5月18日に引退会見を行った石川佳純さん(全農)が四天王寺中に入学後、6年間、ともにミキハウスの練習場で汗を流した平野早矢香さん。そしてともに切磋琢磨しながら、時には先輩、時にはライバル、そしてチームメイトとして石川さんと練習を重ね、2012年ロンドン五輪では女子団体でメダルを獲得した平野さん。石川さんの凄さと努力をそばで見つめてきた人でもある。
「卓球女王の石川佳純」について語ってもらった。
インタビュー=今野昇
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●ー石川さんの引退、最初に聞いた時にどう感じましたか?
平野 引退というのは選手にとって人生のターニングポイントなので、私は静かに見ている感じだったし、二人で会った時でも私からそれを聞くことはしなかったです。ただ話をする中で、ファンに向けてサンクスツアーなどにも取り組んでいて、広い視野で現役の時から自分と向き合っていると思っていました。 東京五輪の代表レースは見ていても非常に辛かったと思うし、「パリを目指してほしい」という気持ちはあったけど、オリンピックを目指すということは気持ちとしても簡単じゃない、エネルギーのいることだとわかっていたから、会った時には引退に関する具体的な話はしなかった。
(石川)佳純が卓球をここまで続けてきたのは、彼女自身が本当に卓球が好きだという気持ちがあるからで、本人は目の前の一戦一戦を頑張ろうと、そんな気持ちで卓球に取り組んでいるように私には見えました。「パリ五輪の選考会があるので彼女はきつかったんだろう」と言う人もいるかもしれないけど、私は単純にそれだけだとは思っていなくて、彼女は現役生活をやり切ったのだと思います。
ただ5月の世界選手権ダーバン大会は彼女の中で明確な目標として掲げていたので、彼女に出場してほしかったという思いはありますが、私個人としては佳純は本当にここまでよく頑張ったと思います。
●ー東京五輪が終わった後のインタビューでは、「どこまで卓球をやるんだろう、パリ五輪は・・」という話になった時に、「パリのことはわからない。(オリンピックを目指すのは)覚悟が必要です」と言っていました。
平野 ベテランならではの調整の仕方はあっただろうし、前向きにいろいろな部分を変えていったことはあったのでしょう。でも、卓球と向き合う彼女の気持ちは変わっていなかったと思います。ただオリンピックを狙いにいくには大きなエネルギーがいることなので、東京が終わってそのスイッチを入れるのが難しかったのだと思います。
●ー平野さんはかなり限界に近いところまで選手を続けましたけど、石川さんは余力を残しながらの引退にも見えます。
平野 佳純は日本のトップとして走っていたけど、リオ五輪が終わったあたりから、東京までの4、5年間、若手がグーッと伸びて来た。本当はもっと石川時代が圧倒的に長く続いていてもおかしくなかったけど、若手も伸びていましたね。
私自身は若い頃の気持ち、若い頃の勢い、若い頃の自分の実績に縛られていた部分がありました。私は練習をやりこまないと身につかない選手で、それをやらないとキープできなかった。でもそれに伴い故障が増えた。もっと違う視野を持つべきだったという思いもあります。
私は練習しないと駄目なタイプだったけど、年齢を重ねていく中で若い選手と同じ練習量することは必ずしも良くない、という話を佳純ともよくしていたんですよ。それよりも故障に注意しなければいけないと。ベテランで活躍しているアスリートは共通して、今の自分にあったやり方、トレーニングの仕方、気持ちの持ち方を持っている。
佳純に失敗してほしくないと思っていたから私の経験は全部伝えたし、ベテランになっていく時の苦悩も全部話をしました。佳純には卓球が好きなまま伸び伸びと卓球をやってほしかったから。結果云々ではなくて。佳純の決断することは全面的に支持をしていました。例えば中国だとこれまでの歴史を作り功績を残した選手というのは、いろいろなイベントに招待され、チャンピオン、金メダリストって一生讃えられて、中国の中でリスペクトされます。
日本の中ではメディアもそうですが、若い選手や新しいものに目が行きがちで、歴史を作ってきた人に対して光を当てられることが少ない。自分より相当に若い人と一緒にチームを組むとか、対戦するのは凄くエネルギーが要ることなのに、勝って当たり前、一回負けたら世代交代という空気感を感じます。リオが終わったあたりから彼女と同世代の選手が少なくなり、そういった苦しさもあったと思います。
今の若い世代の選手もそういう時が必ずやってきます。佳純と話をしていても、お互い「若い時ってどうしても気づけないこと、分からないことが多いよね。」と話していました。年齢を重ねるとわかってくることがたくさんあります。
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