卓球王国 2021年10月21日 発売 vol.295
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アフリカの巨星、アルナが語る「ぼくの卓球は路上から始まった」

<卓球王国2018年1月号より>

2016年リオ五輪で男子シングルスで暴れまくったクアドリ・アルナ(ナイジェリア)。

大会2日目、シングルス3回戦で当時世界ランキング7位の荘智淵を4-0のストレートで下し、会場を沸かせた。

続く4回戦ではドイツの皇帝ティモ・ボルをも下し、リオの観客を熱狂させた。「信じられないよ。観客の声援がぼくにエネルギーを与えてくれた。最高の気分だよ」と試合後に語ったアルナ。一方のボルは「アルナは強い。0-3からようやく自分のプレーができたけど、遅すぎたね」とアフリカのスーパースターに脱帽だった。アルナは五輪史上、初のアフリカ選手のベスト8を決めた選手となった。

「オリンピックでは何が起こるかわからない」。参加した選手たちは口々にこう言う。五輪という舞台で萎縮する者、とんでもないアドレナリンで一世一代の爆発力を示す者。五輪では予測不可能のドラマが待っている。

このアーカイブインタビューは、そのリオ五輪をアルナ自身が振り返り、彼と卓球の出合いを語ってくれた。

東京五輪への出場を決めたアルナ。常人では考えられない身体能力と唸りをあげるドライブに注目してほしい。

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アフリカの巨星、アルナが語る

「ぼくの卓球は路上から始まった」

 

 

Superstar  in  Africa

ARUNA, Quadri

クアドリ・アルナ

ナイジェリア

 

クアドリ・アルナ、29歳。

ナイジェリアのオヨ州生まれ。

2014年のワールドカップで彗星のごとく世界へ飛び出し、

その年の[ITTFスターアワード]を受賞。

そして、2016年リオ五輪では

荘智淵、ボルというトップ選手を連破し、

アフリカ選手として初のベスト8に入った。

ナイジェリアの路上で始めた卓球。

アフリカに輝くダイヤモンドは表紙を飾るにふさわしい男だ。

アフリカのスーパースターの卓球への思いに耳を傾ける。

 

インタビュー・文=今野昇

写真=中川学・レミー・グロス・今野昇

協力=オラレカン・オクサン

 

「良い選手になること、

良い人間になることがぼくのベストゴールなんだ」

 

卓球は、簡単に遊びとして

できたからね。

たまたまストリート(路上)に

卓球台があったから

そこで始めたんだ

 

なぜこのアフリカの黒人選手が卓球王国の表紙を飾るのか、読者は理解できないだろう。彼はチャンピオンでも、メダリストでもない。しかし、彼には表紙を飾るだけの卓球選手としての価値があるのだ。 

彼は卓球をストリート(路上)で始めた。おそらくそれは卓球ではなく、ピンポンだったはずだ。

現在、世界のトップ選手は幼少の頃からエリート教育を受け、激しい訓練の末に世界の大舞台に飛び出していく。 

アルナが初めて「室内」で卓球を始めたのは9歳の時。そこからアルナ少年は卓球に夢中になり、強くなっていく。ピンポンではなく卓球を練習するようになっても、その環境は世界の列強の選手と比べられないだろう。アルナのプレーが緻密さには欠けるものの、予測外、規格外な強さを発揮するのは、こんな選手としての背景(バックグラウンド)があるからだ。

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●─はじめに、あなたの選手としての背景について教えてください。

アルナ ぼくはナイジェリアのオヨという町で生まれた。ぼくは8人兄弟の6番目で、男の兄弟が6人と妹が1人いる。卓球は7歳の時に始めた。

卓球を始めた理由? 卓球は、簡単に遊びとしてできたからね。たまたまストリート(路上)に卓球台があったから、そこで始めたんだ。だって、卓球なら自分のラケットを持っていなくてもストリートに行って、卓球台のところに行けば何とかボールを打つことはできる。簡単に楽しむことのできるスポーツだったし、うまくなっていったり、ゲームで勝つとモチベーションが上がるからね。

 

●─その当時は君は卓球だけじゃなくて、サッカーや他のスポーツもやっていたんだろうか。

アルナ もちろんサッカーなどの他のスポーツもやっていたけど、卓球はより簡単にでき、危なくないスポーツだったから続けられた。

 

●─屋内での卓球ではなく、ストリートだったのはなぜだろう。

アルナ ぼくの町にも室内に卓球場はあった。でも、室内でやれるのは才能のある子どもだけで、その才能を示すことが必要だったけど、ぼくにはそのチャンスがなかったし、そのチャンスをつかむことも簡単なことじゃない。

ただ、ぼくがラッキーだったのは、オヨタウンの中学校の先生、オルウォル・アボラリという人との出会いがあったこと。彼がストリートで卓球をやっているぼくを見つけてくれたんだ。彼は卓球の指導者で、卓球場を持っていた。彼がぼくを卓球場に連れて行ってくれて、練習をさせてくれた。だから、それがぼくにとって初めて卓球を「室内」でやった日であり、ぼくにとっては彼が本当に初めてのコーチだった。

ぼくは2年間、ストリートでしか卓球をやっていなかったし、彼と出会ったその日がぼくの人生を変えた「ラッキー・デー」なんだ。9歳くらいだったかな。

 

●─当時はどのようなコーチを受けたんだろう。

アルナ アボラリ先生の卓球場には卓球台が3、4台あった。そこで何人かやっていたけど、彼らはいくらかの金を払って卓球をしていた。ぼくはそのグループに入れてもらったけど、無料にしてくれたんだ。その機会はぼくにとってはとても大事なことだった。そこでぼくは練習を続けて、上達していった。

そして5年後、2000年頃だったかな、町の試合に出て優勝。そこからもっと卓球に集中していくようになるし、試合にもさらに出場するようになっていった。

 

●─アボラリ先生は選手だった人ですか?

アルナ もちろん彼は選手だったし、ぼくにすべての技術や戦い方を教えてくれたんだ。