ジャズ喫茶

私の実家の斜め向かいに「ハーフノート」というジャズ喫茶ができた。パラゴンなどという知る人ぞ知る高級スピーカーを筆頭に、徹底的に音質にこだわるマスターが自分の夢を実現させた店なのだと思われる。オーディオ通の知人の見積もりによれば、オーディオ機器だけでも1500万円以上はかかっているという。下のサイトで紹介されている。

http://jomon.com/~ijc/enjoy/jazzpicnic/HalfNote.htm

ここまでは、ちょっと良い話だがめずらしくもなんともない話である。問題はその場所が、あまりにもジャズに似つかわしくない場所だということである。私の実家があるところは田舎の農村である。小学校のときには熊が出て下校させられたり、近くに信号機ができたときには大騒ぎになって皆で見に行ったというくらいの田舎である(信号機はその後3つぐらいしか増えていないが)。ハーフノートの隣にはビニールハウスがあるし、道路を挟んで斜め向かいには私の実家の肥し臭い牛小屋、そのまわりはすべて田んぼである。いくらジャズが黒人から生まれたとはいえ、ジャズは都会の音楽である。イメージが違いすぎる。

写真左がハーフノートのある通り(ビニールハウスの向こうに隠れているのがハーフノート)だ。ごらんの通り何もない。街灯などないので、夜になると真っ暗である。写真中央が道路を挟んだ向かいの私の実家の牛小屋(垣根の向こうにハーフノートの灰色の屋根が見えている)、写真右が、このあたりの典型的な風景である。

しかしこういう物理的な環境は実はそれほど問題にはならない。問題なのは、近隣の住人たちが、ジャズのジャの字も知らない『非の打ちどころのない田舎者』だということなのである。ハーフノートができて間もない頃、父が部落の連中を連れて行ってみたのだという。私の嫌な予感は的中した。彼らは「カラオケを出してくれ」「ビールはないのか」と好き勝手なことを言い、しまいには「うるせえがら音、下げでけらい」と言ったのだそうである。マスターの気持ちを考えるといたたまれない。ジャズ喫茶に行ってカラオケをしようとか、うるさいから音を下げさせようという考えが間違っているのだが、どだいそんなことを理解する人たちではないのだ。

私はジャズファンではないが、面白いので実家に帰る度に寄っている。しかしこのハーフノート、いつ行っても客がいなかったことがない。ジャズファンはしつこいので、全県はもとより、県外からもファンが来ているらしい。そういう意味では、どこに建てても同じなのだから、土地が安い分だけ成功といえるのだろう。近所の住人を除いて。