スマホ版に
戻る

中国リポート

トップニュース中国リポート
 今月5日、香港卓球総会は長く総会の秘書長(実務責任者)などを歴任した薛緒初(シュエ・シューチュ)氏が、2月23日にカナダで亡くなっていたことを発表した。享年86歳。
 薛緒初(以下敬称略)は上海市出身で、1950年に香港へ移住。52年の第19回世界卓球選手権ボンベイ(現:ムンバイ)大会で、当時の香港チャンピオンだった姜永寧や、傅其芳とともに香港男子チームを初の団体3位入賞へ導いた。

 薛緒初を語る上で欠かせないのが、61年世界選手権北京大会を巡る、中国と日本の情報戦だ。59年の世界選手権ドルトムント大会で、容国団(中国)に男子シングルスのタイトルを奪われた日本は、新たな秘密兵器として裏ソフトラバーによる「ドライブ」を開発。強力なトップスピンによって、ベルチック(ハンガリー)ら欧州の強豪が一蹴されたというニュースが中国を震撼(しんかん)させた。
 国家チームは数少ない情報をもとに、仮想・日本選手を急遽育成し、フォアドライブの習得に当たらせることを決定。当時、チームで数少ない裏ソフトの使用者として、薛緒初の弟である薛偉初が立候補した。(中国リポート07/10/29『国家隊の名もなき英雄たち-中編』参照)。当時、香港チームは日本チームとよく練習試合を行っていたため、薛緒初は日本選手のドライブを熟知しており、手紙を通じて弟にアドバイスを与え続けたのだ。
 そして中国は、タイミングの早いショートを軸とした速攻戦術で日本のドライブを封じ、北京大会の男子団体決勝で日本を5-2で破った。ワックスで滑りやすくなったフロアなど他の要因もあるが、大会前に薛緒初によってもたらされた情報は、中国の団体初タイトルに大きく貢献した。

 52年の世界選手権ボンベイ大会で、ともに香港男子チームのメンバーとして団体3位入賞を勝ち取った傅其芳や姜永寧は、のちに中国国家チームに入り、現役引退後は傅其芳が国家チーム総監督、姜永寧がコーチを務めた。しかし、ふたりとも68年に文化大革命による迫害で自殺。香港から中国へ戻っていたら、薛緒初も同じ運命をたどったかもしれない。今年は盟友たちの死からちょうど40年目だった。