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インタビュー

「福井で育ち、福井の高校生を育てる」。福井商業高女子卓球部監督・瓜生勝己

コンスタントに全国大会に出場し、昨年10月に行われた全日本大学総合選手権・個人の部のダブルスで優勝した川畑明日香(中央大)らを輩出した福井商業高。そんな強豪校で37年もの間監督を務める瓜生勝己は、来年度で定年を迎える。

 

ーー最初に、瓜生先生が卓球を始めたきっかけを教えてください。

瓜生勝己(以下・瓜生):私は3人兄弟の末っ子で、上に兄と姉がいます。兄は小学生の頃からスポーツ少年団で卓球をやっていたので、家にラケットはありました。魚釣りやソフトボールが好きでしたが、雨が降って外で遊べない日には友達の家の卓球台で卓球をして遊んでいたのが始まりです。中学は全員部活に入らないといけなくて、卓球部に入って本格的に競技をスタートしました。

 

ーー中学校の卓球部は強かったのですか?

瓜生:卓球部の顧問の先生が福井大卓球部出身で、「私たちの代で県で優勝できるのではないか」ということでいろんなことを熱心に教えてくださりました。そのおかげもあり、中学3年生の時には団体戦で県大会で優勝、個人でも準優勝することができました。

 

ーー瓜生先生自身も福井商業高の卒業生ですよね?

瓜生:当時、福井商業高で監督を務めていた安田憲二先生に「福井商業高に来て卓球をしないか?」と誘っていただきました。今の子どもたちは自宅から通っている子がほとんどですが、私は学校の近くに下宿をしていましたね。

県内でも屈指のスポーツ名門校である福井商業高校

ーー高校の頃の戦績を教えてください。

瓜生:全国大会では思うように勝つことができませんでしたが、北信越大会の団体戦では3回優勝することができました。中学時代は左ペン裏だったのですが、安田先生に「体も小さいんだし、裏ソフトでも威力が出ないんだから表にしたら良い」と言われて表ソフトに変更。ブロックには自信があったし、表ソフトの方がナックルボールも出しやすいので変更して良かったですね。

 

ーー高校卒業後は中央大に進学しました。

瓜生:高校生の頃は下宿しながら卓球に取り組んでいたし、高校3年間で完全燃焼して就職しようと思っていました。ところが人間おかしいもので、進路を考えた時にもう少し卓球がやりたいと思ったんです。学校は違うけど、先輩には専修大や早稲田大に行った人もいて、そういう人たちが国体や全日本の予選で福井に帰ってきてプレーしていたのを見て、やっぱり強いしかっこいいと思ったんです。その人たちへの憧れもあって、もう少し頑張りたいと思った時に、縁もあり中央大に進学することができました。

 

ーーやはり関東の強豪校は違いましたか?

瓜生:インターハイ2冠の萩原卓己君や遠藤文一君、関東3冠王の内田計也君、インターハイ3位の小宮信一郎君など、卓球雑誌で見ていたような人たちと同級生になりました。1つ上には世界選手権代表になった方や、女子には全日学チャンピオンが3人もいたりと、私からしたら夢のような環境でした。実力では私が一番下でしたね。

 

ーーリーグ戦などにも出場されましたか?

瓜生:1年生の関東学生選手権でシード選手と良い試合をできたのもあり、秋のリーグ戦のベンチに入ることができました。3年生になり、ダブルスパートナーだった先輩が卒業してしまった萩原君が、新しいパートナーを探していたんです。もともと組んでいた先輩が左ペンだったということもあり、私に白羽の矢が立った。3年春まではベンチを温めていたのですが、インカレからダブルスで出場して、3年の秋、4年の春秋のリーグ戦で通算8勝4敗でした。

 

ーー入学時は一番下の実力だったにも関わらず、リーグ戦に出場するまでに実力を伸ばしたのですね。

瓜生:「まずはベンチに入る、次は関東で賞状をもらう、その次はメダルをかけてもらいたい」というように、1つずつ目標を決めていきました。その目標を実現するために練習を重ね、1年生ではリーグ戦のベンチに入って、2年生では新人戦でベスト8に入って賞状をもらいました。4年生の時には、これは100%萩原君のおかげですが、全日学のダブルスで優勝することができました。自分は本当に恵まれていましたね。でも、目標に向かってコツコツと練習してきた成果が出せたのかなと思います。

大学4年時の全日学ではダブルスで見事優勝を果たした。(写真左が瓜生)

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