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卓球王国ストーリ-

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 ソフトテニスやバドミントンの配本データを参考にされた「卓球王国」は「すぐに月刊化」のはずが、返本が多く、実売数が上がらない。
 もともと資本力がなかったために、宣伝もできずに負のスパイラル(連鎖)に陥っていた。

 昔のeBook(電子版)を見てもらうとわかるのだが、27号までの2年半は「○月号」を表記できずに、たとえば「27号・1999年6月発売」となっている。
 これは書店で流通させる時にまだ卓球王国は月刊誌として認められていなかったのだ。そして、「スキーグラフィック」の別冊コードを使っていたが、ここは4号で終わり、「卓球王国さんには悪いけど、うちも別冊を出すから」と発行元のノースランド出版社から言われ、ピンチ。
 また他の出版社の軒先・・・別冊コードを借りるしかない。そこで間に入った大手印刷会社が探してきたのはなんと骨董品を扱う「月刊目の眼」という雑誌の別冊コードだった。

 毎月の出版は確保されたが、卓球王国はアパートを借りてお店を経営しているようなもの。毎月、家賃(営業経費)を払って、自分の好きなように営業はできない。
 取り次ぎ会社(東販、日販という大手など数社)に「月刊コード」の申請をすること数度。そのたびに「もう少し数字が良くないと・・・」と断られた。その間に「卓球温泉」という映画もあり、そのプロモーション(宣伝)をかねて、またその機に乗じて、月刊コードを申請するもあえなく沈没。そんなことをしながら、ようやく月刊コードを取得できたのは28号目、1999年7月発売の号からだった。表紙には「月刊誌、創刊!」とうたっている。

 毎月、地道に実売の数字を積み上げた結果を評価されたのだ。この「月刊コード」というのは、雑誌として認可される証拠であり、相撲の年寄株に似ている。大手出版社が出す雑誌は「はい、どうぞ」とすぐにコードがとれるのだが、小さい出版社は発行してすぐにつぶれては流通が困るという理由でなかなか雑誌コードを出さないのが常だ。
 この号の表紙を飾ったのは愛ちゃんこと、福原選手。縁起の良さを重んじたのだが、一般の方は「今まで20冊以上出して、なんで今頃、月刊誌、創刊なの?」という声もあがった。
 それにしても、1997年1月の創刊から長い長い2年半の道のりだった。
<続く>
  • 月刊誌、創刊!と表紙に入っている28号、1999年9月号