全日本卓球・女子シングルスの元ファイナリストである森薗美咲。2020年全日本で、同学年の石川佳純との試合を最後に一度は現役生活に区切りをつけてコーチの道へ。しかし22年には大会に復帰し、パラ日本代表監督にも就任。自身も予想していなかった現状について、森薗はいつものように率直に、明るく語ってくれた。
22年1月、2年ぶりに全日本に復帰出場した際、試合後に清々しい表情を見せた森薗は、次のように語った。
「あえて引退という言葉は使わなかった。どこかで全日本や卓球に対する未練みたいなものがあったと思う。1年コーチをやってきて、その中でまたふと全日本に挑戦してみようと思った。前のように日の丸を背負うという目標ではなくなったけど、やはり全日本に出ている自分、プレーしている自分が一番輝いていると思う。今、私は負けられないというプライドも捨てて、今までで一番卓球が楽しい」。
その全日本の直前のこと。宮﨑義仁・日本卓球協会強化本部長(当時)から、「パラ卓球の監督を引き受けてもらえないか」という突然の電話が入った。
「パラ卓球をしっかり見たことがないので、きちんと指導できるか不安だった。コーチ経験はあったけど、いきなり監督の立場ということで、『全日本が終わってからお返事します』と答えました。迷ったんですが、自分が分からない世界であっても、求められたら飛び込んでみようと思った。その世界に入って、必死に勉強していけば認めてもらえるんじゃないかと思ったんです。また同い年の高橋尚子ちゃん(※)と仲が良くて、Tリーグを見に来てくれたりした。彼女を見ているとパラの世界にも少し貢献したかったんです。
健常者のNTでは、水谷隼さんのような目指すべきモデルがいて、そのやり方を取り入れつつ+αで新しいことを取り入れるなど、強化の方法がある程度確立している。でもパラの世界は、本格的な強化という意味では歴史が浅く、むしろ今のトップ選手が最前線という状況です。日本卓球協会が関わる新体制になり、良い方向に進んでいるのは間違いないと思います。課題は多いですが、伸びしろしかない。パリパラに間に合うかは分かりませんが、その先にも繋がっていくように頑張っています」
「今はすごく楽しいです。引き受けて良かった。私が健常者のNT(ナショナルチーム)にいた時は、皆が日本代表、五輪出場を目指すのが当たり前の世界でした。パラの全日本だと、年齢も境遇も様々な選手が、それぞれの環境の中で卓球が大好きでやっていて、その延長に国際大会がある。それぞれの選手の背景を知ると、卓球をやっていること自体が凄いことだったりする。私の進んできた世界と違った世界、価値観を知ることができ、器が大きくなった気がします(笑)」
22年4月に30歳になった森薗は、12月の全日本マスターズ・サーティの部に初出場し、初優勝を果たした。
「振り返ったら、シングルスの全日本タイトルがなかったので、どんな大会でも優勝したいなというのを目標に出場を決めました。周りからは『森薗さんが出るの!?』と、優勝が当たり前という感じで言われたけど、自分ではそんな感覚は全くなかったです。過去の実績は一番あったかもしれないけど、試合は何が起こるかわからないし、練習しないと勝てない世界と分かっていた。負けても悔しくないように、毎日ちゃんと練習しました。トーナメントのドキドキ感を久しぶりに味わえて、その緊張感が楽しかったですね。
マスターズでは、80代の選手がイキイキして試合をしている。もっと注目されてほしい大会です。そのためにも、私はこれからも出ようと思っています。
1月の全日本も女子ダブルスと混合ダブルスに出ます。組んでもらうのが強い子たちなので、『楽しむ』ではなく、しっかり準備して勝ちにいきたいですね」
複数の立場でエネルギッシュに活動する森薗は、今の自分をどう見るのか。
「ここ2年で本当にいろんな経験ができた。1年前は監督の話など1ミリもなかったし、2年前の自分だったら『30になったら結婚して子どもがいるのかな』くらいのことを考えていた(笑)。思っていた30とは違っていて、自分の中でこうなりたいと思ってもなれないこともあるし、逆に考えてもいなかったことをしている部分もある。『マスターズに出て、パラ監督やって、すごいね』と言われたりするけど、私からしたら、結婚して子育てしている人も凄いし、羨ましいと思うこともある。30歳って、いろいろ考えてしまう時期ですね。それでも今は楽しいと思ってます。
若い時の私は、楽しい道と険しい道があれば、迷わず険しい道を選んでいた。それで自分を成長させるのが基本で、苦しくてもその先は良い結果につながると信じていた。でも今は迷わず楽しい道を選ぶ。『ラクする』ではなくて、楽しく努力する。ドキドキ、胸躍るほうの道を選びたい。今はそうじゃないとやっていけないですし(笑)。
これも若い時に苦しい道を経験したからこそでしょうね。『楽しみながらやる』の本当の意味が、30 歳になってようやく分かるようになりましたね(笑)」
熱くたぎる森薗家の血を引き継ぎ、幼少期から父・誠や弟・政崇とともにひたすらストイックに卓球に打ち込み、27歳まで第一線を駆け抜けた森薗美咲。険しい道を選び続けた彼女が、一旦ラケットを置いて力が抜けた時、別の世界が見えるようになった。ただストイックなだけではない、生来の好奇心やチャレンジ精神があったが故だろう。森薗は思い切って新たな世界に飛び込み、そこで第一線の選手時代とは違った「楽しさ」を見出した。
選手・コーチ・監督の立場を存分に楽しむ、今の森薗の姿は、日本代表時代と変わらぬキラキラとした輝きを放っている。
(文中敬称略)
ツイート