年別アーカイブ: 2008

コーヒーの自販機とトイレットペーパー

会社の休憩室にコーヒーの自販機がある。コーヒーだけではなくてピーナッツとかいろいろ売っているのだが、その中にレギュラーコーヒーの粉の入ったカートリッジが売ってある。すぐ横にそのカートリッジを差し込むとコーヒーが淹れられる機械が置いてあるので、一応、淹れたてのレギュラーコーヒーが飲めるというわけだ。

私は薄いアメリカのコーヒーが嫌いなので、あまり美味しいとは思わないが、それはいいとして、問題なのは量だ。備え付けてあるコップにその機械で淹れると、コップすれすれの量のコーヒーが注がれて、とても持ち運べないのだ。それで、いつも1cmぐらいは捨ててから運ぶことになる。日本では考えられない大雑把さだ。

他にも、よく感じるのがトイレのトイレットペーパーの位置だ。トイレットペーパーを片手で畳める人はそうはいないので、それは体の前にあるべきだろう。ところが、会社でも家でもレストランでも、トイレットペーパーの位置がことごとく使い難い位置にあるのだ。たいてい、体の前方ではなくて横の壁についている。ときには体の真横のこともある。右ひじの横の壁についているトイレットペーパーを、どうやって上手く引き出して畳むのか想像してみて欲しい。体を大きくひねらないと両手で取れないのだ。しかも場所によっては体のすぐ近くについていて、引くスペースがなかったりする。もっとひどいのになると、体の真横でしかも、壁に沿って引き出すようになっているのだ。肘の横の壁に、体の後方に紙を引くように取り付けられてあるのを想像してみて欲しい。使うなと言っているに等しいではないか。

こういうこところを見ると、彼らは、使い方は眼中になく、見た目だけで製品を設計しているのだろう。それとも、アメリカ人は、コーヒーをこぼすのが好きだとか、すっかり紙を用意しきってから便座に座るとか、思いもよらぬ使い方をしているのだろうか。そんな奴いないだろう。アメリカ人は、こういう細かいことで(細かくもないんだが)誰も文句を言わないのだろう。

動物園

10月の始めに、モンゴメリーの動物園に行ってきた。モンゴメリーはアラバマ州都で、車で2時間ぐらいのところだ。州都だが、町は小さく、たいして都会でもない。商業と政治を分離しているのだ。それにしても我ながらしょっちゅう出かけているが、なにしろ子供に現地の友達はまだできていないし、家から出るには車が必要なので、娯楽となると家族で出かける以外にないのだ。だから日本にいたときとは比較にならないほど家族で遠出をすることになる。

動物園でいろいろ奇妙な形の動物を見ると、本当にこれが遺伝子の複製ミスと自然淘汰の結果だろうかと思う。もちろん、「奇妙」というのは人間を基準にした勝手なもので意味などないのだが。いくらアリクイが蟻を食うといっても、自然淘汰で口があんなに伸びるだろうか。不思議だ。まあ、必要な口が伸びるのはよいとしても、使わない器官が退化する現象は未だに現代の進化論では完全には説明できないという。せいぜいが、使わない器官と使う器官にかけるエネルギーの配分に基づいた説があるぐらいだ。エネルギーは有限だから、使う器官が発達した個体は、その分だけ使わない器官につかうエネルギーが少ない確率が高いだろうという苦しい説だ。http://ja.wikipedia.org/wiki/退化

園内で子供がエビフライのような形をした松ぼっくりを拾って「エビフライだ、エビフライだ!」といって妻に見せたところ、妻は本物のエビフライを拾ったと思い、烈火のごとく怒って面白かった。

子供たちが定規を家から持ってきていたので、何をするのかと思ったら、自動販売機の下に落ちているお金を拾うためだという。うちの子供たちは、日本でも自動販売機があるとその下を探して金を拾うのを楽しみにしていた。実際、日本でもアメリカでもかなりの確率でお金が落ちているのだ。将来それで生活するといっている。トホホ。

その話を会社の同僚にしたと言ったら、子供たちに「どうしてそんなことを言うの」と抗議をされた。なんだと思ったら、その人の子供にも拾われるので自分達の拾う分が減る、というのである。アホなりに考えているようである。

ドライ・カウンティ

2日に郁美さんとスタンの家に、家族で行ってきた。日本からの土産話がとても面白かった。スタンにとっては卓球三昧の極楽だったようだ。とくに、東京で卓球のユニフォームを来たおばちゃんの一団に出くわしたときには、アメリカでは考えられない光景に目を輝かせていたそうだ。日本に住んでもいいようなことを言い始めていると言う。

郁美さんの家に行く途中、お土産にビールを買おうとスーパーに入ったのだが、置いてないという。そのときに「ジャルコニー」と言われた。何のことだろうと思っていると、次の店でも「売ってない」と言われた後でやはり同じことを言われた。3件めに入った、ドーサンなら絶対にビールを売っているはずのチェーン店でも売ってなかったところで「これは何かある」と気がついた。それで店員に何て言っているのかスペルを聞いた。するとdry county(ドライ・カウンティ)と言っていたのだった。辞書で調べると、dryには「禁酒法の」という意味があった。countyは郡だ。つまり、その一体は禁酒の郡だったのだ。今回あらためて実感したのは、英語の聞き取りとは、単語を知っているかどうかにかかっているということだ。dry countyという単語とその意味を知っていれば、たぶんそう聞き取れたはずだが、知らないのではジャルコニーにしか聞こえないのだ。日本語だって同じだろう。「すがらい」なんて意味のないことを言われたら誰だって何回も聞き返すし、正しく聞き取れないだろう。

郁美さんの家でカラオケをしたのだが、そこにあったVCDが台湾製で、パッケージが微妙に間違っていた。「アヅアの純真」とか「イメーヅ」「あなただげを」とか東北弁みたいで面白い。

赴任ということ

元旦に、することがないので、家族でバッティングセンターに行った。と、見覚えのある歩き方の人がいる。しかし彼は日本にいるはずで、ドーサンなどにいるはずがない。近づくと本人だったので驚いた。4年前にドーサンから帰任したはずの人が、年末年始の休みを利用してお忍びで家族で懐かしみに来ていたのだ。ちょっと感激した。何もない田舎のドーサンだが、子供にとっては故郷である。かつて4年半、自分が住んでいた家が今では別の人が住んですっかり変わってしまったのを見てしみじみとしたそうだ。

私が働いているドーサン工場には工場設立の77年から、日本人赴任者が常時10人以上滞在している。ほとんどの赴任者の任期は、2年から5年の間だ。中には2回も赴任した人も何人かいるが、だいたいは一回である。

初めて赴任すると、空港で赴任者たちの家族総出で歓迎を受ける。赴任者の数と任期から計算すると、平均すると4ヶ月に一人のペースで新しい赴任者が来て、入れ替わりに誰かが帰任していくことになる。始めは全員が先輩だが、そのうち自分が中堅になって、最後には自分が来たときにいた人たちは一人もいなくなる。そして最後の日、来たときと同じように空港でみんなに見送られて帰任するわけである。任期はだいたいは決まっているものの、いつ帰任命令が来るのかは基本的にわからない。帰任が近づくと、次は俺の番かな、などと思いながら何ヶ月か何年かを過ごすわけだ。いよいよ帰任が決まると、まわりの人も「帰る人」ということで、どこか別の感じの対応になる。私が赴任して11ヶ月経つが、その間に3人見送って1人を迎えた。

こういう光景を見ていてつくづく思うのは、これは人生そのものだということだ。学校なら卒業年が決まっているし皆いっしょにだが、赴任は違う。いつ迎えが来るかわからないし、来るときも去るときも一人だ。ただ人生と違うのは、赴任の場合には、多くの人は日本に帰るのを楽しみにしているところだ。しかしこちらの生活にも情がうつり、やはり帰るときには名残惜しい気持ちも出るようである。

人の一生をシミュレーションしているようで、なんともいえない気持ちになる。

『毘沙門極楽会』

以前、学生時代に作った小冊子『現代卓球』をここで紹介した(9/27)。実はその前に、『毘沙門時代』という小冊子を同じく一番弟子の戸田と作っている。

当時、我々は大学祭などでなぜか宗教サークルのところに行って議論をしたりしていたので、いっそのことこっちも宗教を作ってやれとばかり、ふざけて『毘沙門極楽会』というのを作ったのだ。毘沙門という言葉は、なんとなく凄そうな響きなので毘沙門天から意味も知らずに借用しただけで他意はない。私が教祖で、戸田が布教主務の二人だけの宗教だ。20年前の当時は、パソコンもワープロも持っていなかったので、大学の研究室でワープロを使って、自分の考えた文章が活字になるのが面白くてしかたがなかった。それで、最初に名刺を作ることを思いついたのだが、どうせならと、その会報を作った。

会報を作るとなると、それなりに活動をしなくてはならないということで、実際にいくつかの宗教団体に行ってカバンの中にカセットレコーダーを忍ばせて議論を戦わせた。街で宗教の人にわざと勧誘されやすいように、戸田とバラバラにひとりづつ歩き、ひとりが勧誘されたら、もう一人とは偶然会ったふりをして一緒に着いていくという寸法だ。向こうから誘った以上、こちらは大手を振って彼らのアジトに行って議論をしてよいわけだ。議論といっても、別に喧嘩をするわけではない。素朴な疑問をぶつけるだけのことだ(最後には険悪になることが多かったが)。

毘沙門極楽会の教義はまったくデタラメだ。とにかく他の宗教を否定することだけが目的なので、「人を見たら泥棒と思え」とかデタラメな教義しかない。歴史は4億年、信者は500億人、経典は薬師如来紋別帳の毘沙曼荼羅経ということになっている。『毘沙門賛歌』というテーマソングも作って録音してあるので、そのうちアップしようと思う。

この毘沙門極楽会に感激して飛んで火にいる夏の虫のように引きつけられて来たのが2番弟子の田村だ。会報の中での田村の「なにくわぬ顔」が素晴らしい(田村との対比のために鬼気迫る顔をしている戸田も素晴らしい。よくこんな異常な表情ができるものだ)。カゼで熱があるのに無理やり笑わせて撮影したことを思い出す。このように、会報で大きく取り上げてやったりしたのに、なぜか彼は最近、私との師弟関係を強く否定している。難しいものだ。

少年犯罪

最近は凶悪な少年犯罪が増えていて、世の中どうにかなっているんじゃないだろうか。食べ物が悪いのか、ゲームが悪いのか、などというのが今のマスコミの世論であり、そう思っている人が大半だと思う。

ところがこれは、ウソなのだ。これを見ていただきたい。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson2.html
これによれば、少年犯罪は減少し続けていて、もっとも凶悪だったのは団塊の世代である、今の50代だというのだ。マスコミは不安をあおって視聴率や発行部数を上げるために、故意に事実を隠蔽しているのだ。たとえば年配の人ほどテレビゲームなどに偏見を持っているため、ゲームが若者に悪影響があると思いたい。私はゲームをしないので、その気持ちはよく分かるが、そうは考えない。歴史を知っているからだ。小説だって初めて登場したときは「こんなものを読んだら空想癖が出て頭がおかしくなる」と古い世代に批判された。映画、テレビ、マンガも同じことだ。古い世代は、若い世代に何か悪いことがあると自分が気に入らない新しいもののせいにすることで気持ちがよくなるのだ。それをうまく利用しているのがマスコミだ。しかしデータの捏造、隠蔽はダメだ。

もし少年犯罪を食べ物やゲームと関連づけるとすれば、戦後少年犯罪は現象し続けているのだから、「ゲームとファーストフードは少年犯罪抑止になる」となってしまう。しかし、そういう結論を出す人はいないだろう。自分の価値観と合わないからだ。じゃ、そのときはどう考えるか。少年犯罪とゲーム、ファーストフードは関係がなく、何か他の理由があるに違いないと考えるのだ。自分の価値観と合っているときには関連性を認め、合わないときには無視する。社会学とはこういう恣意的な無意味な学問だとして批判しているのが、上に紹介した「反社会学講座」なのだ。

反社会学講座はどの記事もとても面白くてためになる。しかしこういう一見斬新な意見は往々にしてこれ自体が捏造だったりすることもあるので(「アポロは月に行っていない」などの主張のように)油断はできないが、今のところ私はこの人の主張を信じている。

新横浜『ラーメン博物館』

ブログへの書き込み日は日本の日付なので1月2日だが、時差の関係でこちらは今日が元旦である。昨日のアクセス数を見ると139件で、ブログ書き込み以来、ほぼ最低を記録した。さすがに元旦だ。しかし、元旦からのべ139人も読んでくれる人がいると考えると嬉しい。卓球王国の編集部員たちが、締め切りからの逃避のためにたびたびアクセスしているのではないことを願うばかりだ。

アメリカに来る前に、最後の贅沢として、新横浜の『ラーメン博物館』に行ってきた。あるビルの地下に、昭和30年代の町並みを再現し、全国からの名門ラーメン店が8軒出店している。ここには前から行きたいと思っていたのだが、一度失敗をしているのだ。横浜にジャパンオープンを見に行ったとき、帰りに急に思いついて、駅で場所を聞いたところ、それは新横浜駅にあり、横浜駅にはないという。それで、なぜか『カレーミュージアム』を薦められてそこに行ってしまった。

それで、今度こそはと新横浜駅で降りて『ラーメン博物館』に行ってきたわけである。予想通りの素晴らしいものだった。昭和30年代の町並みが素晴らしい。実は私はそんな風景はほとんど知らないのだが、なぜか懐かしい感じがする。再現されたタバコ屋に並んだ「しんせい」などという銘柄を見て、小学生のときに死んだひい婆さんを思い出したりした。その懲り方が徹底している。コの字型になった町並みの裏には狭い路地がめぐっていて、一般人の住居などが再現されているのだが、どの家を見ても、扉の向こうに本当に部屋があって人が住んでいるようで、板一枚のニセモノとは思えないできだ。会場に入るだけでも入場料を払わなくてはならないのだが、十分にその価値があった。

ラーメン店には、テレビのガチンコに出ていた有名な人の店もあった。食べ歩きできるように、300円のミニラーメンが各店に用意されている気の利きようだ。私は3軒をハシゴしたが、春木屋のラーメンが素晴らしかった。一見ただの醤油ラーメンだが、異様にダシの効いた汁がとんでもなく美味かった。東京に住んでいる人がうらやましい。

仙台にもラーメン博物館のだいぶ後にできた『ラーメン国技館』というのがあるのだが、どの店も特徴を出そうとしてとんでもなく脂っこくしたり巨大な具を入れたり食えないほどしょっぱくしたりするのだが、いまひとつである。たまたま入った店が悪いのだろうと思い、何度も行ったのだがダメだった。

日本に里帰りの際には、また『ラーメン博物館』に行きたいものだ。

正月

日本ではもう2008年になったようだが、こちらはまだ12月31日の昼だ。会社も休日ではなく、平日としてみんな普通に働いている。神様の誕生日に比べれば大晦日など特別意味はないようなのだ。ただしさすがに元旦は休日である。クリスマスの24日、25日あたりは店も休みだったし道路に車も少なく、ちょうど日本の正月のようだった。

昨日書いた、猫と電子レンジの訴訟について用具マニア杉崎君から驚いたというメールがあった。それで、念のために調べてみたら、これは都市伝説のようである。こういういい加減な情報は嫌いだ。

http://k-gensai.hp.infoseek.co.jp/mythsandtruths/t001microwavecat.html

年末のせいか、卓球王国2月号に書いた「インパクトに震える友人」繁則からもメールが来た。「ついに俺をネタにしたな」と書いてあった。さすがにわかったか。彼はビートルズごっこに常に参加していた高校時代の友人である(彼もジョン・レノンのファンだが、力関係で彼にはいつもポール役をやらせていた:8/15等参照)。

繁則はメールを1,2ヶ月に一度しか見ないので、仲間内では「飛脚より遅い」と言われている。今回も年末だからメールが来たのだ。このグログを読むとしても1ヶ月後だろう。今、なにやら埋蔵品の発掘などを仕事にしているようだが、自分が埋蔵されないように気をつけてほしいものだ。

繁則で思い出した。高校一年のときのことだ。当時、卓球の基本姿勢は猫背と決まっていて、先輩がみんなにその基本姿勢を指導したのだが、繁則は胴体が短いためか背筋が頑固なまでに伸びていて、どうしても猫背にならない。今にしてみれば何の問題もないのだが、その先輩はどうしてもそれが気に食わず、繁則の背中と腹を両手で押して無理やり曲げようとしたものだった(もちろん曲がらなかった)。なんという奇妙な光景だろう、卓球とはこんなことまでしなくてはならないスポーツなのか、と思ったものだ。なんとも愚かで滑稽な時代である。

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