宮澤賢治の言葉

何かと話題の多い「あまちゃん」に、宮澤賢治の曲が使われていることをご存じだろうか。「星めぐりの歌」という歌のメロディーが随所に出てくるのだ。音楽家でもない岩手出身の宮澤賢治のマイナーな曲をあえて使うあたりに、音楽を担当した人の遊び心が感じられる。「わかってるなあ」という感じがするわけである。

宮澤賢治といえば先日、1996年に放送されたNHKの宮澤賢治特集の再放送を見た。その中でひとつ感動的な話があった。畠山モトさんというご老人がいる。彼女は賢治にたった一度だけ会ったことがあるのだが、そのときに賢治にかけられた言葉が忘れられないという。賢治は当時勤めていた砕石工場の同僚の家を訪ねてきたのだが、そのときにモトさんがお茶を出したのだという。賢治が砕石工場に勤めていたのは昭和6年(1931年)で、この放送の時点で実に65年も前の話だ。有名人だったならともかく、まったく無名だった生前の賢治にたった一度だけお茶を出したときにかけられた言葉が忘れられないというのだ。

モトさんが父親に言われて賢治にお茶を出すと、父親はいつも他の客にするのと同じように「この子は母親がなくて、8歳ぐらいの小さなころから飯炊きから何でもこなしてよくやってくれているんです」と自慢話を始めたという。モトさんはその話をされるのが嫌で「また始まった」と思ったという。それを聞いた賢治はひとことだけ

「貧しさの影が全然なくて、優しい娘さんに育ちましたね」

と言ったのだそうだ。貧しい人にこんな言葉をかける人などいない時代であったから、モトさんにとってこの言葉は宝物であり生涯胸から離れることはないという。賢治の台詞を語るときのモトさんのこみ上げるものがあって言葉に詰まる様子が、彼女の思いが伝わってくる感動的な場面だった。

やはり賢治の言葉は並ではなかったのだ。

もっとも私も悪い意味でなら相手が一生忘れられない言葉を発したことがある。友人の奥さんが私の子供を見て「大きくなりましたね」と言ったときに私は「大きくなるのは当たり前だ」と言ったらしいのだ(覚えてないが)。奥さんはそれが衝撃的で忘れられないという。なんとも申し訳ない。

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