00年代、中国卓球の「龍虎」と呼ばれたのが、馬琳(マ・リン)と王励勤(ワン・リチン)。01・05・07年と三度、世界選手権男子シングルス王者となったのが王励勤。対する馬琳は、99・05・07年と、三度、男子シングルス決勝で涙を呑んだが、08年北京五輪では悲願の金メダルを獲得した。
この時代の中国の覇権を争った二人は、05・07年世界選手権決勝や、08年北京五輪準決勝を始め、数え切れないほどの名勝負を繰り広げた。卓球史に残る名ライバルと言えるだろう。13年末に揃って引退を発表した両雄だが、その人気は日本でも未だ根強い。特に馬琳の緻密でダイナミック、そして時にトリッキーなペンホルダーのプレーは、われわれ卓球ファンの心に鮮烈に残っている。
そんな馬琳モデルのラケットが、現在に至るまでロングセラーとなっている。馬林シリーズ第一弾である『馬林カーボン』が登場したのは05年。発売から既に10年以上が経過したが、数あるヤサカラケットの中でも人気アイテムの座は不動だ。今回はこの『馬林カーボン』の魅力に迫ってみよう。
『馬林カーボン』
価格:¥9,000 +税
グリップ:FL・ST・中国式ペン
合板構成:木材5 枚+カーボン2 枚
板厚:5.7mm
99年世界選手権男子シングルスで決勝に進んだ馬琳。その手に握られていたのは、ヤサカの名品『ガシアン エキストラ中国式』(廃番)だった。古くより中国代表選手の間で絶大な人気を誇っていた、スウェーデン製ラケットである。
長らくヤサカラケットを愛用していた馬琳だが、2005年に正式にヤサカと用具契約を結んだ。その年、世界選手権上海大会で握り、2度目の決勝に進んだラケットが、新たに馬琳のために開発された『馬林カーボン』なのである。
ところで、ここまで選手名は馬琳、商品名『馬林カーボン』と、表記が異なることが気になった人も多いのではないか。本名は「馬琳」なのだが、琳は女性の名前に多く使われる文字ということで、本人が「馬林」とサインすることから、ラケット名では「林」が採用されたという理由だ。
話を戻そう。05年末に一般発売となった『馬林カーボン』は、瞬く間にベストセラーとなった。これほどの選手の名を冠したモデルが売れないわけはない。ただ、そのセールスはヤサカの予想を上回り、嬉しい悲鳴を上げた程だったという。そして卓球王国2007年2月号で発表された、第1回「ベストギア・オブ・ザ・イヤー2006」にて、『馬林カーボン』はペンホルダーラケット部門で『吉田海偉』(バタフライ)とともに同率首位のグランプリに輝いたのだ。
05年に続き、07年にも世界選手権で決勝に進んだ馬琳。90年代末から10年代初頭にかけて長く活躍した馬琳だが、中でも最も脂の乗った時期に本人が使用していたモデル。この『馬林カーボン』以前、そして以後は、馬琳はヤサカの木材ラケットを使用したのだが、なぜ彼が00年代中期にカーボンラケットを選んだのか。神業とも言える台上処理を重視し、パワーはラケットの弾みよりも体全体で出すという馬琳。それだけ聞くと、カーボンモデルは不向きのように思えるが……。この疑問に対する答えは、優れた合板構成にあった。
第2 回に続く
文=高部大幹
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