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「変えて」強くなる 石川佳純「五輪に出たい一念で、 練習量を増やし、打ち方を変えた」

<卓球王国2011年10月号より>

「変えて」強くなる

石川佳純

全日本チャンピオン  全農

Kasumi Ishikawa

 

2010年の石川佳純

 

五輪に出たい一念で、

練習量を増やし、打ち方を変えた

 

2010年世界選手権モスクワ大会のあとに、自分を「変えた」。

モスクワ大会で負けたことがすごく悔しくて、さらに、その大会の時に「オリンピックのシングルス枠は一国2名」ということも決まった。

オリンピックの出場権を考えた時に、思い切って自分を変えるしかなかった。「今のままならオリンピックには行けない」と感じたからだ。世界ランキングでも30位前後で、上の二人とは大きな差があり、ポイントでも200点以上離れているわけだから、そのままではオリンピックの出場は無理だった。とりあえず何かを変えなくてはいけない。今のままの自分ではダメだと思った。

まず練習量を増やし、打ち方を変えた。いろいろな方からアドバイスをいただいて、それを自分の卓球に生かすようにした。昔はアドバイスを聞いても、これをやったら自分がおかしくなるからやりたくない、自分が良いと思っている部分は変えたくない、という頑固な部分があった。ところが、自分がこうだと思って、あとでビデオを見ると、自分の思っていることと、実際の自分は意外と違うんだと思うこともあった。周りの人は自分をずっと見ているからわかっている。

練習量を増やすと言っても、試合がたくさんあるので、まずプロツアーなどの試合に行った時に、会場でたくさん練習をするようになった。試合のために調整するというよりも、練習会場で強くなる、試合前も試合が終わってからも練習をしっかりやるということを心がけた。実力があれば、調整しても良いと思うけど、実力がないのに調整しても意味はない。練習場でしっかり練習して、練習で疲れた状態で試合に入るくらいまで練習をやり込んでいった。

さらに、世界各地のジュニアサーキットを回るようになったこともすごく勉強になった。エアコンのない、40度を超えるような練習場で何時間も練習した。その時は必死だったのでつらいとは思わなかった。「勝ちたい」「オリンピックに出たい」という一念だけだった。もちろん、ジュニアサーキットに出れば、ランキングが下がっていくリスクもあるけど、挑戦しなければいけない。結果としては、挑戦したからこそオリンピックの出場権獲得につながった。ジュニアの試合は緊張もするし、年下の選手に負けそうになったことは何回かあったけど、本当に良い経験になった。今までは年上の人とばかり試合をやっていて思い切り戦えたけど、ジュニアサーキットで、格下、年下の相手に対して勝たなければいけないという状況で試合をしたことが、大きな勉強になった。

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