、世界のトップ選手の中でも異常な速さだ。この判断の速さがあるために、その後の攻撃の成功率が増す。

水谷がその能力を磨いていると考えられる練習が、練習時間の約3割を費やすという「システム練習」だ。通常、「システム練習」というのは、特定のパターンを繰り返して質を高めるものなので、コースや回転を限定して行うのものである。だからこそ「システム練習」と言うのだ。
ところが、水谷の「システム練習」は、その概念からかなり逸脱するものだった。限定するのはサービスとレシーブだけであり、その後はすぐにフリーになり、ほとんど実戦と同じになる。レシーブから即フリーになる練習さえある。そして、フリーになるのは必ず相手が先だ。

意識による体の制御が間に合わない場合も実戦ではある。
それを補うのが「多球練習」

「重要なのはとにかく集中すること。相手のラケットの角度や姿勢、そして心理を読んで一瞬でも早く判断し、動けるようにする」と水谷は語る。

全神経を相手の動作に集中し、人間の反応時間の限界で、場合によっては予測によってそれを上回る反応時間でボールの回転やコースを判断する能力を水谷はこの練習で磨いているのだ。だからこの練習は「頭がとても疲れる」ため、そう長くはできないのだろう。もちろん集中せずに長くやることは可能だが、それでは意味がない。水谷は無駄な練習はしない。

しかし、現実問題、人間の集中力には限界があるし、意識による体の制御が間に合わない場合も実戦ではある。それを補うのが「多球練習」だと水谷は語る。ラリー中に劣勢に立たされ、意識では間に合わないような速いボールに対して、無意識で体が反応するよう、ボールを出すピッチ(間隔)を上げて、反応の限界を広げるのが目的だという。延々と繰り返されるハイピッチの練習は、見ているだけで息苦しくなるほど過酷なものだった。

勝ち続けることが難しい全日本選手権で12回も連続で決勝に進み、9回も優勝するためには、どんな相手のどんなボールにも対応できる全面性と、絶好調の相手をも粉砕する爆発力を兼ね備えていなくてはならない。
それを支えていたのは、肉体を酷使し、神経をすり減らし、無意識のコントロールにまで挑む練習だった。 (卓球王国コラムニスト・伊藤条太)