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「全日本は誰が強いのかを証明するための場です」水谷隼

<卓球王国2009年4月号より>

 

「全日本は誰が強いのかを

証明するための場です。

やっぱりチャンピオンで居続けたいですね」

水谷隼

明治大・スヴェンソン(当時)

 

19歳にして孤高の道を歩むのか。

水谷隼は男子として史上6人目の3連覇を達成。

しかし、華やかな優勝の陰で、

もがき苦しんだ水谷がいた。

チャンピオンが抱えた苦悩を

チャンピオン自身が語る。

 

インタビュー=今野昇 

写真=渡辺塁・江藤義典

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ひょっとしてじゃなくて、普通に

これはダメだと思うでしょ(笑)。

ぼくもこれで終わりだなと

 

準々決勝でダブルスのパートナーである岸川聖也(スヴェンソン)に勝った瞬間に、水谷隼の拳に力が入った。

岸川戦の最終ゲーム、4ー8で窮地に立った時。水谷の執念と全日本選手権の70年という歴史の重みが岸川の手元を狂わせた。

ピンチを脱した後、伸び盛りの若手、上田仁(青森山田高)、松平健太(青森山田高)を準決勝、決勝で下した直後に彼は語った。「他の選手よりもこの大会に賭ける気持ちがたぶん強いと思うので、競り合いになった時に勝てるんだと思います」。この水谷の言葉に今大会に賭ける彼の執念が集約されていた。

チャンピオンになりたいと思う人はいる。しかし、頂点に立つ人はひとりしかいない。強い者がチャンピオンになるのではない。チャンピオンになった者が強いのだ。全日本チャンピオンという称号を得られるのは、真の勝者だけだ。

●——3度目の優勝で感じることは?

水谷 本当に優勝できて良かったです。優勝すれば1年間チャンピオンでいられる。

 

●——今までと比較して、今回の大会前の調整はどうだっただろう。

水谷 今回は一番調整が良くなかった。不安が残った状態で試合に臨んだ。特に用具を何にするか決まらない状態で臨んだのでかなり不安でした。

 

●——水谷君は今まで用具が完璧でないと不安になると言っていた。

水谷 悪くはなかったけど、それ以上を求めてしまった。ラバーをいろいろ試すうちに、良いところもあれば悪いところもあるというラバーがほとんどで、すべてが良いというラバーがなかった。試合に出た時には悪いところの少ないものを選びました。試合の前日に自分で選びに行って、数百枚の中から数枚選んで、自分で選んだのだから、これでやろうと思いました。

 

●——用具以外での不安、体力や技術的なものでの不安はなかった?

水谷 あんまりなかったですね。練習もしっかりできたし、用具以外の準備としては良かった。

 

●——優勝への慣れというか、向かっていく気持ちを失うとか、それに五輪というビッグゲームのあとだから、モチベーションを高めるのが難しいということはなかった?

水谷 大会の1週間前くらいから全日本選手権に向けて集中しだした。もちろん全日本に向けて練習は重ねてきたんですけど、余裕があった。でも1週間前くらいから余裕がなくなって、練習もやりこんで、試合が始まってからはさらに集中力が高まりました。

 

●——大会の前半、混合ダブルスでは優勝を期待されていたけど、負けてしまった。

水谷 練習ができなかったので優勝することは難しいなと思っていました。中盤から厳しい試合の連続で、早く負けてもおかしくなかったけど、ベスト4まで残れた。

 

●—シングルスでは初戦の川崎(協和発酵キリン)戦から苦しい展開になった。

水谷 試合前から川崎さんとは接戦になると思っていました。1ゲーム目から結構声を出して気合いも入っていたので何とか勝てた。少しでも余裕を持っていたり、油断していたらやられていました。

 

●——最大のヤマ場が、ダブルスのパートナーである岸川との準々決勝だった。

水谷 もちろんダブルスをその前にやっていて、そのパートナーとやるのはかなり複雑な気持ちですけど、それよりも試合で勝たなきゃいけないと思ってました。とにかくまわりからは「優勝しろ」と言われていて、すごくプレッシャーはありました。ダブルスのパートナーだから、というよりもすごく強い相手で、負ける可能性のある相手だから、そういう人とやることがプレッシャーでした。

 

●——最終ゲームの4ー8はもちろんだけど、1ー2でゲームをリードされた4ゲーム目での競り合いは大事な場面だった。

水谷 1ー2になった3ゲーム目も2︱1にできたゲームだったし、(1ー2から)2ー2にできたのが大きかった。2ー3になってちょっときついと思ったけど、(6ゲーム目の)出だしでリードできたので良かった。

 

●——最終ゲームで4ー8と水谷君がリードされた時には、観ている人は「ひょっとして……」と思った。

水谷 ひょっとしてじゃなくて、普通にこれはダメだと思うでしょ(笑)。ぼくもこれで終わりだなと。ただやばいと思った時は、いつもタオルを使える時なんですよ。タオルで汗拭きながら、まだいけると思った。10本取られたらきついけど、8本か9本ならまだ全然いけると思った。10本取られて相手に気楽にやられたり、エッジやネットが入ってきたらきついですから。

そして、4ー8でバックサービスを使った。結構バックサービスを練習してきたので、出さないと悔いが残ると思った。そこで出したら効いたし、もちろん流れを変えるために1本取りたかった。相手も凡ミスしてくれて、5ー8でまた凡ミスしてくれたし、6ー8の時にはかなりいけると思いました。そこから相手に先に攻めさせるような展開にしました。全部ストップで打たれないくらいのボールを送って、相手に先に攻めさせようと。その時の自分の集中力はすごかったと思います。ラケットに当たれば入るくらいの集中力があった。

 

●——岸川に勝った時にまるで優勝したかのようなガッツポーズを見せた。

水谷 そこは今大会を通して最大のヤマ場だと思ってました。準決勝、決勝はまだやっていなかったけど、そこ(準々決勝)で勝てたことで優勝へかなり近づいた。負けていてもあきらめなければ勝てるということを再、再、再認識した感じです。本当にあきらめない気持ちでいたら勝てましたね。

 

●——準決勝の相手は、高校生の上田だった。

水谷 タイプとしてはやりにくい相手だけど、実力的には自分のほうに分があるので、対策をしっかりやりさえすれば嫌じゃない。

 

●——決勝は松平健太が上がってきた。

水谷 青森で一緒に練習もしていたので、お互い知っている感じで、試合が始まってみないとわからない感じだった。戦術的にはやることはわかっていた。実際には思っていたとおりの戦術ができました。

 

●——勝った瞬間、そこで感じたことは何だったのだろう。

水谷 もちろんホッとした感じ。今年は明治(大学)に入って環境も変わったし、まわりの見る目も変わったと思うし、そういう意味ではかなりプレッシャーもあった。そういう緊張感の中でやっていたので優勝できて良かったですね。

 

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