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インタビュー

【前編】11シーズン目の欧州プロ生活、異色の越境プレーヤー・吉田光希

 「11年ですか。こうやって数えると自分でもスゴいなと思いますね」

 ヨーロッパ各国の国内リーグでプレーを続けて11シーズン目。現在はドイツ・ブンデスリーガ女子1部のベーブリンゲンに所属する吉田光希はそう言って笑った。「過ぎたことはすぐに忘れる」という性格ゆえ、ヨーロッパに渡ってからの年数も特に覚えていないのだという。

 日本国内の公式戦に出場したのは2014年に行われた長崎国体が最後。ヨーロッパの国内リーグを主戦場とし、プロ選手として生活を送る。パンデミックに世界が揺れる中、今シーズンも例年どおり渡欧してプレーした。

 国際大会での実績がないにも関わらず、26歳でヨーロッパに渡り、日本国内の試合に出場せず、欧州でプロとして戦い続ける吉田の経歴は日本選手の中では異色と言える。吉田のこれまでの歩み、ヨーロッパでの日々や卓球との向き合い方、ヨーロッパでプレーを続ける理由を2回にわたってお届けする。(後編はこちら)

〈文・浅野敬純〉

 

●小学生時代にホープス準優勝。高校卒業後はプロとして活動

 まず、吉田光希という選手のこれまでの経歴を紹介していく。吉田が卓球を始めたのは小学2年の時。小学生の頃は卓球の他にも水泳に陸上、ミニバスケットボールなど様々なスポーツを経験して過ごした。体格にも恵まれ、幼い頃から様々なスポーツに触れて過ごしたことで、スポーツ選手としての身体能力が育まれていった。

 学年で言えば、ロンドン五輪銀メダリストの平野早矢香と同学年。小学6年時には、その平野に勝利して全日本選手権ホープスの部で準優勝に輝いている。中学時代も全中で2年連続ベスト8、青森山田高でも中心選手として活躍し、高校3年時のインターハイでベスト16。ヨーロッパスタイルの力強い両ハンドドライブを武器に、ジュニア時代は同年代の中で常に上位に食い込む存在だった。

青森山田高時代の吉田

 

 これほどの実績があれば、高校卒業後は強豪大学や実業団へ進んで卓球を続けるのが日本では一般的だが、吉田はそうした道を選ばなかった。理由は「運動は好きだけど勉強は大嫌い。だから大学に進んで卓球をする理由が見つからない」というもの。そんな中、プロ選手として活動していた四元奈生美の姉・静香と旧知の仲だったこともあり、奈生美とともにプロ選手としてプレーすることを選ぶ。

 しかし、プロ選手と言っても大きなスポンサーがついているわけでもなく、練習拠点もない。様々な大学や実業団を渡り歩いて練習する日々で、本人曰く「普通のクラブチームの選手と変わらない」という生活。それでも、2006年1月の全日本選手権女子シングルスでは5回戦(ベスト32)まで勝ち上がった。24歳の時には四元とともに東京アートと契約することができたが、2年後には契約が終了。当時26歳、日本の女子選手の多くは現役の後半に差し掛かる時期を迎えていた。

2005年度全日本ではベスト32に進出。これが全日本での最高成績

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