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中国リポート

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 張燮林が国際卓球連盟(ITTF)から表彰されたのを良い機会として、かつて中国伝統の戦型のひとつだった「ペンホルダーカット主戦型」を少し紹介してみたい。
 二十年くらい前まで、中国の卓球の技術書の「グリップ」の項では、必ずペンホルダーカット主戦型のグリップが紹介されていた。ラケットの表面は親指だけで支え、裏面は四本の指を開いて支える独特のグリップで、フリスビーの持ち方をイメージしてもらうと分かりやすい。ラケットはペンホルダーだが、握り方はシェークとペンの中間という感じだ。

 フォアカットもバックカットも、すべて表(おもて)面で打球するペンホルダーカット主戦型。フォアカットはシェークカット主戦型とほぼ同じスイングだが、バックカットはフリスビーを床に向かって投げるようなスイングになる。左写真上は、張燮林のバックカットのインパクト直前をとらえたもの。ここからラケットを振り下ろしていく。
 ちなみに、前陣でバックハンド強打に行く時だけ、普通のペンホルダーと同じように人差し指を表面に出す。実際にやってみるとわかるが、そうしないとうまくラケットがかぶさらず、高く浮いたボールを強打できないのだ。

 日本選手を大混乱に陥れた、張燮林の変化カット。使用していたツブ高ラバーは、彼が紅双喜の工場で偶然見つけた、不良品のツブの高い一枚ラバーだった。それを遊びで使ってみる、というところまでは卓球選手なら誰でもやりそうなこと。しかし、その特性を自らも学びながら、世界のトップクラスに成長していった彼はやはり非凡だろう。そしてその研究心が、中国女子チームの監督として、世界選手権団体8連覇(75~89年)を支える下地ともなった。ペンツブ高攻守型の葛新愛や黄俊群、シェークカット主戦型の童玲、そしてシェーク異質攻守型のトウ亜萍など、ツブ高ラバーを使用する多彩な戦型の選手が育ち、中国女子の黄金時代を支えた。

 1970年代後半、ハンガリーに代表される、ヨーロッパのパワードライブ型の隆盛とともに、次第に姿を消していったペンホルダーカット主戦型。77年世界選手権で男子団体優勝メンバーのひとりだった王俊が、中国代表メンバーに入った最後のペンカットマンだった。
 これから中国がペンホルダーカット主戦型を育成することはないだろう。裏面をうまく使ってバックカットの弱点を補いながら、強力な変化サービスからの速攻や、前陣でのショートとカットの使い分けによって、相手をかく乱するプレーヤーが出てくる可能性はある。…それは守備主体の優雅なペンカットプレーとは、まったく別物と言うべきだろう。

Photo上:表(おもて)面で打球する張燮林のバックカット
Photo下:張燮林が使用した伝説のラケット「順風」。使われていた木材は、シベリアから輸送されてきた缶詰の木の箱で、その乾燥と締まり具合がラケットにピッタリだったという