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白球の聖地〜 バタフライ卓球道場物語 vol.2 「まず一番に道場でやりたい。 水谷隼=バタフライだと 思っていますから」

新しく生まれ変わったバタフライ卓球道場

 

卓球の撮影となったら

まず一番に道場でやりたい。

水谷隼=バタフライだと

思っていますから

●水谷隼

2002年バタフライ卓球道場で行ったマリオ・アメズィッチ講習会に参加した中学1年生の水谷隼

 

 

バタフライ卓球道場の恵まれた練習環境は、トップ選手のためだけに開かれているわけではない。地元のレディースや卓球愛好家にとっても、貴重な練習場所だった。

1987年5月13日、このバタフライ卓球道場をホームグラウンドとして産声をあげた『らくご卓球クラブ』。結成当時の35人のメンバー全員が落語家という異色の卓球クラブは、監督に林家こん平(故人)、コーチに三遊亭小遊三というお茶の間の人気者を据え、現在に至るまで毎週月曜日に練習を行っている。「芸人さんは土日は忙しいから月曜なら」と、10時から16時までをらくご卓球クラブに開放したのはバタフライ卓球道場を設立した田舛彦介の心遣いだった。

 

「この道場がなかったら、らくご卓球クラブなんてそもそも成立しなかった。練習環境はもう最高ですよ。結成当時は伊藤繁雄さんや長谷川信彦さんが指導してくださって、道場は一流、コーチは超一流、それで選手は四流……四流までいきゃあいいんだけど」。山梨県チャンピオンの実績を持つ三遊亭小遊三は、歯切れよい語り口で語る。「すごい卓球クラブでね、世界チャンピオンのコーチのアドバイスを聞かないんだ。でも本当に、ここは卓球をやるには一番良い環境ですよ」。

2022年で結成から35周年を迎えるらくご卓球クラブ。今では落語家のみならず、芸能界を中心に様々な業種の人々が集い、真剣に、そして楽しくボールを打ち合う。

毎年1月に行う『初打ち会』は、卓球界の恒例行事として多くのテレビ局が取材。らくご卓球クラブの一員で、94歳までバタフライ卓球道場でボールを打ち続けた松尾寿鶴(故人)も「卓球おばあちゃん」としてたびたびテレビに取り上げられた。国際大会での日本の成績が伸び悩み、メディアに取り上げられる機会も減っていた当時、らくご卓球クラブは卓球界にとって数少ない明るい話題のひとつだった。メディアを通じた情報発信という点では、バタフライ卓球道場は卓球というスポーツにとって、最高の「スタジオ」にもなった。

バタフライが1957年から発行し、全国の中高生プレーヤーのバイブルと言われた『卓球レポート』(2018年からウェブ版に移行)。その誌面ではトップ選手たちが、連続写真によって世界最高峰のテクニックを披露した。撮影はバタフライ卓球道場で行われることが多く、世の中高生の多くが卓球レポートを通じて、「白球の聖地」であるバタフライ卓球の存在を知った。

 

韓国の劉南奎(1988年ソウル五輪金メダリスト)や金擇洙(1998年アジア競技大会優勝)、ドイツのティモ・ボル(2011・21年世界選手権大会3位)、中国の孔令輝(2000年シドニー五輪金メダリスト)や張怡寧(2004・2008年五輪2連覇)、張継科(2012年ロンドン五輪金メダリスト)。卓球レポートの取材と撮影でバタフライ卓球道場を訪れたスター選手は数え切れない。

2020年東京五輪・卓球競技の混合ダブルスで日本に五輪初の金メダルをもたらした水谷隼にとっても、バタフライ卓球道場は思い出深い場所だ。

東京五輪での快挙で、今やテレビで見ない日はないほどの人気を誇る水谷。卓球を披露するテレビの撮影は、慣れ親しんできたバタフライ卓球道場で行うことが多い。「卓球の撮影となったら、まず一番に道場でやりたい。自分にとってのホーム、水谷隼=バタフライだと思っていますから」と水谷は語る。

 

一球入魂のチャレンジから奇想天外な「曲打ち」に至るまで、テレビを通じて卓球の魅力や奥深さを伝え続ける彼は、まさに卓球の「アンバサダー(大使)」。「バタフライ卓球道場は、都内では最高のプレー環境だと思います。宿泊施設もあるし、きれいにリニューアルされて、中高生の合宿には最適です。練習や撮影でやって来るトップ選手に会えるのも楽しみのひとつかもしれませんね」(水谷)。

ちなみに水谷の「道場初体験」は小学5年生の時。全日本選手権大会ジュニアの部に初出場する彼は両親と別れ、面識のない高校生たちに混じってひとり、大部屋に寝て、フロアでボールを打ち合った。卓球界注目のスーパー小学生も、さすがに心細い思いをしたことだろう。日本卓球界の至宝と言われた天才左腕、「水谷隼物語」の貴重なプロローグだ。

 

2002年の新春初打ち会に参加した元世界チャンピオンの伊藤繁雄さん(左)と長谷川信彦さん(右・故人)。指導者としてバタフライ卓球道場の発展に貢献した