<卓球王国2008年7月号より>
全日本選手権で10度の優勝を誇る水谷隼のアーカイブ・インタビュー。
2008年の北京五輪前のインタビュー。
初の五輪への意気込みを語っていた。
*所属等は当時のママの記述である
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Jun Mizutani
The Challenge to Beijing
〈明治大・スヴェンソン〉
2年連続の全日本チャンピオン。
広州の世界選手権では日本のエースとして
8年ぶりのメダル獲得の原動力となった。
そして直後の五輪アジア大陸予選では、
苦しみながらも五輪代表の座を手に入れた。
世界ランキングも22位まで上げた。
「欲しいのは金メダル」。
北京行きの切符を手にしながら
18歳の水谷隼は
不敵な笑みを見せながらサラリと言った。
異能のアスリートは8月13日、
北京大学体育館のコートに立つ。
インタビュー=今野昇
写真=高橋和幸
実力が発揮できた、
全部出し切った
3位だと思います。
まぐれじゃない
この数年間、水谷隼は濃密な時間を過ごしてきたはずだ。少年時代にブンデスリーガのタフな試合と練習を経験した。ホームシックにもなった。初出場した05年の世界選手権では、15歳ながら当時世界8位の荘智淵を破り、鮮烈なデビューを飾った。
しかし、足の故障にも見舞われ、06年の世界選手権で挫折を味わった。その後、力をつけながら試合ごとに大物選手を破り、世界ランキングも急上昇。07年1月の全日本選手権では史上最年少の優勝記録を塗り替え、今年の1月には2連覇を達成。
そして迎えた広州での世界選手権団体戦。水谷はエースとして活躍をし、8年ぶりのメダル獲得に大いに貢献した。
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●——世界選手権と五輪アジア大陸予選について聞きましょう。1月に全日本選手権で優勝して、約1カ月後に広州での世界選手権がスタートした。
水谷 全日本選手権で2連覇できて、気持ちの面では楽でした。プレッシャーはそんなになかったですね。全日本選手権が終わってトレセン(ナショナルトレーニングセンター=NTC)で合宿をやっていて、そこでもうまく調整ができました。
●——2年前のブレーメンでの団体戦では、足をケガしていたけど、今回はエースとして大きな期待を受けながらの日本代表だった。
水谷 前回のブレーメンは、ぼくは5番目の選手で、そこで起用されて、自分としては「結果を残さなければいけない」という悪い意味のプレッシャーがありました。出させてもらったので、勝たなければいけないという変なプレッシャーです。でも今回は違った。アジア選手権でも活躍できたし、全日本選手権で優勝して、ぼくがほとんど起用されると思っていたので、自分ができることを一生懸命やろうと思っていました。
●——広州に行く前に、その後の香港での五輪予選を気にかけることはあった?
水谷 それはなかったですね。とにかく世界選手権に集中しようと考えていました。
●——日本は、ずっと女子が注目を浴びてきた。女子は3大会連続メダルを獲得していたのに、男子は前回も史上最低の成績で、肩身の狭い思いというか、なにくそ、という気持ちはあったのかな。
水谷 男子が注目されないのは悔しいけど、スポーツの世界ではしょうがない。男子のほうが成績を出していて注目されなかったら、話は違うけど、女子のほうが結果を残しているので注目されるのは当たり前。でもそれは悔しいことなので、女子よりも良い成績を残したいと思っていました。
●——日本男子は今回のメンバーだったら、メダルはいけるという気持ちはあったのかな。
水谷 アジア選手権で準優勝という成績を残したので自信はありました。
●——大会の前半はどうだった?
水谷 良かったですね。完璧でした。チャイニーズタイペイ戦くらいまで良かった。ドイツ戦では最初にシュテガーとやって、苦手意識が試合前からあって、それを実際の試合でも引きずってしまった。オフチャロフは世界ランキングでは向こうが上だけど、実力的には互角だと思ってました。彼とは同じクラブ(ボルシア・デュッセルドルフ)なので練習、特にゲーム練習をよくやります。五分五分ですね。ぼくはシュテガーには負けたけどドイツ戦の内容は悪くなかったし、次につながった。
●——そしてメダルを賭けた準々決勝、チャイニーズタイペイ戦を迎えた。
水谷 あれが一番気持ちが高ぶった試合です。蒋澎龍にも荘智淵にも勝つ自信はあったけど、相手の調子も悪かった。蒋澎龍に勝った試合も相手が勝手にミスしてた。なんでこんなボールをミスするんだろ、という感じでした。相手がナーバスになっていたんでしょ。こっちが弱気になって返したボールを相手がミスしたりとか。
●——世界選手権での初めてのメダルだったね。
水谷 本当にうれしかったです。ただ、そこでホッとした面はあったと思います。そこで最低限の目標に達したのでホッとしてしまった。チームも自分もそうだった。
●——次の準決勝の韓国戦はどうだった?
水谷 勝つチャンスはあると思っていました。ちょっと弱気になってしまった。特に2番の李廷佑の時にはバック対バックになって、そこでリスクをしてでもフォアで回り込んで攻めれば良かったのに、入れにいってしまって、守りの卓球になった。
4番の柳承敏戦は五分五分かなと思っていました。柳承敏が3ゲーム目までおかしかった。取り乱していた感じです。彼の機嫌が悪くて、キレ気味で、集中力がなくて、イライラしていた感じです。相手の出だしがそんな状態だったので、一気に3−0で勝っておくべきだった。
●——広州を振り返った時にはどんな思いがあるのだろう。
水谷 実力が発揮できた、全部出し切った3位だと思います。まぐれじゃない。実力のマックスです。
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