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中国リポート

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 北京五輪の団体・シングルスで金メダルを獲得し、ついに「無冠の帝王」を返上した馬琳。中国が生んだ歴代のチャンピオンたちの中でも、これほど辛酸をなめ尽くしたチャンピオンはいるまい。99年世界選手権決勝の劉国梁戦、03年世界選手権準々決勝の朱世赫戦、04年アテネ五輪4回戦のワルドナー戦、05年世界選手権決勝の王励勤戦、そして07年世界選手権決勝、ゲームカウント3-1の7-1から逆転された王励勤戦…。思い出されるのは、あるいはタイトルまであと一歩と迫りながら、あるいは期待を裏切って早いラウンドで、敗れ去っていく馬琳の姿だ。

 そして五輪からしばらくは、馬琳も金メダリストとして中国全土を飛び回る忙しい日々が続いている。9月4日に広東省仙頭(スワトウ)市を訪れた馬琳は、翌日母校である仙頭卓球学校を4年ぶりに訪問し、熱烈な歓迎を受けた。翌9月6日には、仙頭市政府が北京五輪の選手表彰式を開催。馬琳は女子バスケットボールの宋暁雲らとともに表彰を受け、100万元(1500万円)という破格の報奨金を受けた。
 馬琳は93年11月に遼寧省瀋陽市から、仙頭卓球学校に転校。この年に仙頭市で開催されたジュニア大会で、劉銘水コーチがその才能を見抜いた。当時の仙頭卓球学校のチームメイトは、現在国家男子チームのコーチである劉国正と、北京五輪でベスト8に入った譚瑞午。この3人はともに99年世界選手権アイントホーヘン大会に中国代表として出場している。

 出身地である瀋陽市でも、馬琳フィーバーは続いている。馬琳の通っていた小学校、順通小学校はなんと「順通馬琳卓球学校」への校名改称を計画中。もともと卓球の盛んな学校で、これまでに十数名の選手を国家チームへ送り込んでいるそうで、馬琳がシングルスで金メダルを獲得したあと、学校には「子どもをそちらの学校に入学させたい」という問い合わせが相次いでいる。

 機を見るに敏な中国の人々。時の人にあやかろうと、この「馬琳フィーバー」はしばらく続くことになりそうだ。

Photo:五輪団体準決勝で呉尚垠を下した馬琳。吠える、吠える!