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全日本卓球選手権大会

 日本の卓球スタイルを変え、長く日本の卓球界を支えてきた男が全日本の舞台から去ろうとしている。
 2002年は日本の卓球界にとって、忘れてはいけない重要な年である。
 この年に、中学生の岸川聖也と高校生の坂本竜介がドイツに渡り、デュッセルドルフでマリオ・アミズィッチ氏のコーチを受けながらの卓球留学が始まった。
 岸川聖也(ファースト)はドイツリーグの3部からスタートし、その後、1部まで這い上がっていった。フルに戦ったのは9シーズンだ。 岸川は今までの日本選手で最も長く海外リーグでプレーした選手でもある。その間、インターハイで3連覇し、日本のシェークハンドの卓球をフォアハンド中心の卓球から両ハンド卓球に変えた選手だ。
 水谷が全日本選手権で優勝するより前に、岸川はドイツから世界の風を日本に送り込んだ。もし、岸川と水谷がドイツで鍛えられてなかったら、その後、日本で活躍してなかったら、間違いなく日本の男子の卓球の進化は遅れていただろう。

 岸川は、2003年には世界選手権に初出場し、2014年まで団体とダブルスで7個のメダルを獲得、この全日本選手権でも12回ランク入り(ベスト16以上)をしている。2000年以降では、水谷に次ぐ成功した日本選手と言えるだろう。

 32歳の岸川は去年からはナショナルチームのコーチを務めていて、TリーグのT.T彩たまでも選手兼コーチとして、指導者の道を歩み始めている。
 その岸川が今回の大会を「最後の全日本」とすることを決めた。大会2日目の今日、男子ダブルスで敗れた後に語ってくれた。
「今大会を最後の全日本にするのは、以前は特に考えてはいなかったんですけど、1年後にまた出るのは、もうちょっとないかなと。NT(ナショナルチーム)のコーチになって、全日本に出るとNTの選手とも当たる可能性が出てくる。それが(全日本に出なくなる)理由のすべてではないですけど、ドイツオープンやオーストリアオープンに帯同したり、NT合宿にもずっとコーチとして参加しているし、T.T彩たまでも今シーズンからはコーチという立場でやっている。その立場の変化は大きかったですね」

 岸川は寡黙な選手である。選手同士が話をしていても横で微笑みながら聞いているようなタイプの男だ。しかし、いざ指導の立場になると、選手からの評判は良い。もともと卓球のセンスはあったが、身体的に恵まれた選手ではなかったので、相手との駆け引き、洞察力に優れ、いわゆる「卓球をよく知る選手」だった。

 「10月に全日本予選があったので、それには出て、通過して、でもそこから自分のコーチとしての活動が大きく増えていった。全日本も『どうしようかな』という思いがあった。ダブルスは大矢と組むので絶対出ようと思っていましたけど、シングルスに出ることには迷いもあって、いろいろ考えた末にコートには立とうと決めた。今回が最後というより、1年後に選手としてまた出るのが厳しい。全日本はこれが最後です。実業団とかは契約もありますし、今後も出ますけど、1年後の全日本は自分の中で考えられなかった。寂しさとかは残念ながら、全くないです。すみません」とミックスゾーンで笑いながら語ってくれた。

「選手とコーチを両立させるのは、ぼくは難しかったですね。コーチをやるようになって、練習量も間違いなく減っていますし、自分がベストではない状態で出ても意味がないですから」
 水谷とともに長く日本の男子卓球界を支えてきた。水谷と組んだ男子ダブルスでは5回の優勝を誇る岸川は、明日水曜日から始まる男子シングルスが最後の試合となる。
 卓球選手にとって、この「全日本卓球」は特別な大会だ。すべてのカテゴリーの選手が一堂に会し、競う唯一の大会。そこでの成績は卓球選手としての大きな称号にもなる。だからこそ「全日本卓球」を選手としての「最後の舞台」に選ぶ人もいるし、中途半端な気持ちでプレーできないと思う人もいる。
 「最後に花束、用意しようか」と冗談で言うと、「それは勘弁してください」と笑いながら、ミックスゾーンから消えていった。感傷的な思いなどなく、選手としての悔いも残さず、かつて日本の卓球を変えた岸川聖也は、まるで背負っていた荷物を降ろすかのように、静かに全日本の舞台から去ろうとしている。(今野)
  • 男子ダブルスで敗れ、明日からのシングルスが最後になる岸川