卓球王国 2021年10月21日 発売 vol.295
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「変えて」強くなる 齋藤清「意識革命で変えた4つのこと」

<卓球王国2011年10月号より>

あなたの潜在力は眠っている

「変えて」強くなる

1983年世界選手権東京大会で準々決勝に進み、蔡振華(ツァイ・ジェンホア/手前)に接戦の末に敗れた齋藤清

 

齋藤 清

全日本選手権8度優勝

Kiyoshi Saito

 

26歳の時に「変えた」四つのこと

私が選手時代に「変えた」のは、26歳の時である。

 

当時私は日産自動車に所属し、89年のドルトムント(ドイツ)の世界選手権でプレーしたのだが、今まで頑張ってきた自分の卓球を諦め、卓球に対する考え方を改革し、新たな卓球に取り組む覚悟を決めた。シングルスでベスト16に入り、満足のいく試合内容だったが、世界のトッププレーヤーと比較すると寂しさを感じた。自分が超ファインプレーをして決まったと思っても、相手はさらにその上を行くファインプレーをして盛り返してきた。「今のままではダメだ、今のままでは世界で勝てない」という結論を自ら導いたのだ。

切磋琢磨して12歳から始めた自分の卓球がここまでかと思うと失望感を感じた。

まずは、卓球に対する意識革命が必要と思った。26歳という、選手生活としては後半にさしかかっていたので、心配と不安があったが後悔はなかった。まさにゼロからの出発といって良かった。

意識革命で変えたことは四つある。

まず、ひとつ目が、練習方法・内容を変えた点である。特に実戦を想定した練習をすることに努めた。これには二つの狙いがある。ひとつは全面を使ってのボール処理技術と対応力を身につけ、守備と攻撃ができるようにすること。もうひとつは実戦を想定したシステム練習の導入である。当時すでに高い基本技術を持っていたので、決まったコースでの基本練習に割く時間よりも、全面を使ってのボール処理技術・対応力・フットワーク、実戦を想定したシステム練習に多くの時間を使った。体・足の使い方がわかり、反応力・判断力が早くなった。今では、当たり前のような練習になっているかもしれないが、当時としては画期的なものだった。規則的な練習ではなく、不規則性を多く取り入れた練習だった。

改革のふたつ目は、ラバーと接着剤を変えた点である。ヨーロッパ選手はほぼ全員が使っていたが、アジアでは一部の選手しか使っていなかったスピード接着剤を使い始めた。ラバーも長年使っていた皮付きから、皮なしのものにした。これはより接着剤の効果を出すためだった。この用具の特性をつかんで、生かす技術、生かす打法、生かす力の入れ方を会得しようとした。用具を変えたことにより、小さいスイングで強打ができたり、インパクトの瞬間に力の入れ方で強打とブロックの使い分けができたり、ボールのスピード、威力、回転が以前より増したように感じた。

三つ目が、打法を変えた点である。今までは垂直方向のスイングが主だったが、それを水平方向の打法に変えた。台上のボールが体を使って踏み込みながら強打できたり、打球点を下げても強打できたり、プレーの幅が広がった。当然のことながら、用具と打法はセットであって、用具を変えたからこそ打法も変わった。打法を変えることにより技術の幅が広くなった。

四つ目が、バック系技術の向上だった。主に守りの技術、ショートのブロック技術を強化した。試合で多く攻撃されるパターンが、フォア前からのバック攻撃だったが、前陣でのバックショートのブロックが完璧になったことで、プレーに余裕ができ、その後の攻撃を有利に進めることができた。後陣からのバックハンドも威力を発揮した。技術が進歩したことは自分としてはうれしかった。