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今野の眼

37年間の「赤・黒」から「色の自由化へ」。卓球の何が変わっていくのか

 

1983年世界選手権東京大会での笵長茂。中国のペン表ソフトは当時はブルーラバーだった

 

同じく1983年東京大会での蔡振華。両面黒色で、フォアに粘着性裏ソフト、バックにアンチラバーを貼り、サービスもラリーでも頻繁に反転した

 

昔は自由だったラバーの色は

1983年のルール変更で色は黒と赤になった

 

もともと卓球のラバーの色は白でなければ、何色でも良かった。

1970年代までは日本の裏ソフトと言えば、「赤」がメインで、1983年のルール変更以前は、日本のシェークハンドの選手は両面赤が主流。ところが、70年代に中国選手が反転技術を使い、黒いラバーで裏ソフトと粒高、裏ソフトとアンチラバーを組み合わせるようになると、赤いラバーが主流だった日本でも黒いラバーが発売されるようになる。それまでの日本では例えば有名な『スレイバー』『マークV』でも赤色しかなかった。

1980年前後にヤサカから『ブラックパワー』なる黒色のみのラバーが発売されたが、当時ヤサカの関係者に聞いたら「このラバーは黒い『マークV』だ」と言われて妙に納得したものだ。またマークV』には一時グリーンもあったし、同じヤサカから『トルネード』という琥珀色のラバーが出ていて、これは顔料を加えない、純粋な天然ゴムの色だった。

また、タマスから1970年代に出た『タキネス』はボールが持ち上がるほどの強粘着が売りで、黒色のみの販売だった。

 

中国では、昔からなぜかブルースポンジが多く、そのスポンジに赤いラバーを貼ると下のブルーが反映して、エンジ色になった。ラバーの上の部分のトップシートはゴムが半透明なので、下のスポンジの色が透けて見えるのだ。

また中国のペンホルダー表ソフトの選手は当時はほとんどが青色のラバーを使っていた。「中国速攻=青色のラバー」のイメージだった。

1983年世界選手権の大会期間中のITTF(国際卓球連盟)総会で、「両面にラバーを貼る場合は異色でなければいけない」というルールが決まり、翌84年から実施され、のちにラバーは赤と黒だけに限定された。

それまでは両面黒色で、性質の全く異なるラバーを貼り、クルクル反転させながらプレーするために、観客が見ても、「選手がなぜ、ミスしたのか」がわからずに「見てもつまらない卓球」になり始めていたのだ。

そこで両面の色を変えてしまえば、相手も観客も、「今のは粒高だ」「あれは裏ソフト」とわかるようになる。現実には、効果が激減した異質反転型のスタイルはほぼ消滅していくことになった。

 

両面異色のルールから37年間、世界の卓球は「赤・黒ラバー」の時代だった。

数年前から降って湧いたように「カラフルなラバーの導入」がラバー製造会社とITTFから持ち上がった。そして、2019年のITTF総会で、2020年東京五輪以降に「ラバーの色の自由化」となり、「カラーラバーを使う場合は片面は黒いラバーを貼ること」と規定された。

東京五輪の1年延期に伴い、2021年の東京五輪後の10月1日からカラーラバーは解禁となる。そして、ピンク、バイオレット、グリーン、ブルーの4色が決まった。白いボールを使う場合に、イエローや薄いブルーではボールが見えにくいために、この4色に落ち着いた。

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