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高校三冠王・鈴木颯の用具秘話。パーソンへの強烈な憧れからドニック選手へ

 

憧れだったパーソンと一緒に練習した時の中学3年の鈴木颯(写真本人提供)

 

果たしてこんな話があるのだろうか。

聞きようによっては、夢物語が現実となった例である。

岩手県生まれの鈴木颯(ハヤテ)は兄3人も卓球選手。4歳から卓球を始めたが、その頃の記憶はあまりない。しかし、幼稚園の頃から卓球のビデオを見ていて、なぜか、スウェーデンのヨルゲン・パーソンの映像に興味を惹かれたことを覚えている。

パーソンと言えば、若くして1986年のヨーロッパ選手権でチャンピオンとなり、ライバルであり同僚のJO.ワルドナーとともに2000年初頭までスウェーデン全盛時代を築いたレジェンド。

ワルドナーとともに近代卓球を「オールラウンドプレー」に導き、フットワークを活かしながら、緻密な台上プレーと、ブロック、そして両ハンドのドライブプレーを見せ、ロビングでしのいだあとのカウンター、フォアに振られたあとの「コブラ」と呼ばれた強烈なバックハンドスマッシュを放ち、華麗な卓球で世界の卓球をリードした。1989年には世界選手権準優勝、1991年には世界チャンピオンになっている。

 

なんと小学2年の自由研究は、

パーソンへの「スウェーデン語の

ファンレター」だった

 

パーソンに一目惚(ぼ)れしたハヤテ少年の気持ちは高ぶるばかり。それにしても同時代にはワルドナーというもうひとりの天才がいた。「ワルドナーではなく、パーソンだったの?」と鈴木に念を押すと、「そうです。ワルドナーではなく、パーソンでした」ときっぱり。

「小学2年の時にパーソンにスウェーデン語でファンレターを書きました。バックハンドがカッコ良かったし、顔もすごく優しそうで、雰囲気が好きでした。それは夏休みの自由研究を兼ねた『パーソンへの手紙』でした。それをドニックジャパンの瀧澤光功(たきざわみつのり)さんに預けたらドイツ本社に送ってくれました」

もちろんスウェーデン語はわからないので、お母さんと一緒に本を買い込み、スウェーデン語でハヤテ少年は一生懸命手紙を書いた。

熱烈なファンだ。しかし、小学2年生なら、こういう純粋なこともあり得るなとも思う。のちに高校の頂点に立つハヤテ少年には次なる偶然が待っていた。

パーソンへのファンレターを書いたハヤテ少年は、翌年、兄の応援で全日本選手権の会場に駆けつけた。そこで1年前にお世話になったドニックの売店に立ち寄り、瀧澤さんにお礼を伝えた。「その売店で瀧澤さんからパーソンの本物のサインが書かれた『パーソン パワーカーボン』というラケットをいただいて、最初飾っていたんですが、すぐに使いたくなったのです。それは飾り用だからとお母さんにも止められたんですが、使いたくて仕方なかった」(鈴木)。

小学3年の時に、もらったパーソンのラケット。本人は天にも昇る心地だっただろうと想像できる。当時からハヤテ少年を見守っていた瀧澤さん(ドニックジャパン)は説明してくれた。「パーソン本人の手に颯君のファンレターが渡ったことはあとで聞きました。小学4年の全日本ホカバの時に颯君を見て驚きました。重すぎて、出荷商品からはじいていたサイン用ラケットをそのまま使っていたのです」

つまり、『パーソン パワーカーボン』はスウェーデン製のドニックラケットだったが、個体差があるために日本の市場には出せないラケットがあった。その重さではじかれたラケットに、その頃、試合やイベントで毎年のように訪日していたパーソン本人から直筆サインをもらっていて、全日本選手権の売店にそのサインラケットを持ち込んでいたのだ。

その売店に現れた岩手のハヤテ少年に瀧澤さんはサインラケットをプレゼント。家に飾っておいたサインラケットをハヤテ少年は使い始めていたのだ。両面にラバーを貼ったら200gを超えるラケットになったが、通常、小学生が振り回す重量ではない。

ドニックの瀧澤さんは、200gを超すラケットを右手に、小学4年のホカバで優勝した鈴木颯と大会後にすぐに契約した。おかげでハヤテ少年はラケットの重さがあまり気にならなくなった。つまり「重さへの慣れ」を小学3年から身につけたのだ。

「サインラケットはラバーを貼ったら200gを超えていました。ラバーは最初の頃は『コッパX』と『ブルーファイア』でした。(ドニックとの契約で)背中にメーカーのロゴがつくのはうれしかった」(鈴木)

サインラケットを使い続けるハヤテ少年だったが、グリップは太く感じて、中学1年の時にはラケットを変えた。

 

鈴木颯のラケット

 

 

今夏のインターハイで三冠王に輝いた鈴木颯

 

インターハイの初日にラケットをぶつけ、

グリップ部分が割れ、

急きょサブラケットを使った

 

「中学1年で『オリジナル トゥルーカーボン』になりました。ラケットは中身(中芯)が詰まっているものを選んで、球離れが早すぎずに食い込むような打球感が好きです。今のラケットは194gです。軽すぎるラケットは使いにくいです」と語る颯だが、今夏のインターハイでは思わぬハプニングに見舞われた。初日の練習でラケットをぶつけてグリップ部分が割れてしまい、急きょサブのラケットを使ったのだ。そして、そのラケットで三冠王を勝ち取った。

「フォアハンドはパワーとスピードが勝負なので、決めに行った時に直線的に飛んでいくのが好きです。今使っているのは「ブルーストーム Z1ターボ」。フォアもバックも同じ硬度です。ラバーは10日間くらいで替えますが、ラケットは使えなくなるまで長く使い込むほうです。いろいろ試しても結局今使っているものに戻っています」(鈴木)

ハヤテ少年は小学6年のときにドイツでのワールドカップを見に行き、そこでドニックからIDパスをもらい、憧れだったパーソンと練習した。「本当の目的はパーソンと会うことでした。最初、パーソンとボルが練習する予定だったのに、その前にパーソンと打たせてもらっていたら、『じゃ、ボルとも打ってみなよ』とボル選手とも打たせてもらいました。感激しました」(鈴木)。その後、中学3年の時にはスウェーデンでプレーした経験を持つハヤテ少年は、その際もパーソンのクラブに行き、一緒に練習をさせてもらった。

まさにパーソンの「追っかけ」だったハヤテ少年はインターハイ三冠王まで上り詰めた。そんな少年が実力をつけ、ドニックと契約。そして「パーソン追っかけ少年」をドニックは育ててきた。

こんな素敵な関係が卓球メーカーとトップ選手にはある。

それにしても日本のトップを狙う若きスター、鈴木颯の「パーソン熱」は冷めないのだろうか。

「今でも、ぼくの中での憧れはパーソンだし、ぼくが大きな大会に出れば、また会えると思います」

今の鈴木颯の成長曲線を考えれば、彼が再びパーソンと会場で会える日は近い。いつか卓球王国でこの二人の対談をする日が来るのではないか。 (今野)

<卓球王国11月号では本人インタビュー、用具ストーリーなどを掲載・921日発売>

 

 

鈴木颯(インターハイ三冠王・愛工大名電高)

使用ラケット●オリジナル トゥルーカーボン(ドニック)

使用ラバー(フォア/バック)●ブルーストーム Z1ターボ(ドニック)