●─準々決勝はインドペアと対戦。メダルがかかっていることは意識しますよね。
倪 重要な試合なのはわかっていたけど、試合に集中するべきでした。結果は神のみぞ知る、よね。
●─卓球の神様は微笑んでくれましたね。
倪 そのとおりよね。
神様、ありがとう!(笑)。
●─スコアを見れば、完勝です。
倪 結果だけを見れば簡単な試合だけど、細かいところを見ていくと大変だった。インドペアはスロベニアでのWTTで中国ペアに勝って優勝していた。私たちは対戦したことがなかったし、サラーの経験も少なかった。世界選手権の雰囲気の中でプレーするのは簡単なことじゃない。だから自信もあったけど心配もありました。
サラーとの関係は、私が彼女のママで、トミーはパパのような特別な関係なのよ。サラーは私の息子と同じ年で、いつも私たちの家に遊びに来ていた。彼女は自分の子どものような存在なんです。
●─そういう関係で二人でメダルを獲るなんて素敵ですね。インドペアに勝って、メダルを決めた瞬間の気持ちは? 世界選手権史上、最年長の58歳のメダリストです。
倪 (笑)ハハーッ! とても素敵な瞬間でした。戦術的にもベストゲームだった。試合に集中していたから、最後のボールが床に落ちた時に初めて「本当に勝ったのね!」と感じ、信じられなかったし、お互いにハグして、キスして喜び合いました。サラーはまだ若かったし、ヨーロッパ選手権でメダルを獲ったことがあっても、世界の舞台は別物。彼女は過去にも大事な試合で緊張したり、力を発揮できなかったこともあったけど、今回は自分をコントロールしていたわね。自分自身と彼女を誇りに思っている。ルクセンブルクに帰ってきてからはお祝いの嵐よ(笑)。トミーと一緒に三人でハッピー、ハッピーで笑顔を振りまいているの(笑)。
●─ルクセンブルクのスーパースターになりましたね。
倪 そうね。人々に感謝されているし、ルクセンブルク生まれの選手と勝ち取ったメダルは価値があります。ルクセンブルクは「私たちの国は小さいから、これはできない、これも難しい」と考えがちだけど、「私たちはできるのよ、大丈夫!」と世界のトップクラスのレベルに行けることを示したかった。みんなが喜んでくれて、ハッピーになりました。
●─準決勝で敗れたけれど、表彰式であなたはルクセンブルクの国旗を見上げ、同時に母国の中国の旗を見ていました。
倪 とても感慨深かったわね。38年前と36年前に表彰台に立ったけど、いろいろなことを考えていた。38年前の表彰式では中国チームだった。優勝して、今回の王曼昱と孫穎莎と同じ場所に立っていました。
表彰式で急にその38年前の思い出が蘇った。でも、私は38年前よりも今の自分に誇りを持っています。私のパートナーは38年前と36年前は世界チャンピオン(郭躍華と曹燕華)だったけど、ヒューストンでは世界75位のサラーなのよ。ルクセンブルクの環境の中で私たちは練習し、中国と戦った。それは感情を揺さぶられるような経験でした。
●─あなたの活躍は中高年の人たちに勇気を与えたし、中国や日本とも違う、価値のあるメダルです。
倪 これは素晴らしいことでしょ? この国は素晴らしく、協会もサポートしてくれた。でも、ルクセンブルクには十分な練習相手もいない。私の技術は中国で覚え込んでとても高いレベルだと思うし、多くの経験を通して私のメンタルは強くなったと思う。私はいつも戦い続けているんです。
幸運だったのは私の夫は良きコーチであり、良き練習相手だったこと。私がメンタルが強いのと年齢は関係ない。年齢のことはいつも忘れている。いつでもベストを尽くすことが私の生き方なの。1本ごとに全力でプレーし、次のボールはどうやればいいのかを常に考えているだけ。
●─日本では3、4歳から卓球を始める選手も多く、中高年から卓球を始める人もいます。卓球は訓練を積めば早い年齢でトップ選手に勝てるケースもあれば、あなたのように卓球を愛しながら、58歳でも世界で活躍することができる。卓球らしい一面を見せてくれました。
倪 そのとおりですね。誰もが卓球を始める年齢がまちまちで、みんなそれぞれに正しい道があると思っています。私は学校に入って7歳で卓球を始めたけど、ヨーロッパではもっと遅くから卓球を始めて、非常に優秀な選手もいます。つまり、卓球というのは体だけではなく、メンタル、頭脳を使うスポーツだから、いろいろな才能が完成されないと良い選手にはなれない。
●─58歳でもあなたのエネルギーとモチベーションは落ちることがない。
倪 私自身は責任感の強い人間だと思っている。卓球だけではなく、自分の母親の面倒を見ることにも強い責任感を持っている。もし何かを決めたら、私はそこに100%集中してがんばります。クラブチームと合意して契約したら、私は責任を持ってベストを尽くしています。だからモチベーションが問題になることはない。
自分が納得したらベストを尽くす。ダブルスでも自分のパートナーに私の持っているベストの技術を見せたい。今回もパートナーは経験が十分ではなかったけど、私がベストを尽くすことで彼女にチャンスを作りたいと思っていました。お互いがそう思ったから、私はメダルという成功を得た。わがままでは駄目。自分のことだけを考えていたら成功できない。ダブルスでは常に協力することが大事なのよ。
中国時代、私は卓球のことだけ、自分の技術がどううまくなるかしか考えていなかった。コーチとの人間関係や周りの人との関係など考えず、社会的なことはあまり興味がなかった。でも26歳で中国を離れ、長い間にいろんな経験をして、人それぞれの悩み、長所と短所や人間関係があることを悟りました。卓球の練習でも、環境でも政治でも、良い面と悪い面があるものだと。
私はこれからもチャレンジしていきたい。人生を楽しんでいきたい。チームがもし私を必要とするなら、卓球は続けていきます。誰かが難しいと言っても、挑戦していくのが自分の性格なんです。
●─あなたの人生にとって、卓球とは何ですか?
倪 卓球は特別なものですね。小さい頃はただ単に「将来、卓球選手になりたい!」と思いながら、人生は変わり続けた。中国が開放され、私はドイツに行き、すぐにルクセンブルクに移り、今の夫トミーと出会った。人生は何が起こるかわからない。でもね、卓球にはとても感謝しているの。たくさんの人と出会い、友だちもでき、人生がとても素晴らしいものになったんだから。
倪 ありがとう。もっともっと卓球で活躍してください。
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中国で卓球を始め、栄光の中国代表チームの一員として倪夏蓮は世界で優勝した。中国代表になること、世界選手権に出場することが誇りであり、代表になったら金メダルを獲ることは「使命」だった。
ルクセンブルクに移ってからの彼女にとっての卓球は楽しみであり、生活そのものだった。倪夏蓮にとって人生を楽しむことは卓球を楽しむことだ。そして、いつも全力で戦う彼女に卓球の神様は微笑んだ。
19歳でもらった世界の金メダルよりも、58歳で胸にかけた銅メダルのほうが輝いているように見える。60歳を過ぎてもオリンピックに出場し、世界の舞台で活躍する倪夏蓮を見てみたい。勝っても負けてもベンチに戻り、最高の笑顔を見せる女性アスリート。年齢なんか関係ない。卓球を楽しむ心がある限り。
(文中敬称略)■ (卓球王国2022年3月号より)
倪夏蓮●ゲイ・カレン/ニ・シアリエン
Ni Xialian
1963年7月4日生まれ、中国・上海出身。1983年世界選手権で団体・混合ダブルスで優勝。1985年世界選手権で女子ダブルスで準優勝。その後、1989年にドイツに渡り、翌年ルクセンブルクに移り、ヨーロッパ選手で2回優勝、ヨーロッパトップ12で3連覇。五輪は5回出場。世界ランキングは最高位4位(1998年)。2021年世界選手権ヒューストン大会の女子ダブルスで銅メダルを獲得した。世界ランキング40位(2023年8月2日現在)
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