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卓球王国ストーリ-

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 卓球王国を創刊するにあたり、重要な課題があった。
 それは、いかに卓球メーカーから広告を集めるかということだった。ところが、1987年にわずか2年間で休刊となった『卓球マガジン』は卓球メーカーからの広告が少なく、財政的な意味でも厳しい局面に立たされ休刊となった前例を見ていた。もちろん休刊の理由はそれだけではないが・・。

 創刊にあたって、当然のことながらスポンサーになり得る卓球メーカーへの「お願い」に赴いた。しかし、当時は3大メーカーが独自に卓球雑誌を出していた。これは報道雑誌というよりも、その基本は自社のコマーシャル雑誌。
 メーカー専門誌は売り上げで黒字にすることはできない。あくまでも、会社のイメージアップ、商品の訴求効果を高める目的のために、卓球メーカーは宣伝費として割り切っている。
 もちろん、これらのメーカー専門誌は普及の面で日本の卓球の歴史の中では果たした役割も大きかった。

 今野が自分の会社で製作に関わっていたTSPトピックス。卓球王国創刊の半年後には雑誌製作を返上する旨をヤマト卓球に伝えた。「もちろんそのまま他の方にやっていただいて結構です。でも、卓球王国にもスポンサーとして協力してほしい」と訴えた。
 結局、TSPトピックスは1997年7月に休刊となった。

 ほとんどの卓球メーカーは協力的だったが、一方で懐疑的だった。「本当にやっていけるのだろうか・・」と。
 書店売りの雑誌では、販売による売り上げとスポンサー収入が車の両輪。創刊当時のもくろみは、全卓球メーカーや日本リーグに加盟している卓球部を持っている会社からの広告出稿を期待していた。
 しかし、ふたを開けてみると、卓球メーカー以外の広告は難しかった。そういう逆風の中で、雑誌の裏表紙(表4と言います)に年6回のペースで「ミキハウス」さんが広告を出していただいたのはありがたかった。卓球部の大嶋監督や澤井部長(当時)にはお世話になった。また、協和発酵(現協和発酵キリン)さんも佐藤真二監督の後押しで、年5回というペースで、創刊以来、現在もスポンサーになっていただいている。

 一方で、「卓球王国に広告を出すのはやめましょうよ」という動きが水面下であった。広告を出すのをやめようという意味は、この新しい雑誌を認めない、つぶしてもいいという意味にも解釈できるものだった・・。
 <続く>
  • 創刊当初から、表4で出稿をいただいたミキハウスさん

  • 今でもスポンサーとして広告をいただいている協和発酵(現協和発酵キリン)さん