●平成27年度全日本選手権速報

【条太】卓球ドランカーたちの祭典

2016/01/09

 全日本選手権の一般の部に出られる人は全卓球選手の何%かご存じだろうか。全卓球人といっても、ハナから全日本を目指さない愛好者まで含めたら数百万人にもなってしまうので、ここはあえて日本卓球協会に加盟している人を対象としよう。

 そうすると、一般男子では毎年約3万4千人ということになる。そのうち、全日本選手権の一般の部に出られるのはたったの249人だから、割合を計算するとわずか0.7%だ。

 これを偏差値に直すと74ということになり(正規分布を仮定した場合)、勉強でいえば実に東大法学部に相当する絶望的な狭き門だ。

 東大法学部なら、学校の授業を聞いているだけで入れる天才もいるだろう。短距離走などのアスレチックな競技なら、肉体条件に恵まれた人なら並みの練習で県代表になることはあり得るだろう。

 しかし卓球は違う。人並みの練習で全日本に出られる卓球人は絶対に一人もいないと断言できる。卓球は、来る日も来る日も気の遠くなるような反復練習によって、複雑多様な反応を条件反射のレベルにまで高めなくては勝てない巧緻性の極致のスポーツだからだ。

 卓球の全日本選手権とは、卓球に人生を捧げた者だけが出場を許された卓球ドランカーたちの祭典なのだ。その7日間の祭典が間もなく始まろうとしている。     (伊藤条太・卓球コラムニスト)

【速報】史上最年少優勝に挑む伊藤美誠と平野美宇

2016/01/09

 伊藤美誠と平野美宇には2度チャンスがある。
 史上最年少の一般シングルス優勝の記録は、1988年度の佐藤利香だ。白鵬女子高校2年の時の優勝で17歳と36日目での優勝。男子の史上最年少記録は水谷隼(beacon.LAB)で17歳と226日目の優勝。
 
 世界ランキングの上位者でもある15歳の伊藤美誠(世界ランキング12位・スターツSC)がもし今大会優勝すると佐藤、水谷の記録を破ることになる。もちろん同級生の平野美宇(同18位・JOCエリートアカデミー)にもチャンスはある。
 あの福原愛、石川佳純でさえも破れなかった史上最年少記録に二人は挑戦する。もし今年がダメでも高校1年の来年度もチャンスはある。  (今野)*文中敬称略

  • 世界12位の伊藤美誠

  • 世界18位の平野美宇

【速報】世界を制して全日本で勝てなかった人

2016/01/09

 日本が輩出した世界チャンピオンは13人いる。古い順で列記してみよう。

佐藤博治(1952年)・荻村伊智朗(54年・56年)・田中利明(55年・57年)・大川とみ(56年)・江口冨士枝(57年)・松崎キミ代(59年・63年)・深津尚子(65年)・長谷川信彦(67年)・・森澤幸子(67年)伊藤繁雄(69年)・小和田敏子(69年)・河野満(77年)・小野誠治(79年)

 この中で、全日本チャンピオンになっていないのは50年代の佐藤博治と大川とみ、そして60年代の深津尚子。世界で勝ったものの日本では勝てなかった。特に50年代の日本は、強い選手がひしめいていた時代とも言える。
 佐藤は当時世界的選手が使っていなかった「スポンジ」を使用して、用具の利点を生かしながらカットとショート、強打のオールラウンドプレーで世界優勝。しかし、国内では彼に慣れている選手が多く、勝ち進めなかった。
 大川は地元東京での世界選手権で優勝。しかし、国内では当時、渡辺妃生子、江口冨士枝の全盛期で、若手では山泉和子、松崎キミ代が台頭してくる時代。全日本選手権で勝ちきるだけの爆発力はなかった。深津は全日本学生では優勝しているが、全日本では3位が最高成績だ。

 また79年優勝の小野誠治も世界を制した後に日本でなかなか勝てなかった。全日本選手権で優勝したのは86年、世界優勝から実に7年も経ってからの優勝だった。
 *文中敬称略
  • 日本で初めての世界チャンピオン、佐藤博治

  • 日本女子では初の世界チャンピオン、大川とみ

【速報】執念がないと言われたポーカーフェイス「河野満」

2016/01/09

 1975年度から全日本選手権男子シングルスで3連覇した河野満。連覇の間に、1977年世界選手権バーミンガム大会で優勝した。しかし、国内でも世界でも彼の頂点に立つまでの道のりは長かった。

 河野は1967年世界選手権ストックホルム大会ではシングルスで決勝まで進んでいた。決勝の相手は長谷川信彦。長谷川と河野の20歳対決だった。途中までリードを奪いながら河野は敗れる。若くして世界のトップに近づいた河野が日本、世界の頂点に立つのはそんな遠い日はないだろうと誰しも思ったが、道のりは平坦なものではなかった。
 全日本選手権でも準決勝まで進みながら、後一歩のところで敗退する河野。そしてようやく全日本の頂点に立ったのは29歳の時で、世界の頂点に立ったのは30歳の時だった。

 現役時代、インタビューに河野はこう答えている。「まわりからは執念がない、淡泊だ。だからチャンピオンになれないんだと言われます。じゃ、聞きたいですね。執念って何ですか?」。
 日本代表として戦い続けていたアスリートの矜持がその言葉の裏にはあった。ポーカーフェイスで戦い続けた現役時代の河野。一方、ライバルであり、ひと足早く世界と日本の頂点に立っていた長谷川は、プレースタイルからも全身からも「頑張る」「執念」がほとばしるような卓球だった。比較されているから、余計河野は「執念がない」ように見えたのだろう。
 しかし、青森生まれの河野満は人一倍の「じょっぱり(頑固者)」。一度決めたらテコでも動かないタイプ。試合態度を変えるでもなく、現役を終えるまでポーカーフェイスを崩さなかった。世界と日本で優勝した時も派手なガッツポーズは一切なかった。そして猛烈な執念は最後まで表に見せずに、胸の奥にしまい込んでいたのだ。  (今野)*文中敬称略

  • 写真は1977年、世界選手権で優勝した時の河野満

【速報】唯一用具を変えて優勝したチャンピオン高島規郎

2016/01/09

 全日本選手権で複数回優勝した選手で用具を変えたチャンピオンがひとりだけいる。「ミスター・カット」と言われた高島規郎だ。同じ裏ソフトなどでラバーを替えた人は多くいるが、高島は1972年度の初優勝の時には両面裏ソフトのカットマンだったが、2回目の1978年度の時にはバック面を裏ソフトから粒高ラバーに替えて、優勝。翌年も3回目の優勝を果たしている。
 裏ソフトから粒高に変えたのは腰や膝の故障に見舞われていて、身体への負担を減らすためだったとも言われている。異質ラバーを生かして、持ち前の守備範囲の広いカットに攻撃を加えた「ニュー高島」で全日本を制した選手だった。

  • 1978年に優勝した時の高島規郎

【条太】左利きの歴代チャンピオンたち

2016/01/09

 昭和13年からの歴代全日本チャンピオンのうち、左利きの選手を列挙してみよう。

 男子は32人のチャンピオンのうち、富田芳雄、木村興治、阿部勝幸、斎藤清、小野誠治、渡辺武弘、偉関晴光、水谷隼、丹羽孝希の9人が左利きだ。女子は32人のチャンピオンのうち、西村登美江、山中教子、星野美香、金沢咲希、石川佳純の5人が左利きだ。

 右利きと左利きのチャンピオンの延べ回数を数えると、男子は72回中26回が左利きの優勝で実に36%となり、女子は72回中15回が左利きで21%となる。左利きのチャンピオンには齋藤清(8回)、星野美香(7回)、水谷隼(7回)といった、長期政権が多いからだ。これらに匹敵する右利きの長期政権は長谷川信彦(6回)と小山ちれ(8回)ぐらいだ。

 トップ選手にこれほど左利きが多いスポーツが他にあるだろうか。それほど卓球は相手の打ち方やボールに対する慣れが必要なスポーツだということなのだ。

 一方、1953年以降の世界チャンピオンにおける左利きは、男子は24人中、ステラン・ベンクソン、小野誠治、ジャン・フィリップ・ガシアンの3人、女子は23人中、パク・ヨンスン、王楠、郭躍、丁寧の4人だ。五輪チャンピオンでは、初代の劉南奎、陳静からして左利きだ。これらは一般人の左利きの割合である10%よりは若干多いものの、全日本チャンピオンほどには左利きは多くない。これは、オールフォアなどの極端な左右非対称が多かった日本選手と比較して、外国では早くから両ハンドスタイルという左右対称のスタイルが多く、左利きの利点である希少価値が現れにくかったためと思われる。左利きのカットマンが少ないのと同じ理屈だ。

 ちなみに、他のスポーツの2012年ロンドン五輪の日本代表の利き手の内訳を書くと、陸上の100メートル走、ハンマー投げ、やり投げ、棒高跳びの男女の合計10人の全員が右利き、水泳では27人中2人だけが左利き、体操では10人全員が右利きで、47人中の2人が左利きで、その割合は4%だった。
 むしろ左利きは運動神経において劣っているとさえ言える衝撃的な結果だ。
 なお、これらのスポーツの選手たちのプロフィールに利き腕の情報はほとんどなく、インターネットの写真での投球、握手、筆記、挙手などの複数の動作からの私の判断だ。判断に迷う選手については所属に問い合わせて確認した。誰かに褒めてもらいたい。(伊藤条太・卓球コラムニスト)

※写真は、全日本8回優勝の斎藤清

【動画】前回男女シングルス決勝ラストシーンをUP

2016/01/08

 「リアル全日本ムービー」ページに、前回(平成26年度/2015年1月)の男女シングルス決勝のラストシーンの動画をアップしました。優勝が決まるゲームの7-5からの場面です。思わず涙ぐむ石川選手と、晴れやかに力強くガッツポーズをする水谷選手の表情が印象的です。

http://world-tt.com/ps_info/pay-area_H27alljapan_movie-list.php


 ムービーページには、連日、注目カードや好ラリーからピックアップした動画をアップしていく予定。試合だけでなく、開会式や記者会見、さらには報道スペースの様子などのなかなか観ることの出来ない裏舞台も公開するかも。

 DVD「ザ・ファイナル」用のビデオカメラは当然高画質ですが、現場で編集してウェブにアップという作業には向いていません。そこで取り回しが楽でその場で簡易編集ができるようにと、今回iPad miniを導入しました。会社の卓球台で撮影&動画アップの予行演習をする、3月号締め切り間際の卓球王国編集部です。

【条太】今年も『ザ・ファイナル2016.1』を撮影

2016/01/08

 2013年から3年連続で制作している全日本のダイジェストDVDを今年も製作予定だ。その名も『ザ・ファイナル2016.1』。

 なぜ2016の後に「.1」をつけるのかといえば、2016だけ書くと、2016年なのか2016年度なのかわからなくなるからだ。今回の全日本は2016年1月に行われるが、2015年度の大会だ。そのあたりがちょっとスマートではないが仕方がない。

 カメラ編成は昨年と同じく5台だ。これをプロダクションの方3名と王国編集部の腕利き2名で回すことになる。後半2日間は私自身もスーパースローカメラで撮影に加わるが、基本的には私は現場監督だ。

 それにしてもこの撮影を担当するカメラマンの苦労は並大抵ではない。作品を見てもらえばわかるが『ザ・ファイナル』の撮影では、ラリーの始まりは必ずサーバーをアップで映してラリーが始まると徐々に引いてもらっている。もし固定カメラで同じサイズで撮影し続けると、編集で次のラリーのサービスにつないだときにコマが飛んで、あたかも昔のトリック撮影のような映像になってしまい、作品にならないからだ。

 加えて、ボールが画面からはみ出さない範囲でできるだけ選手を大きく映すように最大限のズームをしてもらっている。つまりカメラマンは常にカメラを操作していなくてはならないのだ。ゲーム間に少し休みが入るとはいえ一日に合計6時間程度もファインダーを覗いて操作しっぱなしだ。それを大会期間の後半4日間を毎日なのだから大変な苦労をかけているわけだが、良いプレーはいつ起こるかわからないので仕方がない。

 計算上、最終的に作品で使われるのは総撮影時間の1.5%ほどだ。その1.5%のスーパープレーのために彼らはカメラを回す。  (伊藤条太・卓球コラムニスト)

【速報】「小山ちれ」はどれほど強かったのか

2016/01/07

 今年、水谷隼が挑むのは優勝回数8回という記録だ。過去、8回優勝しているのは齋藤清と小山ちれ。
 「小山ちれ」は中国からの帰化選手だ。1964年生まれで、中国名は何智麗。87年ニューデリー大会では23歳で世界チャンピオンになった。その後、世界ランキング1位ながら88年ソウル五輪の代表から外され、大会後に協会を批判して、石もて追われるように中国卓球界から離れ、89年に日本人男性と結婚。92年に日本人に帰化して、その年に全日本選手権で初優勝。この時は28歳になっていた。もしもっと若い時に日本に来ていたら何回優勝したのだろう。

 念願の五輪には日本代表として出場して、1996年アトランタと2000年シドニーに出場。ベスト8止まりでメダル獲得はならなかった。
 全日本の合宿でも女子では小山の相手にならず、本人も練習相手は男子選手を希望していた。当時、全日本選手権のベスト8の男子選手にも練習ゲームで勝っていた。
 女子の日本チャンピオンで世界のベスト8くらいの実力を持っていると、男子の日本ベスト8に勝ち、ベスト4くらいの選手と良い勝負をするのか・・・。現在、男子のレベルは高いからその目安では難しいかもしれないが、そういう勝負も見てみたいものだ。 (今野)*文中敬称略
  • 8回の優勝を誇る小山ちれ

【速報】あえて言おう。将来的にジュニア種目は切り離せ

2016/01/07

 全日本選手権にはなくしてはいけない伝統もあるだろうが、あえてなくしてしまう伝統も必要ではないのか。
 将来的にジュニア種目は切り離すべきだと思う。昨年から全日本選手権は7日間になった。この大会に関わる人、つまり運営する大会関係者やコーチ、選手にとって7日間は長い。全体の参加人数を絞るか種目を減らすしか日程を短くする方法はない。
 また最近は小学生・中学生・高校生が複数の種目に出場しているケースは多い。ジュニアに出て、ダブルスや一般のシングルスに出る選手は多くいる。中には試合スケジュールが過密になる選手も出てくる。

 将来的にジュニア種目は全日本選手権から外すべきだと思う。そして、新たに「全日本ユース選手権大会」を創設して、今バラバラになっているホープズ・カブ・バンビ・13歳以下・14歳以下とジュニアを合体するべきではないか。もちろん13歳以下と14歳以下を別にする必要はない。

・ジュニア(17歳以下)
・カデット(14歳以下)
・ホープス(12歳以下)
・カブ(10歳以下)
・ バンビ(8歳以下)

 この5種目をユース選手権の中でやればいい。もしくは4種目に絞っても良いのではないか。今のようにジュニア、カデット、ホカバを切り離して開催する理由はない。
 昔からジュニアを全日本選手権で組み込んでいたという歴史はあるだろうが、今の現実に即していない。今はジュニア以下の種目ができているのだから、ジュニアだけを一般種目と一緒にやる必要性は全くないのだ。
 日本卓球協会の理事の人たちには大会(事業)全体を見直す俯瞰(ふかん)の目を持っていただきたいものだ。(今野)