スマホ版に
戻る

中国リポート

トップニュース中国リポート
 エース水谷隼が2番で許シンを破り、日本が一矢を報いるも、中国が3−1で勝利した男子団体決勝。

 3番ダブルスでは、ベンチの劉国梁監督が中国ペアが一本取るごとに立ち上がり、未だかつてないほどエキサイトしていた。それもそのはず、もしダブルスを落として5番に回れば水谷対張継科。張継科はゲームオールにもつれた準決勝トップの鄭栄植戦で、個人戦から悩まされていた腰痛をさらに悪化させていた。「腰の状態は決して外には漏らさなかったけど、実際は寝る時も移動する時も大変だった。勝利への渇望だけが、ぼくを勝利へと導いてくれた」と張継科が決勝後に語っている。勝負に「たられば」は禁物だが、5番まで回れば水谷が勝つ可能性は十分にあった。

 「ラストまで回せば」。その日本男子の希望を打ち砕いたのが、4番で出場した馬龍だ。あの決勝の緊迫した場面で、吉村の変化サービスをあそこまで完璧にストップできるのは、世界広しと言えども馬龍だけではないか。しかもただ短く入れるだけではない、ブッツリ切れたストップなのだ。

 馬龍は決勝後、「この団体決勝が始まる前は『勝ったら泣いてしまうかも』と思っていたけど、今はすごく冷静だ。これが成長したということかな」と語っている。そしてチームメイトの許シンをこう讃えた。「許シンは2番で負けてから、気持ちを立て直す時間は5分しかなかった。これは相当難しいことだ。でも継科も許シンを助けたし、許シンも自分で気持ちを切り替えた。ベンチで本当に感動したよ。ダブルスが勝ってくれたから、ぼくのプレッシャーは相当小さくなった」(馬龍)。

 故障がちな張継科や許シンに比べ、長期離脱するような重大な故障には見舞われていない馬龍。しかし、2020年の東京五輪時には31歳になっている。劉国梁総監督もジャパンオープンで来日した際、樊振東と許シンについては東京五輪への出場が濃厚と語りながら、馬龍については明言しなかった。張継科から世界王者と五輪王者の座を引き継いだ馬龍は、これからどのようなストーリーを描くのか。

 「ぼくにとっては、これが最後のオリンピックになるかもしれない。だから今大会を素晴らしい記憶として留めたかった。毎日、劉国梁監督からは『試合が終わったら頭を空っぽにしろ』と言われていた。ぼくは普段から考え過ぎたり、難しく考えて卓球の世界にはまり込んでしまうから。本当に20数年の競技生活の中で、最高にハードな12日間だった。だけど、一生記憶に残る価値はあるものだったね」(馬龍)。
※コメント出典:『新浪体育』。
  • チームメイトを讃えた馬龍(写真左端/写真提供:ITTF)