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中国リポート

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 2月11~15日まで行われたITTFプロツアー・クウェートオープンの女子シングルスで、丁寧(ディン・ニン)がプロツアー初優勝を飾った。第1シードの張怡寧が姜華君(香港)に敗れたことで、やや対戦相手に恵まれた感もあるが、帖雅娜(香港)、李恩姫(韓国)、姜華君、そして決勝で郭躍と実力者を連破。しかも様々な戦型の選手を破っての価値ある優勝だ。
 丁寧は今月7日まで行われた「直通横浜」の第1ステージでも3位と大健闘しており、第2ステージで及第点の成績を残せば、横浜大会のシングルス代表に抜擢される可能性が高くなってきた。1990年6月20日生まれ、いわゆる「90後」世代の丁寧。このボーイッシュな中国女子のホープを少しご紹介しよう。

 丁寧の出身地は、大慶油田を擁し、石油の街として名を馳せた黒龍江省大慶市。父親はスピードスケートのプロ選手、母親はバスケットボールのプロ選手で、身体能力に恵まれているのも道理、というスポーツ一家の生まれなのだ。特に母親は黒龍江省バスケットボールチームでキャプテンまで務めた人物。丁寧の卓球への取り組み方に対しては非常に厳しい一方で、娘の練習のためには労力を惜しまなかったそうだ。
 地元の少年宮で卓球を始めた丁寧は、97年に7歳で大慶市体育学校に入学。1年後には同期の男子選手を全員打ち負かすようになる。母親は丁寧を黒龍江省チームに入れようとしたが、丁寧がまだ幼かったことから、省チームのコーチは「省チームに入るのは早すぎる」と断ってしまった。そのため、母親は丁寧を連れて北京市の什刹海体育学校を受験、ここで北京市女子チームの監督だった周樹森がその才能を見抜いた。年齢を理由に大魚を逃した黒龍江省チームに対し、周監督は丁寧の学費を全額免除し、しかもいきなり北京市女子チームの一員として迎え入れたのだ。

 9歳にして親元を離れた丁寧は、2000年に北京市チーム入り。周囲が驚くほどの成長の早さで2003年に国家2軍チーム、そして2005年1月に国家1軍チームに入った。この年の12月にはオーストリア・リンツで行われた世界ジュニア選手権に出場。北京市チームのチームメイトである曹麗思(08年世界ジュニア優勝)、彭雪らとともに団体優勝を果たし、シングルスでも別格の強さで優勝している。
 ちなみに丁寧といえば、中国選手には珍しい「下蹲式発球(しゃがみ込みサービス)」がトレードマークだが、これは北京市チームに入った時にまだ身長が低かったため、サービス練習に取り入れたもの。その後見る見るうちに身長が伸び、現在の公式プロフィールでは身長172cm。丁寧は膝に負担がかかるこのサービスを、大腿筋のトレーニングを積むことで、秘密兵器として磨き上げている。

 18歳という年齢ながら、すでにトップ選手の風格を感じさせる丁寧。クウェートオープン優勝後、カタールオープンでは朴美英(韓国)に2-4で敗退。カタールオープンで優勝していれば、横浜大会のシングルス出場権獲得が決まったのだが、さすがにそこまで順調にはいかなかった。プロツアーでの対戦成績などを見ると、カット主戦型に対してやや不安があるようだ。しかし、超級リーグで何度もチームのピンチを救ったメンタルの強さは太鼓判。横浜大会でどこまで成績を残せるのか、楽しみな選手だ。
 ちなみに中国語だと「丁寧」は「何度も繰り返し言い聞かせる」という意味になります…。

Photo上・中・下:丁寧のしゃがみ込みサービス。中国選手では、牛剣鋒などもしゃがみ込みサービスを使っていた