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インタビュー

「おばあちゃん」はWTTのチャンピオン。還暦を迎え、孫もいる倪夏蓮の勇躍「卓球にはとても感謝している」

2021年世界選手権ヒューストン大会の女子ダブルス。ルクセンブルク女子初のメダルを決めた倪夏蓮と、娘同様の付き合いのサラー・デヌッテ(真ん中)、右端は夫でありコーチのトミー・ダニエルソン

 

激動の卓球人生。

「人生は何が起こるかわからない。

でもね、卓球にはとても

感謝しているの」

 

●─長く卓球をやってきて、卓球はどういうスポーツだと思いますか?

 卓球には感謝しているし、卓球はすべての人が好きになるスポーツだと思う。その人のレベルでプレーできるし、いろんなプレースタイルで楽しめる。人によって速い卓球もできるし、ゆっくりとした卓球もできるし、プロとしてもできるし、ホビーとして楽しむこともできる。若い人も高齢の人も楽しめるし、とても奥が深くて頭を使うのでまるでチェスのようなスポーツよね。

 私自身、ルールやボールが変わってもそれに適応しようと思ってきた。でも時々、私の古い技術が出てくる時があるの(笑)。私はね、今でも挑戦を続けている。生き延びなければいけないから(笑)、今でも卓球を改良しようとしているんです。

 

●─こんなに長く活躍できるあなたの秘密はなんですか?  

 私はね、ポジティブ思考のハッピーパーソンなのよ。それに賢さも必要よね。その賢さは生まれつきのものではなく、私は夫、子どもたち、家族、友だちから多くを学んだ。正直であること、感謝を忘れないことが大切だと思います。私は試合で負ければ相手を認める。相手の強さに嫉妬することもなく、「あなたは私より強かった。次は私ももっと良くなるように頑張る」と思える人間なのよ。

 

●─あなたにとって5回目の五輪、東京大会は開催できるかどうかも難しい状況でした。

 コロナ禍の大変な時にあれほどの大きな大会を成功させた日本に感謝しています。選手によっては一生に一度のオリンピックかもしれないし、私にとっても東京五輪に出るのは夢のようなことだった。日本の人たちの献身的な仕事のおかげで私の夢は実現しました。

 

●─2回戦では韓国の申裕斌に大激戦の末に敗れましたね。

 良いプレーはできたけど、実際には1本の差で負けたと思っています。1ゲーム目は11-2で簡単に取り、2ゲーム目は2回のゲームポイントを自分のものにできなかった。もしそこで取っていたら、3ゲーム目も取っているので、3-0とリードし、試合の流れを自分のほうに持っていけたと思います。運もなかったし、気落ちもしたけど、試合では何が起こるかわからないし、相手も強かった。この試合から私は多くのことを学ぶことができたし、この結果によって私はまた前を向いて歩いていこうと思いました。

 

●─コートに立っている時に、お互いの年齢のことは考えなかった? 申裕斌は17歳、あなたは58歳で40歳以上の年齢差がありました。

 自分の年齢はいつも忘れてるのよ(笑)。韓国は国内でも練習相手が多いし、申裕斌も男子選手を相手に練習していると知っていました。そういうことは不利な要素だけど、私はテンションを上げつつも、冷静に彼女と戦おうと思っていました。 

 

●─オリンピックのあとに、ヒューストンでの世界選手権に向けて気持ちをスイッチすることはできましたか?

 休暇を取り、リラックスして、敗戦を忘れようとしました。一方で、自分は高いレベルで戦えたという自信もあった。でも、疲れていて、大会後に自分は卓球を続けるべきかどうかも考えていた。でも、結論が出る前に9月にすぐヨーロッパ選手権があって、チームは私を必要としていたので前のように卓球を考える生活になっていて、その時から「もっと良い成績を」ということだけ考えていました。

 ヨーロッパ選手権ではロシアを破って、ベスト8に入り、22年世界選手権(団体)成都大会の出場権も得ることができた。その後、WTTチュニジアとスロベニアの大会に出て、ヒューストンへ行く予定だったけど、10月20日に母が転倒して、頭から血を流して2週間入院しました。退院後、母は自分で自分の世話をできなくなったので、介添えが必要だった。それはヒューストン出発前の出来事で、私はチュニジアでのWTTに向かっていた時に母の入院を聞いて、試合をキャンセルして、すぐに家に戻りました。命に別状はなく、状態が安定していたので、ヒューストンに出発する3日前に、大会の参加を決めました。

 母はもう90歳だから、もし大会期間中に母に何かあれば私は罪悪感に襲われてしまう。毎日SNSで顔を見ながらコミュニケーションを取れたので、ヒューストンでは試合に集中できました。

 ヒューストン大会の前にWTTスロベニアに出て、初戦は良くなかったけど、だんだん調子を上がり、準々決勝では中国の王芸迪に勝った。私は大事な局面でのプレーの仕方をオリンピックの敗戦から学んでいた。王戦でも最終ゲームの9-9から2本連取して、試合を決めた。王芸迪はとても強い選手だし、中国選手団はショックを受けたと思う。「もう一度中国チームに戻りましょうか」と言いたかったわね(笑)。 

 決勝で劉瑋珊(中国)に負けたけど、スロベニアでの試合は私に自信を与えてくれた。そのまま自宅に戻り、母の状態を見て、大丈夫そうだったので、最終的にヒューストン行きを決めたんです。

 

●─ヒューストンのシングルスでは再び王芸迪と対戦し、敗れました。

 彼女はスロベニアの時より相当良くなっていたし、分析されていると感じました。この試合前にダブルスでチャイニーズタイペイペアに激戦の末に勝っていて、最終ゲーム、2-9とリードされ、8-10から2度のマッチポイントを握られながら逆転して勝った。王芸迪に負けたあとは気持ちを切り替えてダブルスに集中しました。

 香港の杜凱琹/李皓晴も強いペアだったけど、パートナーのサラー(・デヌッテ)も好調だったので良い感じでプレーできた。最終ゲーム、7-4だったのに4本連取され、7-8となったところでタイムアウトを取り、そこから4本連取して逆転勝利! ハッハーッ!(笑)。

 

●─あなたは記憶力もいいですね(笑)。

 これは記憶しておかなきゃいけないことでしょ?(笑) どのように勝ったのか、どのように負けたのかは。もちろん忘れることは多いのよ。でもこの試合は私の人生の思い出になるわね。

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