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☆世界選手権ロッテルダム大会・女子代表選考会「直通鹿特丹」
 第2ステージ 3.8~10/山東省許城市


[第1ステージ] ※勝/負
A:1. 李暁霞(3/0)/2. 木子(2/1)/3. 曹臻(1/2)/4. 武楊(0/3)
[李暁霞 4-0 木子][木子 4-0 曹臻][木子 4-1 武楊]
B:1. 郭躍(3/0)/2. 文佳(2/1)/3. 姚彦(1/2)/4. 饒静文(0/3)
[郭躍 4-1 文佳][郭躍 4-1 姚彦][姚彦 4-0 饒静文]
C:1. 馮亜蘭(3/0)/2. 范瑛(2/1)/3. 楊揚(1/2)/4. 王シュアン(0/3)
[馮亜蘭 4-1 范瑛][范瑛 4-2 楊揚][楊揚 4-3 王シュアン]
D:1. 劉詩ウェン(3/0)/2. 李暁丹(2/1)/3. 常晨晨(1/2)/4. 陳夢(0/3)
[劉詩ウェン 4-1 李暁丹][李暁丹 4-3 常晨晨][常晨晨 4-3 陳夢]

[第2ステージ]●準々決勝
李暁霞 9、8、-10、12、13 文佳
木子 9、3、4、6 郭躍
劉詩ウェン 10、5、5、6 范瑛
馮亜蘭 8、-9、9、8、4 李暁丹
●準決勝
李暁霞 -4、5、-10、9、11、10 劉詩ウェン
木子 -8、-8、8、10、3、7 馮亜蘭
●決勝
木子 -12、9、8、-10、10、8 李暁霞

 世界選手権ロッテルダム大会の代表選考会「直通鹿特丹」、女子第2ステージで大きな波乱が起こった。第1ステージを2位通過した木子(ムゥ・ズ)が、第2ステージで郭躍、馮亜蘭、李暁霞という世界のトップランカーを連破し、世界選手権の切符をつかみ取ったのだ。
 人民解放軍に所属する木子は1989年1月9日生まれの22歳、右シェークバック表ソフトの前陣攻撃型。フォアのカウンタードライブは非常に打球点が早く、バックは相手のフォアサイドへ流れるような変化のあるブロックも使う。ずいぶん前に中国リポートでもお伝えしたことがあるが、なんと両親とも名字は「李」。娘に「李木子」という名前をつけようとしたら、母方の祖父が「いっそのこと姓名を木子にしてしまったらいい」ということで、名字まで変わってしまった。「假小子(おてんば娘)」が多い中国女子チームの中でも、男っぽさ(?)と負けず嫌いは天下一品のようで、09年の「直通横浜」では試合に負けてフェンスを蹴り飛ばし、兄貴分の郭炎とともに注意を受けている。

 混合ダブルスで準優勝した09年横浜大会以来、2回目となる世界選手権への切符を手に入れた木子。実はこの好成績には伏線がある。もともと、郭躍・劉詩ウェン・姚彦とともに、担当コーチである孔令輝の指導を受けていた木子。しかし、「直通鹿特丹」第2ステージの1カ月ほど前に、かつて王楠や張怡寧を指導し、現在は李暁霞の担当コーチである李隼に担当コーチがチェンジした。それからわずか1カ月でこの大活躍。しかも準々決勝ではかつての同門である郭躍を完璧に破った。孔令輝としては何とも頭が痛い結果だ。
「木子は見た目は男の子のようだが、精神的には非常に繊細な部分がある。ベンチではとにかく彼女を鼓舞して、長所とプレーの方向性をはっきりさせることに努めた。木子はまだ普段の練習での集中力が低く、自分に甘い。十数年前の張怡寧はこんなに手がかからなかった。今は練習中から口を酸っぱくして注意を与えているところだ」(李隼)。
 
 それにしても、準々決勝で敗れた郭躍の不振は気がかり。「これがあの郭躍なのか?」と中国のマスコミも厳しい。3月16~20日に行われたポーランドオープンでも3回戦で帖雅娜(香港)に敗れるなど、元世界女王の復活への道のりは遠い。

Photo上:「黒馬(ダークホース)」の木子が大仕事!(写真は09年世界選手権)
Photo下:郭躍、選手生活で最大のピンチか…?(写真は10年アジア競技大会)
 東北地方太平洋沖地震の発生から1週間、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。あまりに甚大な被害に言葉を失いますが、東京で難を免れた私たちは、できることをやっていくしかありません。
 中国リポートもここ1カ月ほど開店休業の状態で申し訳ありませんでした。連日のアップはまだ難しいですが、少しずつお伝えしていきたいと思います。まずは3月5~10日に行われた、世界選手権ロッテルダム大会の代表選考会「直通鹿特丹」第2ステージからお伝えします。

★世界選手権ロッテルダム大会・男子代表選考会「直通鹿特丹」
 第2ステージ 3.5~7/山東省許城市


[第1ステージ] ※勝/負
A:1. 馬龍(3/0)/2. 王皓(1/2)/3. 李平(1/2)/4. 劉イ(1/2)
[馬龍 4-2 王皓][劉イ 3-2 王皓※棄権][馬龍 4-0 李平]
B:1. 張継科(3/0)/2. 張超(2/1)/3. 方博(1/2)/4. 邱貽可(0/3)
[張継科 4-2 張超][張超 4-2 方博][方博 4-3 邱貽可]
C:1. ハオ帥(3/0)/2. 馬琳(2/1)/3. 閻安(1/2)/4. 侯英超(0/3)
[ハオ帥 4-1 馬琳][馬琳 4-0 閻安][閻安 4-2 侯英超]
D:1. 許シン(2/1)/2. 王励勤(2/1)/3. 陳杞(1/2)/4. 周雨(1/2)
[許シン 4-1 王励勤][許シン 4-3 陳杞][王励勤 4-1 陳杞]

[第2ステージ]●準々決勝
王励勤 9、10、6、-6、10 ハオ帥
馬琳 4、10、7、-8、8 許シン
馬龍 6、-6、5、6、9 張超
張継科 7、5、-10、6、-6、8 王皓
●準決勝
馬琳 -11、5、-11、-7、8、7、9 馬龍
張継科 10、11、7、10 王励勤
●決勝
張継科 7、6、-8、-8、-9、8、3 馬琳

★男子「直通鹿特丹」 第1・2ステージ総合順位
1. 張継科(1S 2位/2S 1位)
2. ハオ帥(1S 4位/2S 5位)
3. 王皓(1S 1位/2S 8位)
4. 馬龍(1S 7位/2S 3位)
↑↑↑ 上位4名が代表権獲得 ↑↑↑

5. 張超(1S 5位/2S 6位)
6. 陳杞(1S 3位/2S 9位)
7. 馬琳(1S 11位/2S 2位)
8. 許シン(1S 6位/2S 7位)
9. 王励勤(1S 10位/2S 4位)
10. 閻安(1S 8位/2S 10位)
11. 方博(1S 13位/2S 11位)
12. 邱貽可(1S 12位/2S 13位)
13. 李平(1S 9位/2S 16位)
14. 周雨(1S 14位/2S 15位)
※ 雷振華(1S 15位/2S 不出場)
※ ジャイ一鳴(1S 16位/2S 不出場)
※ 劉イ(火×4)(1S 不出場/2S 12位)
※ 侯英超(1S 不出場/2S 14位)

 男子第2ステージは、第1ステージの上位14名にカット主戦型の侯英超と劉イを加えて行われた。朱世赫(韓国)やイオニス(ギリシャ)といったカット主戦型との対戦を想定すると同時に、プレッシャーのかかる第2ステージで、各選手の対カットの技術力を見る狙いがあるようだ。
 結果は、第1ステージ2位の張継科が優勝。決勝の馬琳戦は中盤で逆転されて苦戦が続いたが、最終ゲームは強気な攻撃を連発し、7-0と一気に突き放して勝利を決めた。この優勝で張継科は総合成績1位となり、2~4位のハオ帥、王皓、馬龍とともにロッテルダムへの切符を手に入れた。…前回の「直通鹿特丹」の際、中国リポート担当は「1位になった王皓が代表権一番乗り」と書いてしまいましたが、正しくは上記のとおり、2回の「直通鹿特丹」の総合成績1~4位が代表権を獲得します。スミマセン。

 4選手が獲得したのはあくまでも代表権であり、シングルスへのエントリーはまだ未定だが、シングルス出場に大きく前進したのは間違いない。そうなると、立場が厳しくなるのはベテランの王励勤だ。中国に与えられるシングルスの出場枠は男女とも7名。王皓・馬龍・王励勤・馬琳・張継科・許シン・陳杞・ハオ帥という重点強化選手8名のうち、最も実績が少ないハオ帥がシングルスの代表に返り咲くと、王励勤は陳杞とともに当落線上に追いやられる。アジア競技大会でも直前のエントリー変更で、許シンに代表の座を明け渡した王励勤。ロッテルダム大会はその許シンとのダブルスのみ出場、という可能性もある。
 もうひとりの「王」、王皓は第1ステージの馬龍戦で腰を傷め、続くカットの劉イ戦で試合を途中棄権。周囲をヒヤリとさせたが、優勝した第1ステージの貯金がものを言って確実に代表権を獲得した。

Photo上:堂々の総合1位で代表権を獲得した張継科(写真は10年世界団体選手権)
Photo中:馬琳は第1ステージで出遅れて総合7位(写真は10年アジア競技大会)
Photo下:王励勤はこれまで分が良かった張継科に完敗(写真は09年全中国運動会)
 中国リポート、アップが滞っていて大変申し訳ありません…。
 ただいま、卓球王国から今月発売される書籍『中国卓球の秘密』が大詰めの校正作業を迎えております。まさに規格外のボリューム。粘着性ラバーを使って早い打球点で打てば「中国卓球」、そんなに単純なものではないということが、お分かり頂けると思います。お伝えしたいリポートも山積しているのですが、もう少々お待ち下さい。
 しかし、時は3月。新しい月を迎えたということもあり、膨大な画像のストックの中から中国リポート担当が選んだ、中国選手写真館をお届けします。つなぎでスミマセン。

写真上は、2010年1月のITTFプロツアー・グランドファイナル2009で、高橋発行人がとらえた奇跡の一枚。横位置でわかりづらいので、クリックで拡大してみてください。
対戦相手はクロスへ飛びついてフレームアウト、何かのモニュメントのような許シンは、あまりにも強引に回り込み、バッククロスへドライブを打ったところ。タイトルをつけるとしたら「踏切」

写真中は、2009年の全中国運動会で、フロアに入ってからもストレッチに余念のない王励勤。中国選手のこのようなストレッチやアップの画像は結構珍しいです。タイトルは「No more 八百長」。最近は「譲球(勝利者操作)」もなくなっているようですが…。

写真下はちょっと古い一枚。2005年のフォルクスワーゲンオープン荻村杯で、中国チームのトレーナーが謎の粉末で作っていたドリンク。たぶんスポーツドリンクなのでしょう。タイトルは「中国卓球の秘密」

どうか書籍にご期待ください!
 2008年2月の年次総会で、協会を移籍した選手の大会出場に大幅な制限を加えた国際卓球連盟。ただし、この規定が適用されるのは、世界選手権・世界ジュニア選手権(年齢制限は別規定)・ワールドカップ・ワールドチームカップというビッグゲームに限られる。そしてより重要なのは、IOC(国際オリンピック委員会)の管轄であるオリンピックも、この規制の適用外になるということ。五輪の場合、他国の代表として出場した最後の国際大会から、3年以上が経過していれば、新しい国の代表として五輪に出場できるのだ。
 以下のふたつのコメントからも、今回の5選手の移住の理由がロンドン五輪であることが明確になってくる。

「本当は去年引退して、もうラケットは握らないつもりだった。でも、(シンガポール卓球協会と)連絡を取ってくれた友人がいて、中国卓球協会も移籍を支持してくれたし、シンガポールでも厚遇を受けたので、最終的に決断した。僕はただ、一度オリンピックに出たいという夢をかなえたいだけだ。どうか“帰化選手軍団”とは呼ばないでほしい」
(ジャン健/出典『武漢晨報』)


「新たに加入した選手たちが、良いプレーをしてくれることを望んでいる。特にジャン健と李虎には、シンガポール男子チームがオリンピックの団体戦出場の資格を得る、大きな力になってくれることを望みたい」
(シンガポールチームマネージャーのタイ・ハンチョン氏/出典『新華網』)


 ただし、発表されているロンドン五輪の予選システムの文書を見ると、ロンドン五輪団体戦の出場枠(16カ国)は、世界チームランキングではなく、2012年世界団体選手権ドルトムント大会の成績に基づいて決定すると書かれている。前回のモスクワ大会では16位に終わったシンガポール。ドルトムント大会に出られないジャン健や李虎が加入しても、ドルトムント大会で下位に沈んでしまったら、「元も子もないのでは?」と思われるかもしれない。

 しかし、実際には五輪団体戦の出場チームを決めていく際には、世界ランキング推薦と五輪の各予選を経て、団体戦に必要な3名の選手を揃えた国が優先的に出場できる。ドルトムント大会3位/五輪予選での通過者2名の国と、ドルトムント大会20位/五輪予選での通過者3名の国では、後者の20位のチームが先に出場権を得られるのだ。
 ガオ・ニンの世界ランキングでの五輪推薦出場がほぼ確定しているシンガポール。アジア大陸予選でヤン・ツーとジャン健が代表権を獲得し、団体戦に必要な3名を揃えれば、ドルトムント大会では20位くらいの順位でも、問題なく五輪団体戦への切符を手にできる。言い方を変えれば、アジア大陸予選で最低でも1名は予選を通過させて、五輪団体戦への望みをつなぎたい。
 若手3名は経験を積ませ、規定年数を経てから世界大会に出場させるかもしれないが、ジャン健と李虎はアジア大陸予選を見据えた補強ではないか。カタールオープンでは両選手とも1回戦で敗れたが、UAEオープンとドイツオープンにも出場予定。これからプロツアーを中心に参戦していくことになりそうだ。

Photo:北京五輪でプレーするエースのガオ・ニン。女子とは対照的に、これまで団体戦では実績のないシンガポール男子チームだが…
 2月9日から始まったITTFプロツアー・カタールオープン。選手のエントリーリストや、日本卓球協会HPの記録ページを見て、目ざといファンの方はもうお気づきでしょう。シンガポール男女チームに、新たに男子3名、女子2名の中国選手が加入している。加入選手のリストは以下のとおりだ。

[男子]
★ジャン(瞻の右側)健(ジャン・ジェン) ZHAN Jian
1982年1月1日生まれ/29歳・湖北省出身 
右シェークフォア表ソフト・バック裏ソフト前陣速攻型
2001年世界選手権混合複3位・シングルスベスト32

★李虎(リィ・フー) LI Hu
1988年6月26日生まれ/22歳・湖北省出身
右シェーク両面裏ソフトドライブ型
2003年世界ジュニア選手権優勝

★陳豊(チェン・フォン) CHEN Feng
16歳・河北省出身

[女子]
☆周一涵(ジョウ・イーハン) ZHOU Yihan
1994年1月30日生まれ/17歳・山東省出身
右シェーク両面裏ソフトドライブ型
2007-2008年U-17中国オールスター大会出場

☆林叶(リン・イエ) LIN Ye
15歳・湖南省出身

 …やはり目玉は男子のジャン健だろう。日本リーグのグランプリや、超級リーグの覇州海潤でポイントゲッターとして活躍したジャン健は、97年から07年まで10年近く国家チームに所属。2001年の世界選手権大阪大会では、白楊との異質攻撃ペアで銅メダルを獲得している。06年に初めて行われた国家チームの代表選考会「直通ブレーメン」では、馬琳や陳杞、馬龍を連破してその実力を見せつけた。国際大会での実績は少ないが、シェークフォア表ソフトの攻撃型としては、2000年代で最強と言っていい選手だ。12月からシンガポールに渡って、春節でも帰国せずに練習に励み、カタールオープンの予選リーグでは上田仁(青森大)とツムデンコ(ウクライナ)をストレートで退けている。

 李虎は世界ジュニア選手権の初代チャンピオン。湖北省から海南省へ移籍し、元国家2軍チーム監督の楊光炎氏の指導を受けた。同世代でも有望な選手のひとりだったが、04年以降は成績が伸び悩み、2軍チームに戻された経験も。07年の城市運動会で武漢市を団体優勝に導いて「眠れる虎の覚醒」と報道されたが、最近はその名を聞くことは少なくなっていた。
 女子の周一涵は山東省出身で、遼寧省に移籍した選手。上背のある右シェークドライブ型で、世界ジュニアに出場した陳夢や趙岩とは同世代のライバルだった。残る男子の陳豊と女子の林叶は、国家2軍チームまでは手が届かなかったようだ。

 08年2月の年次総会で、国際卓球連盟は協会を移籍した選手の大会出場に関して、大幅な制限を加えた。元中国代表のジャン健や李虎は、シンガポール代表として世界選手権には出場できない。それでも移籍に踏み切った背景には、やはりロンドン五輪というビッグゲームの存在があるようだ。長くなったのでその2に続きます…。

Photo上:グランプリでプレーしていた当時のジャン健
Photo下:カタールオープンでは2戦2勝で予選リーグを突破した李虎(写真提供:ITTF)
 一昨日の2月3日は、中国の春節(旧正月)だった。都市に出稼ぎに出ている人たちもこの春節ばかりは故郷へ里帰りし、中国全土で3億人とも4億人とも言われる「民族大移動」が起こる。会社や工場も1週間近くストップしてしまうため、非常に重要な行事ではあるが、中国に取引先やクライアントを抱える方にとっては困りものだ。
 国家チームの選手たちも、春節の短い休暇を久々の我が家で過ごしたようだ。少々安易なやり方ではありますが、彼らの春節の過ごし方を、“微博(ウェイボー:中国版ツイッター)”からピックアップしてみましょう…。

 2月2日の深夜から3日にかけて、魔除けの爆竹で新年を祝う中国。北京市では2人が死亡、200人以上が負傷したという、信じられないニュースもあった。しかし、フットワークの軽い卓球選手なら、爆竹から逃げ遅れる心配はない。
2月3日 01:05「もうすぐ最強の爆竹に点火するぞ。さっき爆竹に火をつけた後の僕のダッシュは、ウサイン・ボルトといい勝負だったんじゃないかな(張継科)」

 ピンポン球を打ち合う音に慣れている選手たちにとっても、爆竹が炸裂する音はやはり快感なのか。「假小子(おてんば)」の郭躍も、思う存分鳴らしたご様子。
2月3日 01:22「爆竹、全部終わっちゃった。一年の努力は、ただこの瞬間のためにあるよね。本当に面白かった(郭躍)」

 年明けに自分の成長を実感した選手もいる。その感覚は日本人と全く変わらない。
2月3日 12:34「今は本当に大人になったな~。もうお年玉はいらなくなって、あげる側に回ったんだから(笑)(許シン)」

 真面目な性格が、微博になっても抜けない選手もいるようだ。
2月4日 00:12「遅ればせながら新年のお祝いを。明けましておめでとうございます。皆さんの健康とご多幸を祈っております(馬龍)」

 こうして実家でのんびりと春節を過ごした選手たちも、春節の休みはわずか2日間。今日、2月5日には北京へ飛行機で戻り、ロッテルダム大会、そしてロンドン五輪へ向けた戦いの日々が待っている。本当につかの間の休息だ。
2月5日 07:26「今ちょうど飛行機に乗って、もうすぐ飛び立つところ。楽しい時間は本当に短くて、別れるのが寂しかった。家は永遠に私の最愛の場所です(丁寧)」
…飛行機の中では携帯は切りましょうね。

Photo上:「カクヤク」は「バクチク」に「ワクワク」
Photo下:お年玉をあげる側に回った許シン。お年玉は「圧歳銭(ヤースイチェン)」
 1月26~30日に行われたITTFプロツアー・イングランドオープン。男子シングルスで陳杞が久々の優勝を果たした。準決勝で王励勤を国際大会で初めて破り、決勝でも大の苦手としていた馬琳を4-1で撃破。陳杞がプロツアーを制するのは07年オーストリアオープン以来、実に17大会ぶりとなる。
 王皓と馬龍が代表の最有力候補。馬琳、張継科、許シンがそれに続き、王励勤はやや苦しいというのが、ロンドン五輪を巡る国家男子チームの情勢。「遅すぎた男」陳杞の今回の優勝、何とも微妙なタイミングだ。「直通鹿特丹」の第1ステージでは、準々決勝で馬龍に4-0で完勝して、「陳杞の今までの試合ではベストゲーム」(劉国梁監督)とお誉めの言葉を頂いており、好調を維持しているようだ。

 陳杞はダブルスでは際立った成績を残してきたダブルスの名手。ロンドン五輪でも団体戦のダブルス要員として、3人目の代表に抜擢される可能性はゼロではない。07年世界選手権で馬琳、09年世界選手権で王皓、10年ドイツオープンで馬龍と組んでタイトルを獲得しており、ペアリングにも大きな不安はない。陳杞が所属する江蘇省チームのジン(革+斤)魯芳総監督は、「陳杞はどうしてもロンドン五輪に出場したいと言っていたし、今回の優勝は我々に希望を与えるものだ。今後のプロツアーや直通鹿特丹で安定した成績を残せれば、、世界選手権や五輪に出場するチャンスも出てくる」(出典『現代快報』)とコメントしている。

 オールラウンドなプレースタイルとは言いがたいものの、一撃必殺のパワードライブと相手を圧倒するガッツで「殺神」と称される陳杞。周期不定の休火山が、再び活動期に入ったのか。劉国梁監督の“微博”でのコメントが面白いので、最後に引用しておこう。「杞子終于“死人”放屁…有緩了?!(“死人”だった陳杞が、ついに一発ぶっ放した、…生き返ったのか?」。「死人放屁」は「生き返る」という意味の慣用句らしいです…。

Photo上:まだまだ死んでいないところを見せた陳杞
Photo下:「国家チームの競争は激しいほどいい」と劉国梁監督
 現在、北京体育大学の冠軍班(チャンピオン・コース)で、体育教育専攻の研究生(大学院生)として学んでいる張怡寧。2月3日から始まる春節(旧正月)の休み明けに、アメリカ・ウィスコンシン大学マディソン校に1年間留学することを、複数の新聞社が伝えている。冠軍班からは、張怡寧の他にも引退したスポーツ選手15名が渡米する予定だ。

 04年アテネ五輪、08年北京五輪で優勝し、現在五輪の女子シングルスでは2連覇中の張怡寧。前人未到の五輪シングルス3連覇への可能性を残していたが、留学中は原則的にアメリカを離れることはできず、「直通鹿特丹」やプロツアーへの出場もなくなる。張怡寧のロンドン五輪出場の可能性が、限りなくゼロに近いことは分かっていたが、やはり残念という思いもある。当たり前の話だが、五輪でもまず2連覇しなければ、3連覇への挑戦権は得られない。次に3連覇に挑戦する選手が現れるのは、何年先になるかわからない。

 アメリカでは語学の勉強をしたいという張怡寧。ウィスコンシン大学マディソン校があるマディソン市は、人口20万人ほどの美しい街で、中国のように街を歩くのも大変、ということはなさそうだ。英語の習得に励み、果たして次はどの道に進むのか。

Photo:張怡寧、英語の勉強をする場所は、ロンドンではなくアメリカだった
 2005年から、スロベニアの小さな街・ヴェレニエで毎年行われているITTFプロツアー・スロベニアオープン。今年も1月18~21日まで開催され、男子シングルスは21歳の許シン、女子シングルスは19歳の武楊が優勝した。
 決勝の李暁霞戦まで同士討ちがなかった武楊は、リー・ジャオ、李恩姫、呉佳多をすべてストレートで破る圧倒的な強さ。体格がかなりしっかりしてきており、中陣で反撃するフォアドライブの伸び、ズバリと切り下げるバックカットの変化は見事。決勝では李暁霞に最終ゲーム0-4と離され、中盤でも李暁霞にエッジとネットインが連続する苦しい展開だったが、鉄壁のカットで乗り切った。武楊はこれで郭炎に続き、世界選手権ロッテルダム大会の女子代表第2号に内定した。

 …実は昨年末に国家女子チームの施之皓監督が、国家女子チームの代表選考規定を発表していた。中国リポート担当も不勉強で、申し訳ありません。規定の中で、これまでお伝えしていなかった分を補足すると…。

1. ロッテルダム大会の代表選考会は、2回の「直通鹿特丹(ロッテルダム)」と5回のプロツアー(スロベニア・イングランド・カタール・クウェート・ドイツ)、合計7つの大会で構成される。
2. この7つの大会のうち、1つの大会で優勝した選手は、ロッテルダム大会の代表に内定する。2つ以上の大会で優勝した選手には、ロッテルダム大会の女子シングルスの出場権が与えられる
3. 「直通鹿特丹」の第2ステージは3月3~10日に行われる。第1ステージの上位16名が4つの予選グループに別れ、上位2名が準々決勝に進出。第2ステージまでに代表権を獲得している選手は出場しない

 国家1軍チームの上位選手には、プロツアーで外国選手を交えながら代表権を競わせ、下位の選手や若手には、「直通鹿特丹」で下剋上のチャンスを与えるシステムだ。この規定により、スロベニアオープンで優勝した武楊が代表第2号となった。国家チームが代表選考会を開催するようになった2006年以降、カット主戦型が自力で代表権を獲得するのは、男女を通じて武楊が初めてだ。

 武楊は1992年1月5日生まれ、山羊座のB型。長身でカット主戦型向きの選手に見えるが、『ピンパン世界』2010年6月号に掲載されたインタビューでは、「卓球を始めた時のコーチがカットマンだったから、自分もカットマンにさせられた。こんな難しい戦型になってしまって、海賊船に乗せられて下りられないようなもの」と実に率直な感想を述べていた。痩せてひょろひょろだったので、国家チームでは「ヤーチェン(つまようじ)」という、あまりありがたくないあだ名で呼ばれていたそうだ。プロツアー2回目の優勝で、もう少し良いあだ名に昇格できるかもしれない。

Photo:カットに強い選手にも勝てる武楊。超級リーグでは張怡寧を破ったこともある
  今月15日に四川省綿陽市の北川体育館で行われた「長虹大師杯・中国卓球2010年総決賽」。この大会の際、記者団の質問を受けた国家卓球チームの黄ピャオマネージャーが、興味深い発言をしている。張継科と劉詩ウェンの交際報道、王励勤の結婚報道に馬琳の離婚問題と、卓球選手の恋愛に関する報道が増えている中、国家チームのスポークスマンである黄ピャオ氏は、以下のような見解を示した。

「卓球チームではここ数年、選手たちの恋愛に関してある程度容認するようになった。しかし、誰でも恋愛していいというわけじゃない。最低ラインというものがある。女性は22歳以上、男性は24歳以上だ。もちろん、チームの選手管理や成績に影響を及ぼさないことが前提になる」(出典『成都晩報』)。

 恋愛に年齢制限を設けるというのも、何とも不思議な話だが、この年齢制限でいくと22歳の張継科と19歳の劉詩ウェンのふたりは強制的に引き離されることになる。「張継科と劉詩ウェンの仲に影響はあるのか?」という記者の質問に対して、黄ピャオ氏の返答はなんとも微妙だ。「実を言うと、劉詩ウェンと張継科のふたりが、今もまだつき合っているのかどうか、よく知らないのでね」。

 昨年4月の劉詩ウェンと張継科の交際報道の際には、女子チームの施之皓監督が「まだ早すぎると思う。22歳以降のほうが良いのではないか。まだ精神的に未熟なうちの恋愛は、練習やプレーに影響が出るかもしれない」と述べていた。それが今回の黄ピャオ氏の発言に引き継がれた形だ。国家男女チームは集合訓練や「直通鹿特丹」などの部内試合は別々に行うが、遠征ではもちろん一緒になるし、今の選手たちは携帯電話や「微博(中国版ツイッター)」で自由に連絡が取れる。「地下恋愛(秘密裏の恋愛)」まで取り締まることは不可能だが、ロンドン五輪への勝負の年を迎え、選手たちを今一度引き締めにかかっている。

 国家男子チームの劉国梁監督は、現夫人の王瑾さんと国家2軍チーム時代から交際を続けていたが、あらゆるビッグタイトルを獲得し、引退した後にそのまま結婚している。2004年1月に恋愛問題によって、白楊や范瑛が省チームへ戻された時も、彼女たちの交際相手である馬琳と王皓には処罰はなかった。何はともあれ、「成績第一、恋愛第二」が国家チームの方針であることは間違いないようだ。

Photo:恋愛禁止のお達しが出た張継科(上)と劉詩ウェン(下)