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インタビュー

密かにアツい徳島の卓球。陰で支える笑顔あり

ここ数年、大会取材で徳島を訪れる機会が多い。そして会場のスタッフの笑顔とキビキビした動きが印象的に残っている。昨年3月まで(一社)徳島県卓球協会の理事長を11年務め、現在は副会長である藤浦哲夫は、多くの全国大会を成功に導きながら、指導者として、プレーヤーとして毎日ラケットを握り続ける。

 

ーまず藤浦さんと卓球との出合いから聞かせてください。
藤浦哲夫(以下・藤浦) 中学の部活動からですね。徳島の富田中です。友人に誘われて「卓球をしないか」ということで、なぜここまで続いたのかわからないですけど、卓球歴はもう50年を越えていますね。

高校は徳島工業高に進んで、卓球部はあまり強くなかったですけど、個人戦では高校2年でインターハイのシングルスに出たり、全日本ジュニアでは代表になっています。当時は徳島では鳴門高校が強くて、学校対抗ではインターハイには出られなかったですね。

ー藤浦さんはシェークの攻撃型ですが、当時は珍しかったのでは?
藤浦 昔は珍しかったですね。シェークといえば普通はカットでしたけど、先輩にシェークの攻撃の選手がいて、こういう持ち方もあるんだなと。でも周りはみんなペンでしたし、私もシェークなのにバックハンドができないですよ(笑)。ペンのショートみたいな打法でね。

当時としては珍しいシェーク攻撃型だった藤浦(写真は23年全日本マスターズ)

ー大学でも卓球を続けられたんですか?
藤浦 大学は愛知工業大ですね、今をときめく(笑)。ひとり先輩が愛知工業大に進学していて、相談して声をかけてもらいました。私が入ってから、4年間で徳島から7人も愛知工業大に入りましたから。

でも、正直にいうと大学時代はあまり卓球が好きじゃなかったですね。練習は厳しかったけど、やらされている練習だったから。大学を卒業してからは和歌山銀行に入社して、最初の3年くらいは卓球部でプレーしました。その後で宮﨑(義仁/現・日本卓球協会専務理事)さんが入ってきて、ぼくは卓球はもういいよと(笑)。和歌山銀行には11年勤めたので、7〜8年はラケットを握っていない時期がありますね。それから徳島に戻ってきました。

ー徳島に戻ってきて、卓球を再開したわけですね?
藤浦 こちらに帰ってきてからですね。ずっと徳島を離れていたから、高校時代に卓球をしていた人しか知り合いがいなかったというのもあります。周りから誘われて、もう一度再開しようかなと。

徳島に戻ってすぐに東四国国体(1993年)があって、卓球の会場は香川県でしたけど、何かお手伝いできることはないかということで、徳島県卓球協会にも携わるようになった。当時の岩井正司理事長は愛知工業大の先輩で、「入れ」と(笑)。結局、理事長も11年務めて、2023年に今の榎並正人理事長に交代しました。

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