<卓球王国2011年4月号より>
All Japan Champion Interview
東京・明治大学(当時)
全日本で男子史上初の5連覇を成し遂げた水谷隼。
5回の優勝の中で、今回の勝ちっぷりは特筆すべき強さだった。
その力を誇示するかのような試合内容とコメントに、
彼自身が込めたものは何だったのか。
日本のエースとして勝つことを義務づけられた
水谷隼の本音に迫った。
インタビュー=今野昇
写真=高橋和幸・江藤義典
これが世界ランキング7位の力というものか。世界という舞台でも他の日本選手を大きく引き離している水谷隼が、実力どおりのプレーを見せた。シングルスの全6試合で失ったゲームは2ゲームのみ。競り合う局面もなく、ただただ「強い水谷隼」を見るための全日本だった。
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――全日本選手権を戦い終えてどうですか?
水谷 一瞬で終わりましたね。今年は終わって、ちょっと淋しさがある感じです。達成感は全くない。むなしい感じ。周りはぼくが負けることを期待していると思う。年々、ぼくが負けることを望む選手や関係者が増えてるんじゃないかなという空気を感じます。今年はそういう中で優勝したことで、今は呆然としていますね。
――今までの4回は充実感や達成感や喜びはそれなりにあったと思うけど、今年は違う?
水谷 去年は、岸川さんや(松平)健太も国際大会で良い成績をあげて、大会前の予想や周りの評価も、「水谷を倒すのはあの二人だろう、健太が上かも」という感じだった。ぼく自身も「健太のほうが自分より上かも」という思いがある一方、「そんなわけない」という気持ちで戦って、そういう中で優勝したので「やったぜ」という達成感があった。
去年は「4連覇は重いし、価値があるから、優勝しろよ」というプレッシャーの中で勝ち抜いた。今年は周りがぼくの優勝を疑うことがなかったし、5連覇するにしてもどういう内容になるのか、勝ち負けよりもどういう勝ち方をするのかと内容を問われていた。
全日本前にプロツアー・グランドファイナルで優勝できて、アジア競技大会が3位、ワールドカップで4位ということで充実していた。格下の選手に負けることもなく、ボルやサムソノフに勝つことができた、良い1年だった。
――モスクワ大会(世界戦)は充実していたと思うけど、後半の半年もパワーアップしていたのでは?
水谷 中国の超級リーグに参戦して、レベルの高い選手と試合をしていく中で、日本でできないような経験をして、自分ではわからないけど、そこで力をつけたと思う。その後、プロツアーはハンガリーで優勝して、次のオーストリアで健太に負けた。どの大会に合わせるというよりも、連戦だったので、とにかく常にすべての大会で格下の選手には負けない、すべての試合で最高の準備をしようと思って、精一杯戦った。その積み重ねが去年の結果だったのかなと思います。
――12月のグランドファイナルの優勝は自信になったでしょ?
水谷 中国はいなくても強豪選手がたくさんいて、でも自分ならやれるなという自信はあった。誰にでもチャンスは巡ってくると思うけど、ぼくにとってのチャンスはそのグランドファイナルだった。自分の力を発揮すれば優勝するチャンスがあったので、それを逃さなかった。
――そういう連戦の中で迎えた全日本というのは?
水谷 全日本は自分の中で特別な大会です。グランドファイナルで優勝して帰ってきても、空港にはマスコミの人はいなかった。でも全日本には大勢のマスコミが来る。その差が、全日本という大会を表している。注目度はグランドファイナルよりも高い。ここで史上初の5連覇を狙うわけだし、大会に賭けるという思いはあった。
――でもグランドファイナルで優勝したのにこれかよ、みたいな怒りはなかった?
水谷 注目されるために卓球をやっているわけじゃない。本当の卓球ファンは、「(グランドファイナルの)優勝おめでとう」と言ってくれて、そういう人がいてくれるだけで十分うれしい。卓球を知らない人に取り上げてもらわなくても何とも思わないです。
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