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 1959年世界選手権ドルトムント大会・男子団体優勝、61年世界選手権北京大会・男子ダブルス優勝の星野展弥(ほしの・のぶや)氏が、2月22日に83歳で逝去された。

 星野氏は1937年2月1日生まれ、大阪府出身。堺工業高に入学後、荻村伊智朗氏と富田芳雄氏(ともに故人)の模範試合を見て衝撃を受け、高校1年で卓球を始めた。専修大に入学後、回り込んでバッククロスに放つ一撃必殺のフォアスマッシュを武器に頭角を現し、59年世界選手権では日本男子の団体5連覇に大きく貢献。翌年の全日本選手権で初優勝した時は、ロビングを叩いたスマッシュが東京体育館の観客席に飛び込んだという逸話も残る。

 61年北京大会では、男子団体で中国に惜敗して6連覇を逃したが、徐寅生の連続スマッシュを12本連続でロビングでしのいだ「十二大板」の故事は、今も中国卓球における名場面のひとつとして語り継がれている。現役引退後は大阪で星野クラブを立ち上げ、多くの名選手を世に送り出した。

 今から2年ほど前、2017年の年末に「伝説のプレーヤーたち 〜The Legends」の取材で、星野さんに話を聞くために大阪に向かった。80歳を超えても子どもたちの指導を続けていた星野さんは、「子どもたちのプレーを見ているのはホンマに楽しい。夜になって寝床に入ると、その日の子どもたちの試合を全部思い出すんです」と目を輝かせながら語っていた。その姿はまさに永遠の「卓球小僧」だった。謹んで哀悼の意を表します(柳澤)。
  • 1961年世界選手権男子複優勝時の星野氏(右)、左はパートナーの木村興治氏

  • 現役引退後も長く指導に携わり、多くのトップ選手を育てた(写真は17年取材時)