スマホ版に
戻る

中国リポート

トップニュース中国リポート
●吉林省出身の男女選手
[長春市]■王皓 □唐娜(唐イェ序/韓国)
[白山市]■許紹発
[吉林市]■王楚欽 □李佳原
[延辺自治州]■丁祥恩(韓国)

※■=男子選手/□=女子選手


 1965年の第2回全中国運動会では、男女団体ともベスト8に入った吉林省。この年に吉林省チームから国家チームに入った許紹発が、1973年世界選手権で投げ上げサービスを披露して話題となり、75年世界選手権では男子団体優勝に貢献した。
 許紹発はその後、国家チーム男子監督や総監督(1985〜1992)を歴任。中国チーム、特に男子は成績が伸び悩んだ時期だが、孔令輝や劉国梁を早くから抜擢して若手の育成に務める一方、蔡振華の指導力を見抜いてイタリアから呼び戻すなど、先を見据えた人材の発掘で90年代後半の中国男子復活の礎を築いた。日本の卓球ファンにはシームレスボールで知られる卓球ブランド『XuShaofa』を起業したり、中国への大会誘致やマッチメイクに奔走したり、指導書も出版するなど、八面六臂の活躍を見せてきた卓球人だ。

 一方、吉林省チームはその後、長い低迷期に入り、出身の選手たちはより良い練習環境を求めて新天地に旅立った。輩出した選手の代表格は王皓、そして若手のホープである王楚欽だ。

 幼い頃はあまりにやんちゃで、両親がおとなしくさせるために女の子の格好をさせたという逸話を持つ王皓は、12歳で名門・人民解放軍チームのメンバーとなった。彼の代名詞といえばやはり「直拍横打(ペンホルダーの裏面打法)」。後に「王皓2世」と呼ばれた若手ペンホルダーは数知れず、そして未だ誰ひとりとして王皓を超えられない。オリンピックでは3大会連続銀メダルと頂点にあと一歩だったが、09年世界選手権横浜大会で見せた圧巻の強さ、決勝の王励勤戦で優勝を決めた瞬間のガッツポーズは忘れられない。

 2013年に舞踏家の閻博雅さんと結婚した際は、地元・長春市で盛大な結婚式を行い、2017年10月には長春市がスタートさせた小学生の課外教育プログラムの一環として、その名を冠した『吉林省星皓卓球学校』を創立した。故郷を離れて久しいが、王皓はやはり吉林人なのだ。

 体が弱かったことから、運動で体を鍛えるために7歳で卓球を始めた王楚欽は、地元の有名なコーチである温立彬の指導を受け、10歳で親元を離れて北京市チームの一員となった。2014年世界ジュニアで初めて彼のプレーを見た時、感じたのは「世界チャンピオンになれる選手だ」ということ。それまでの中国の左腕選手はダブルス要員の印象が強く、バックが弱かったり、プレーが荒削りな選手が多かったが、王楚欽は柔らかいボールタッチと威力あるバックハンドを備えていたからだ。2020年5月11日に20歳になったばかりで、樊振東とともに中国男子の次代を担う選手だ。

 その他の選手では、07年世界ジュニア男子チャンピオンの丁祥恩(韓国)は、北朝鮮との国境沿いにある延辺朝鮮族自治州出身で、「朝鮮族」と言われる朝鮮系中国人。韓国に渡って世界ジュニア王者となった後、長く故障に苦しんだが、17年アジア選手権で準優勝するなど見事に復活した。長春市出身の唐娜(韓国名・唐イェ序)もやはり朝鮮族で、05年全中国運動会に天津市代表として出場した後、韓国の実業団・大韓航空でプレー。07年に韓国国籍を取得し、08年北京五輪で女子団体銅メダルを獲得している。
  • 投げ上げサービスから王道の速攻プレーを見せた許紹発(卓球ジャーナル73年1月号より転載)

  • 09年世界選手権で頂点に立った王皓

  • 小柄ながら一発のパワードライブを放つ丁祥恩

  • 現在は北京市チーム所属の王楚欽。中国男子の次代を担う選手

  • 吉林省から天津市、そして韓国へと活躍の場を求めた唐娜(唐イェ序)