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 12月16日、張本智和が弱冠15歳にしてグランドファイナル(韓国・仁川)で優勝した。張本の得意技はバックハンド全般だが、中でも世界で1、2を争う威力と精度を誇るのが「チキータ」と言われる打法だ。
 今回の決勝の林高遠(中国)戦でも、勝負どころで連発し、最後は2本連続のチキータで鮮やかなノータッチを取って史上最年少の優勝を決めた。

 チキータは、ここ数年テレビで取り上げられることが多くなり、一般的にも知られるようになっている。軌道が曲がるためにバナナのブランドから命名されたというトリビアが添えられることもある。
 それほど有名であるにもかかわらず、その具体的な打法については「イマイチわからない」「難しい」という感想が一般の方々から聞かれる。
 そう言われるたびに私は答える。「無理もありません。わかるはずがないんです」と。
なぜか。実は、テレビでチキータとして解説される場面のおよそ半分がチキータではなく、当然その解説も本質を外したものになっているからだ。だから、どれほど真剣に見ようとも、いや、真剣に見れば見るほどチキータがどういう打法なのかわからないようになっているのだ。

 今夏、NHKが放送した『アスリートの魂』の「勝つために生まれ変われ~卓球 水谷隼~」でも、水谷がチキータの習得に挑戦する奮闘が描かれたが、水谷が実戦でチキータをしているとされた場面8回のうち、チキータはなんと4回だけだった。半分がチキータではないのだ。チキータとチキータではないものを混ぜこぜにしてチキータとして説明しているのだからわかるわけがない。公共放送であるNHKですらこうなのだから、いわんや民放のバラエティーをや。
 チキータが何かが分からなければ、当然、張本の本当の凄さなどわかるはずもない。なんともったいないことだろう。

 チキータを見分けることはそれほど難しいことなのだろうか。そんなことはない。チキータの外見上のもっとも簡単な特徴は、バックハンドでラケットを引いてから打ち終わるまでの間、ラケットが卓球台の上にあることだ。これでボールに前進回転をかけるようにラケットの先端を上方に旋回する打ち方をして速いボールを打っていればチキータなのだ(似たような打ち方にフリックがあるが、最近はほとんど使われないので無視してよいだろう)。
 テレビでチキータと混同されるのがバックハンドの「ドライブ」で、ラケットを卓球台よりも下に引いてから上に振り上げる打法だ。
 つまり、打つ前にラケットを卓球台より下げていればドライブで、下げていなければチキータなのだから、誰でも簡単に見分けがつくのだ。
そして、実はこの違いこそがチキータの価値、威力そのものなのである。

 もう少し詳しく説明する。他のラケット競技と同様に、卓球でも、もっとも得点しやすいのは速いボールだ。ところが、速いボールほど軌道が直線的になるため、相手のコートに入れるのが難しくなる。
仮にネット上端と同じ高さから全力で速いボールを打つと相手のコートにはほとんど入らない。ところが、ボールに前進回転をかけると、空気抵抗によって軌道が極端に山なりになるため、速いボールを入れることができてしまうのだ。これがドライブだ。ドライブこそは、通常はトレードオフになるはずの、速さと確実性を兼ね備えた理想的な打法なのだ。だから現代のほとんどの卓球選手は相手より先に強烈なドライブを打とうと手段を尽くす。
 ところが、ドライブを打つことができないボールがある。ドライブはボールを斜め上に激しく擦り上げる打法であるため、打つ前にラケットを卓球台よりも下げなくてはならない。そのため、卓球台の上で2バウンドするような「短いボール」だけは卓球台が邪魔になってドライブを打つことができないのだ。

 この構造に風穴を空けたのがチキータだ。チキータは、15年ほど前に登場したときこそ、軌道が曲がるボールを打てることが特徴だったが、ほどなく、台上で強烈なドライブをかける打法に進化した。肘を高く上げて、打つ前にラケットの先端が時計の針にして4時くらいになるまで引き(右利きの場合)、一気に12時くらいまで旋回させて打つことでドライブをかけるのだ。通常、相手のボールはネットぎりぎりの高さなので、卓球台表面とボールの間には15センチほどの空間しかない。その15センチの空間に、幅が16センチもあるラケットを面を寝かせて差し込み、ボールを激しく上に擦ってドライブをかける方法として開発されたのが、このラケットを約270度も旋回させるチキータなのだ。

 つまり現代のチキータは、それまで不可能であった短いボールに台上でドライブをかけるための打法になっているのだ。前進回転なので当然軌道は曲がらない。あえて言えば下に曲がる。だからこそ速いボールが入るのだ。もちろん昔のような曲がるチキータが使われることもあるが、頻度は少ない。曲がることよりも速いことの方が勝負でははるかに価値があるからだ。これが現代のチキータの本質である。
 それまで絶対安全圏であったネット際を安全圏でなくしてしまったこの技術は、卓球の戦略地図を完全に塗り替えるものであり、130年近い卓球の歴史において1、2を争う画期的な技術革新だった。だからこそ水谷は若手のチキータを恐れるのであり、自らはその習得に苦しんでいるのだ。
そのチキータを、卓球台の外で打つ普通のドライブと混同してしまうことが、どれほど壊滅的な間違いかおわかりだろう。

 チキータの意味がわかると、それまで見えていなかった攻防が見えてくる。一般に卓球選手は、攻撃においてはバックハンドよりフォアハンドの方が威力も安定性もある。だからほとんどの攻撃選手はレシーブのとき、できるだけ多くのボールをフォアハンドで攻撃できるようにバック側に構える。張本もそうだ。
 これに対してチキータは、人体の構造上バックハンドでしか打てない。やってみればわかるが、ラケットの先端を270度も上方に旋回させながらボールを上方に擦ることはフォアハンドでは無理だ。そのため、レシーブからチキータをされたくない選手は、フォア側に短いサービスを出してチキータをさせまいとする。あるいは、フォア側でチキータをさせておいて、次のボールで空いたバック側を狙おうとする。
 張本は、相手のサービスが短いとわかるや否や猛然とフォア側に移動してチキータをする。チキータをした後は長いボールの応酬になるので、素早く元の位置に戻らなくてはならないのだが、張本はこの往復が異常に早い。そのため、チキータ自体の威力と正確性があるし、その後のラリーでも攻め続けることができる。
 チキータが持つ「短いボールを攻撃できる」という利点と「バックハンドでしか打てない」という制約をめぐるこのような攻防も、現代卓球の見どころのひとつなのであり、それは卓球観戦をより深みのあるものにする。

 静寂の中、緊張した面持ちでサービスを出す選手。そこから繰り広げられる瞬きも許さない手に汗握るラリー。ネットを弾くボールと選手の咆哮。ひとしきり沸いた会場が、次のサービスのために再び静寂で満たされる。
 チキータの本質を知らなくても卓球は面白い。しかし、知ればなお面白い。
(卓球コラムニスト・伊藤条太)
  • 世界でも1、2位の威力と精度を誇る張本のチキータ