卓球王国 2021年7月20日 発売 vol.292
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インタビュー

株式会社ファーストの浜野浩社長が行う「卓球選手の居場所作り」とは

岸川聖也、松平健太、大矢英俊という日本代表選手が所属し、吉村真晴(愛知ダイハツ)をサポートする株式会社ファーストは、東京の江戸川区に本社を置き、OA機器を扱う社員120名の企業。近年では都内に2つの卓球スクールを開校するなど、卓球事業も手掛けている。

地域密着をげる同社が、なぜこれほどまでのトップ選手を抱え、卓球に力を入れているのか。そこには、代表取締役社長の浜野浩の強い思いがある。

 

 


岸川君が入ってチーム力が上がりました。

ファースト卓球部としては実業団優勝を目標にしています。

 

●浜野社長が卓球を始めたきっかけを教えていただけますか。

中学に入学して本当は野球部に入りたかったんですが、なかったので卓球部に入りました。最初の試合で江戸川区でベスト8に入らなければやめとうと思っていて、1年の新人戦で2位になれたので、そこから卓球に熱が入りました。

中学では顧問の先生はいましたが、卓球は素人でしたので自分たちで工夫しながら練習していました。中学時代は勉強もせずに部活に熱中して、部活のない日曜日や祭日も他の学校の人たちと練習していましたね。中学3年の最後の試合では東京でベスト32。あと1歩で関東大会に行くことができませんでした。

 

●高校では関東大会に出場していると聞いています。

千葉県の八千代松陰高に進学しました。学校はできたばかりの新設校で、私は3期生。卓球部は県大会にも出たことがなく、私の年代で初めて県大会に出るようなチームでした。3年の時に団体戦で県優勝して、ダブルスも2位になって関東大会に出場することができました。

入学時は私も含めてチームメイトも全然強くなくて、魂で向かっていって勝つようなチームでしたね。県で優勝したことで学校も評価してくれて卓球場を作ってくれましたし、卒業後に後輩たちがインターハイに出場してくれました。

高校時代はやりがいがあったし、私の代から県大会に出場した無名のチームでしたから、勝ち抜いていく喜びもありました。高校時代が一番卓球をがんばった時期でしたね。

何より、私の代で終わるのではなくて、その後に後輩たちが受け継いてくれてインターハイに出るような学校になって、その先人を自分たちが切ることができたことがうれしいですね。

●大学でも卓球を続けたのでしょうか。

千葉商科大学に行って卓球部に入りましたが、高校時代に比べると正直、卓球熱は落ちていましたね。当時は関東学生の4部で、3部に上げて優勝まで持っていきましたが、入れ替え戦に勝つことができずに2部に上がることはできませんでした。

個人の成績では、リーグ戦では単複で17勝7敗。自分で言うのもなんですが、勝負所の場面のほうが勝ち星が多かったですね。

大学卒業後は金融機関に就職しました。卓球部もあって入社すぐに金融機関の関東大会の予選に出て通過。会社初の関東大会出場の切符を手にしましたが、本戦が行われる前に退社したので出場できませんでした(笑)。4カ月での退社でしたね。

ある程度わかっていたことでしたが、年功序列型の賃金が嫌だったのと、このまま仕事をしていても10年後、20年後の自分の姿がイメージできてしまったので辞めました。

その後に親族が経営するOA機器の会社に入りましたが、従兄弟と喧嘩して1年で辞めました(笑)。

その時に一緒に辞めた先輩社員と仕事を始めましたが、その先輩がアル中でまったく仕事をしてくれなくて(笑)。 そのため自分ですべてやらなければいけなかったので、今思えばあの次期にすごく力がつきましたね。

●株式会社ファーストを起業したのはいつですか。

今から30年前、26歳で企業しました。最初は名刺には「株式会社ファースト」と書いていましたが、実際には六畳一間のワンルームマンションを借りて、電話機とコピー機を1台置いたところからのスタートでした。

起業してからは仕事に没頭していたので、しばらく卓球からは離れていました。時々昔の卓球仲間から誘われて町の試合に出ることはありましたが、まったく練習はしていませんでした。

卓球再会のきっかけは、うちの会社に入社した大学時代の卓球部の後輩から「卓球部を作りたい」という言葉を聞いたことがきっかけです。それでも地元江戸川区の大会に出る程度の活動をしていただけでしたが、2011年度に早稲田大学卓球部の浅沼慎也君が入社したことで、全日本実業団の予選に出場することになり、本戦にも出るようになりました。

その後に縁があって岸川聖也君との出会いがあり、彼がファーストの所属になったことで一気にチームも強くなり、実業団でベスト8に入ることができて、日本一を目指すようになりました。


全日本実業団選手権でのファーストベンチ。左端が浜野社長

 

 

●岸川選手との契約後に浜野社長の卓球に対する思いが変わったとお聞きしています。

岸川君と出会ったことで、本格的に選手のことを考えるようになりました。当時は、まだ日本にプロリーグもなかったですし、卓球選手の居場所があまりないと感じて、なんとか居場所を作ってあげられないかという思いが湧きました。それで、卓球をがんばっていた選手を社員として採用したり、トップ選手との契約やサポート、卓球場を作るなど卓球事業に力を入れるようになりました。

会社もグループ全体で120名とある程度大きくなり、私としては学生時代に夢中になり、貴重な経験や多くの友人と出会えた卓球に恩返しをする機会が来たのだと感じて、卓球事業を行うことを決めました。それが、選手のためになり、卓球界や地域社会の貢献につながればと思っています。

ファースト卓球部として、実業団選手権では日本一を目指していますが、それよりも選手が活躍する場所を作ってあげたいという気持ちが上です。その結果で優勝できたらうれしいですね。なんといっても選手の居場所を作ってあげることが一番の目的です。

 

●卓球スクールも東京の有明と平井に2カ所オープンしていますね。

卓球スクールを作った理由は、卓球枠で採用した社員の居場所を考えた時に、卓球スクールを作ってあげるのがいいと思ったためです。

子どもから年配の方までを教えている社員が、生徒さんから感謝の言葉をもらっている姿を見ていると、やりがいを感じています。まだまだ卓球事業は厳しくて赤字ですが、だからこそやりがいを感じています。

全日本社会人選手権で大矢選手にベンチでアドバイス

 

●浜野社長は全日本実業団選手権でもそうですが、個人戦でも岸川選手や全日本社会人で優勝した大矢英俊選手などトップ選手のベンチに入っています。そこで何か感じたことはありますでしょうか。

彼らのようなトップ選手と一緒になって戦うことは非常にタフで疲れますが、私が知らなかった領域なので新たな経験を受けています。

ベンチではたくさんの思い出がありますが、岸川君がファースト所属になってすぐに行われた世界選手権の日本代表選考会で初めて彼のベンチに入り、そこで優勝してくれた時は感慨深いものがありました。もちろん、実業団選手権でのうちの選手たちのがんばりも毎回胸にこみ上げるものがあります。

大矢君も入社してすぐの全日本社会人で優勝してくれましたが、苦しい試合をともに乗り越えての優勝は格別のものがありました。彼は有明の卓球スクールで指導をしていますが、彼がビジネスマンとして力を付けて、卓球が事業が軌道に乗るようにサポートしていきたいと思っています。

 

 

●今後のビジョンをお聞かせください。

やはり卓球選手たちの居場所作りを確立させることですね。弊社は松平健太選手も所属になり、吉村真晴選手もスポンサードさせていただいています。TリーグのT.T彩たまもスポンサードさせていただいていますが、そうしたトップはもちろん、一般の卓球愛好家のみなさんの居場所も作りたいと考えています。

やはり、卓球をボランティアではなくて、きちんとビジネスにしていかなければ、選手たちの居場所を増やすことができないと考えています。ですので、ビジネスとしてきちんとさせたいですね。それが卓球の普及や地域貢献に繋がればとてもうれしく思います。