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インタビュー

デフ日本代表手話通訳・井出敬子さんに聞く「手話と卓球、伝えること」

 「手話通訳」という仕事を知っているだろうか。手話通訳とは「手話」の「通訳」ということばどおり、手話を介して、ろう者(聴覚障がい者)と聴者のコミュニケーションをサポートする役割のことである。

 公的資格の「手話通訳士」を保有する井出敬子さんは、日本ろうあ者卓球協会の手話通訳として、4年に一度開催されるろう者の世界最高峰の総合競技大会・デフリンピックに4大会連続で帯同。デフ日本代表を長くサポートしている。手話と卓球が幸せな関係で結ばれた、井出さんにとっての「手話通訳」という仕事について話を聞いた。

〈インタビュー・浅野敬純〉

■PROFILE

井出敬子(いで・けいこ)

1962年12月23日、東京都出身。小学生から卓球を始め、現在も週2回練習に通い、オープン大会などに出場。日本ろうあ者卓球協会の手話通訳として2009・2013・2017・2022年とデフリンピック4大会に帯同する


●「いつの間にか」日本代表手話通訳に

--今日はよろしくお願いします。まず、井出さんはどんな形で卓球を始められたんですか。

井出 卓球は小学生の頃からです。父が卓球をやっていて、家に卓球台がありました。父に教えられて、家の卓球台でピンポンから始めました。

 

--あ、じゃあ競技として結構ガッツリやられていたというか。

井出 うーん、ガッツリでもないですけど、中・高・短大と卓球部でした。社会人になって一度は卓球から離れるんですけど、子どものPTA関係で卓球サークルがあり、そこで再開して、今も続けています。

 

--いただいた資料によると、転勤が多い家庭で卓球と手話が転勤先でコミュニティを作るツールになっているそうですね。

井出 そうです。新しい土地に引っ越したら、まず卓球ができる場所と手話サークルを探します。

 

--手話との関わりっていうのは、いつ頃からあったんでしょうか?

井出 手話の前に「要約筆記」をしていました。要約筆記というのは、手話を主なコミュニケーション手段としない難聴者や中途失聴者に、音声情報を文字で伝える通訳のことです。病院に同行して、医師の話を書いて伝えます。

 また、当時は聴覚障害者の集い、障がい者福祉大会のような式典や大きなイベントに、OHP(オーバーヘッドプロジェクタ)を使い、手書きで書いた文字情報を会場のスクリーンに映し出していました。イベントにはろう者もたくさん参加していましたが、私はまだ手話がわかりませんでした。そこから手話サークルに誘われて、手話の世界に入っていきました。

 

--そこから、どんな経緯で(日本ろうあ者卓球)協会の手話通訳になったんですか。

井出 要約筆記を機に手話を勉強し始めたのが金沢にいた頃で、その後、何回かの転勤で、横浜に来た時です。4月に引っ越してきて、5月のGWにオープン大会に出場しました。そこで対戦したのが、ろうの選手でした。その出会いがきっかけで、一緒に練習して試合に出るようになりました。

 そのチーム内に日本ろうあ者卓球協会の事務局の方がいて、「会議とかも大変なので、少し手伝ってくれない?」と声がかかりました。その頃、手話通訳の資格はなかったんですけど「私にできることなら」とお引き受けして、そこからは本当に「いつの間にか」です。

現在練習に通うエーアールアイ卓球スタジオのみなさんと

 

--そうしたお手伝いから始まって、最初にデフリンピックに帯同したのが2009年ですね。

井出 そうですね、2009年の台湾(大会)が最初でした。そこからブルガリア(2013年)、トルコ(2017年)、ブラジル(2022年)と4大会に帯同しています。

 

--現地では手話通訳以外にもいろいろと業務をこなしているそうで。

井出 台湾の時は、ほぼ手話通訳だけでした。その時は通訳者が2人いましたが、次のブルガリア大会の時に渡航費の関係で帯同できるスタッフが少なくなり、手話通訳も1人になりました。スタッフの数が限られているので、私もできることをやるしかない。会計から球拾い、買い出し、なんでもやりました。それが今に至っています。

 

●頭は超高速回転、手話を介してのアドバイス

--手話でコミュニケーションが取れない監督、コーチがベンチに入る場合、井出さんが手話を通して選手にアドバイスを送りますよね。たった1分間で言葉を手話にしてアドバイスを伝えるって、ものすごく難しそうだなと思っていて。それこそ情報量も多いでしょうし。

井出 手話通訳になって15年ですが、この試合でのアドバイスが一番難しいです。1分間しかない中で、コーチも言いたいことが山のようにあるし、選手も確認したいことがあるし、考える時間もほしいだろうし。

 手話通訳は試合中はゲームとゲームの間しかベンチに入れないんです。だから、ベンチから少し離れたところで試合を見ていて、1ゲームが終わったら走ってベンチに向かいます。そこから通訳するので、実際は1分もない。あの1分間は本当にプレッシャーがかかります。

 

--やっぱり、手話でのアドバイスだと伝え方も変わりますか?

井出 コーチが話したことを手話で全部伝えようとすると時間が足りません。だから、言葉通り手話にするのではなくて、一度、頭の中で整理して、具体的かつコンパクトに、選手に一番届く手話で伝えるようにしています。その時間、頭の中は超高速回転しています(笑)。

 

--いや、話を聞くだけですごいです。想像がつかない。

井出 大変ですよ、ヤンさん(楊玉華・デフ日本代表コーチ)も熱が入っているから、とてもたくさんアドバイスしますし(笑)。あとはアドバイスを正確に伝えるために試合の流れを見て、選手が試合中に私の方を見た時に「大丈夫!」ってうなずけるように、視線もそらさないようにしています。

 

--監督やコーチによっても、伝え方って変わりますか。

井出 (前デフ日本代表監督の)須藤(聡美)さんはベンチでのアドバイスは短くて、選手にも話を聞くスタイルでした。だから、通訳としては時間的に余裕がありました。ヤンさんの場合は時間の余裕が全然ないですね。1分経って、審判が「ターイム!」って手をあげていても、アドバイスが続いている(笑)。

7月に台北で開催された世界ろう者選手権にも日本代表の手話通訳として帯同。左はデフ日本代表の楊玉華コーチ(写真提供:国際ろう者スポーツ委員会・中華台北ろう者スポーツ協会)

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