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インタビュー

新天地で卓球と向き合う吉田雅己「新しい自分、『ニュー吉田』を見せたいですね」

かつてブンデスリーガでも活躍し、世界代表にもなった吉田雅己。攻守のバランスに優れ、破壊力のあるフォアハンドを持つ安定感抜群のプレーヤーだった。
ブンデスリーガからTリーグに活躍の舞台を移し、岡山リベッツで3シーズン戦った吉田。2018〜19年は4勝8敗、19〜20年は8勝9敗、20〜21年は8勝5敗と着実に成績を残してきた。しかし、2021年に木下マイスター東京に移り、5勝9敗(21〜22年)、3勝2敗(22〜23年)、0勝1敗(23〜24年)と出場機会も失い、全日本選手権でも初戦負けと、現役選手として消えかかっていた。
「一からの出直し」。3月に木下マイスターを退団し、金沢ポートに新天地を求めた吉田。住まいを生まれ育った北海道に移し、今後は北海道と金沢を中心に活動をしていく。吉田雅己のプロ選手としての思いを聞いてみた。


■インタビュー=今野昇

 

<よしだ・まさき>
1994年9月30日生まれ、北海道出身。青森山田中高時代に全国中学校大会とインターハイで優勝。愛知工業大入学後、2013年からドイツのブンデスリーガ1部の「グレンツァオ」でプレーし、活躍。2016年全日本選手権の男子ダブルスで水谷隼と組んで優勝、2020年全日本選手権シングルス3位入賞。世界ランキング最高位は18位(2017年8月)、この4月に金沢ポートと契約

 

「自分の選手としての価値を下げないというのが
一番のモチベーションでした」

●ー木下マイスター東京を退団し、住まいを北海道に移し、今度入団するのは金沢ポート、というように環境が大きく変わりますね。
吉田 ぼくの生まれは札幌郊外の手稲区で、そこに移りました。決めたのは全日本選手権前くらいですね。その前は難しいかなと考えていたんですが、正月に帰省した後くらいから具体的に考えました。ベースは金沢ポートですが、日本リーグではゴールド選手(*)としてJR北海道からも出ます。

*日本リーグのゴールド選手=前年度・前々年度の全日本選手権ベスト16、全日本社会人ベスト8の選手が、日本リーグ前後期とファイナル4で、1試合(団体戦)につきシングルス、またはダブルス1試合に出場することができる

●ー決断のきっかけは?
吉田 木下から離れるのは先に決めていて、どこに行こうかと考えた時に、JR北海道の監督や選手たちもぼくが北海道にいた時の円山クラブのチームメイトだったり、同世代の選手なので、自分としてもやりやすいと思い、自分からオファーしました。

●ー神奈川から東京や埼玉に移りますというのと、生まれ故郷の北海道に移りますというのでは意味が違いますね。
吉田 そうですね。ぼく自身、地元愛が強いので、いずれ帰ろうかと考えていました。ぼくとしても北海道で練習するのも地元への貢献になるだろうし、小さい頃はJR北海道で練習をさせていただいていたんです。また、北海道科学大学高(旧・北海道尚志学園高/北海道工業高)が実家の近くにあり、そこも小さい頃行っていました。

●ー吉田くんは中学から青森山田に行っているけど、12歳までいた北海道に戻るのは特別なことだったのでしょうか?
吉田 北海道はずっと地元に残る選手よりは、高校くらいから外に出ていく選手が多いですね。自分が卓球をやめた時に、北海道に帰ろうかと考えていたけど、それよりも自分が選手としてプレーできる間に北海道で活動したいと気持ちが変わりました。タイミングとしては今が良いのかなと。

●ーTリーガーとしては木下を離れて、金沢ポートに移籍となりました。
吉田 マネジメント会社のFPCは静岡と関係があるし、金沢の西東(輝)社長兼監督はぼくの従兄弟です。つながりは両方ともあったので、選択肢はありました。

●ー木下は非常に恵まれた環境です。そこから出ていくのは勇気も必要ですね。及川瑞基くんと話をした時も、木下は恵まれているけれど、自分が一番強くなったのは環境に恵まれていないドイツ時代だったかもしれないと言っていました。吉田くんも青森山田から、次にブンデスリーガでプレーして、その後にTリーグというように、及川くんと同じような経過をたどっています。
吉田 岡山リベッツに3シーズンいて、邱建新さんに声をかけてもらって木下に移り、3シーズンいました。ところが移ってまもなく邱さんが退団。1シーズン目はそこそこ試合には出ていましたが(11試合/5勝6敗)、木下は青森山田と同じで特別なチームです。強い選手もどんどん入ってきていて、試合に出るチャンスも少なくなってきて、2シーズン目に入る時、自分から「木下アカデミーの選手の指導と両方をやりたい」と言いました。それは木下からも必要とされる存在になりたかったからです。
とはいえ、木下での2シーズン目は5試合、昨シーズン(23〜24年)は1試合だけの出場でした。自分ではまだやれると思っていたし、指導者との両立も予想以上に難しかった。完全に選手に集中するのも難しかった。去年もずっと迷っていました。自分がどのチームにいるべきなのかと。
2シーズン目は試合数は少なかったけれども、一応勝ち越していたので、3シーズン目はもう少し出番があるかと思っていました。木下は海外の試合に出る選手も多いので、常に出られる選手として、ぼくや大島さんがいるんですけど、Tリーグが五輪代表の選考ポイント対象になったためにより出番が減りました。そういった意味でも難しかったですね。まだ選手としてやりたいと考え、退団を決意しました。

木下マイスター東京で3シーズンプレーした吉田。写真は2021ー2022シーズンの開幕戦でのプレー

●ー2シーズン目の時に選手に専念すべきではなかったのかな。両立は難しいものだから。
吉田 (両立は)難しかったですね。ただ木下にスター選手が集まってきて、そこはライバル関係なんですが、自分で冷静に見ていて、選手としてハングリーになれなくて、選手もやりつつ、指導者もやれると思っていたんです。選手8割、指導者2割くらいの気持ちで、練習も選手として普通にやっていました。ただ指導者としての悩みが多くなって、難しくて、今指導している人をリスペクトできるようになりました。

●ー体の問題はどうでしょう? 昔から腰痛を持っていたけども。
吉田 コーチをやっていると自分の体のケアはできなくなるし、ケガも増えてしまう。腰痛はたまに出ますけど、今はケガをしにくい環境、自由に動ける環境が良いと思います。

●ー同じお金であっても、プロ選手としては試合に出ないと満たされない部分というのはあったんですか?
吉田 ありましたね。ここ1、2年は試合数も少ないし、去年に関しては全日本社会人で3、4試合、全日本選手権でも初戦負けなので、全部で10試合にもいかない。プロでありながら試合に出られないのは厳しい。

●ー町のホビー選手でも君の10倍以上の試合数をすると思います(笑)。
吉田 そうですよね。毎日練習しているのに試合数は少ない。正直、試合がないと楽というか、悔しさもなくなり、刺激もなくなっていく。どこに向けて練習をしているんだろうと思ってしまう。自分の選手としての価値を下げないというのが、一番のモチベーションでした。

●ーでも、試合をやれば俺は強いんだぞというプライドもあったんでしょうね。
吉田 そうですね。ここ2年くらいはあまり試合をやっていないので、自分の実力があまりわかっていない。より努力しないと選手としてやっていけないという危機感を持ちながらやっていました。今はリセットした感じで、一(いち)から始めるという思いが強いですね。

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