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世界卓球2024

ベンチでの伊藤美誠の見える存在感と渡辺武弘監督の見えない存在

メディアに対して「気の利いたコメントできなくてすいませんね」と頭を下げるような謙虚な渡辺武弘監督の存在

SNS上では盛んに日本女子ベンチでの伊藤美誠の挙動や、渡辺武弘監督の存在について意見が飛び交っている。

時計の針は夜の12時をとうに過ぎ、2月25日に進んでいた。中国との死闘を終えた深夜の1時前から始まった日本選手の記者会見で、ステージの上に選手名が入ったプレートが置かれていたが、監督のプレートはなかった。しかし、これは意図的なものではない。オリンピックでもこの手の会見では選手のみが登壇する。

記者が座る椅子の傍らに監督は佇んでいた。これはある意味、今回の日本女子チームを象徴する。渡辺監督は今までの歴代監督の中でもとりわけ自己主張しない、存在感を出さない人だ。テレビ映像でも、「選手の横にいるあの白髪の人は監督なのか」と視聴者にいぶかられながらも、実はこのチームにとって彼はなくてはならない存在だったのかもしれないと、日本チーム全体を見て思った。

渡辺武弘、62歳。福岡県出身、ペンホルダーサウスポーのドライブ型で全国中学校大会優勝、インターハイ三冠王、明治大に進み、全日本選手権優勝、1988、92年五輪日本代表、世界選手権代表、という輝かしい実績を持っている。

しかし、1991年に全日本チャンピオンになり、母体の協和発酵卓球部(現協和キリン卓球部)の監督を数年務めた後に、完全に卓球から離れ、子会社の酒類関係の営業で、全国を飛び回っていた。卓球に戻ってくるきっかけは2011年に中部大学准教授に就任してからだ。その後、馬場美香氏が全日本女子監督(現強化本部長)の時に、ナショナルチームのヘッドコーチを要請され、大学での仕事と並行して、強化本部に関わるようになった。そして東京五輪後に女子監督に抜擢され、大学は休職となっている。

選手時代の実績は十分とは言え、十数年間卓球界から離れ、その間、日本の卓球界、とりわけ女子選手の環境は大きく変わっていた。まさに彼は浦島太郎状態だった。なおかつ、トップレベルでの指導経験はさほどない。

しかし、彼の誠実で謙虚な人柄を疑う人はいない。今の日本女子は、それぞれが強力な母体を持ち、それぞれのチームを持っている。たとえば、早田ひなは「チームヒナ」と母体の日本生命、平野美宇、張本美和は木下グループ、伊藤美誠は「チームみま」とスターツという母体を持ち、それぞれのマネジメント会社がスケジュール、取材等の整理をする。

つまり日本女子チームは別会社の社長の集合体のようなもので、そこに現場での指導力を発揮できるスペースがあるようには見えない。そうなると、日本女子監督に求められるのは、「調整能力」と「聞く力」なのかもしれない。それぞれの選手が心地よく練習、行動できる調整であり、それぞれのチームや選手、母体の話を聞く力が必要になる。

そこに監督としての強い指導力、強制力、牽引力はさほど必要とされない。試合後のミックスゾーンでも、いつも謙虚で、メディアに対して「気の利いたコメントできなくてすいませんね」と頭を下げるような男、それが渡辺武弘という人間なのだ。

 

張本にアドバイスを送る伊藤美誠。見守る渡辺監督(左端)

 

「アドバイスと選手がドハマリした瞬間、伝えてよかったとうれしくなりました」伊藤美誠

一方、東京五輪で金・銀・銅、3個のメダルを獲得している伊藤美誠は今大会、2回の出場機会だけに終わったが、特に準決勝、決勝でのベンチワークは光っていた。会場によって、照明、卓球台、床、温度でプレーの条件が変化し、戦術も異なったものになる。自らがプレーしたからこそ、伊藤が的確なアドバイス、戦術的な注意を個々の選手たちに与えた。日本選手の特徴を知り、相手の中国選手は何度も戦った相手だけに、ベンチでもっともベストのアドバイスを送ることができる人だった。

だからこそ日本選手が得点しても、立ち上がることなく、冷静に相手の失点した時の仕草も観察していたのだろう。

かつて金メダリストの水谷隼は「ベンチコーチは応援者でなくてもいい。立ち上がって声を出すよりも冷静なアドバイスをもらいたい」とインタビューで答えたことがある。今回、伊藤美誠はそのことを実践した。

「たくさんアドバイスをさせていただいた。私が出ている大会で今日が一番中国を追い詰めることができた。ベンチにいたけど楽しく試合を見てました。アドバイスをしていても気合が入るというか、監督とかコーチの気持ちがわかる場面もあった。アドバイスと選手がドハマリした瞬間、伝えてよかったとうれしくなりました。私自身も勉強になり、良い経験をさせてもらいました」と試合後に伊藤は語った。

また早田は「伊藤選手のアドバイスで自信を持ってプレーできた」と言い、「ベンチからのアドバイスは力になった」と張本もコメントしている。

伊藤美誠は称賛されるべき存在としてチームの中で輝いていた。トップアスリート、そしてメダリストとして試合に出られないもどかしさ、悔しさはあったはずだ。伊藤が2016年世界選手権クアラルンプール大会に日本代表として登場し、団体戦の中心としてプレーし続け、彼女は常にチームの中心だった。

試合に起用されない選手としてベンチに座って応援することも、ましてや1月までは自分のライバルとしてともに戦ってきた選手にアドバイスを送ることも、彼女にとっては特別なことだった。

日本代表として「中国に勝ちたい」という思いを、今回チームメイトと共有した。自分が試合に起用されなくても、ベンチコーチとして「打倒中国」にエネルギーを向けた。釜山での激闘は、今後も現役を続け、国際大会に出続ける伊藤美誠にとって、代えがたい経験になったのではないか。

そして、伊藤を温かく見つめ、チームを優しく包み込む監督の存在を忘れてはいけない。自分が前に出ていく、もしくは存在をことさらアピールするような行動を渡辺監督はせずに、選手たちの技量の高さに敬意を払い、彼女たちの卓球への深い知識と経験を活かすように、チームをまとめていった。

中国をあと一歩まで追い詰めた日本。そこにあったのは目に見えない渡辺監督の存在と、目に見える伊藤美誠の存在だった。(今野)

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