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グッズストーリー・吉田海偉

卓球グッズ2017より抜粋 〈文=今野昇 写真=江藤義典、奈良武〉

吉田海偉〈全日本選手権2度優勝・世界選手権団体メダリスト〉

年間、ともに戦った「戦友」は栄光の証

日本で強くなることを夢見て、ひとりの中国の少年が海を渡ってきた。
狼のようにハングリーな宋海偉はインターハイ3連覇を達成し、
その後、吉田海偉として日本に帰化した後、全日本選手権でも2連覇を成し遂げた。
この汗のにじんだラケットは彼の「戦友」。
敗戦の悔しさと、練習の苦しさと、栄光の喜びをともに過ごした証(あかし)である。

飛ばないラケットで朱世爀を吹っ飛ばし、
「メッチャ飛ぶラケット」に変わった
日本に帰化し、宋海偉から吉田海偉になり、帰化してすぐの2004年度、2005年度の全日本選手権で2連覇した。驚異的なフットワークから繰り出す一打必殺のフォアハンドドライブで、それまで日本の中心にいた偉関晴光、松下浩二をまさに力でねじ伏せて、全日本チャンピオンとして君臨した2年間だった。「あのドライブは世界のトップ10に入るほどの威力がある」と松下浩二に言わしめた。天才・水谷隼の出現がなかったら彼の連勝記録はさらに伸びただろう。
中国・河北省から青森山田高に留学してきた吉田の卓球スタイルは高校から基本的に変わっていない。中国式ペンホルダーを使用していても裏面にはラバーを貼らずに頑なにフォアドライブにこだわってきた。高校時代から7枚合板の『クリッパーウッド』(スティガ)を使っていたが、ボロボロになったので20歳の時にラケットを替えた。手にしたのはバタフライの『CN7』。同ブランドの名品、7枚合板シェークラケットの『SK7』をもとに、中国式ペンホルダーにしたものだ。
当時、バタフライの選手担当だった久保真道に渡されたのが『CN7』だったが、試打した時に吉田は「久保さん、もう少し飛ぶやつがほしいです。これ飛ばないんです」と話した。ところが、替えて1週間後の西日本選手権(2002年)で朱世爀(韓国・03年世界選手権2位)に勝ち、優勝した。「ドライブがメチャクチャ走った」(吉田)。
試合後に久保と会った時に、「吉田君、ラケットはどう?」と聞かれ、思わず吉田は「これ、最高です! メッチャいい。メッチャ飛びます」と答えていた。「もしその大会で成績もダメだったらラケットを替えていたかもしれない。選手なんてそういうものです。勝ったら気分も良くなるから」と当時を振り返る。

ボールの威力は身体で出すが、
細かい技術と感覚はラケットで作る
23歳の時、2005年1月の全日本選手権(2004年度)で優勝して、その年にタマスとアドバイザリー契約をし、翌年、全日本で2連覇した後に自身の名前を冠した『吉田海偉』ラケットが発売された。実際には『CN7』と同タイプで、グリップを替えただけのラケットだった。
「自分の名前が入ったラケットが発売されるのはうれしいですよ。ただ、同じラケットであっても、それまで使っていたラケットを替えたくなかったので、本体部分は同じで、グリップだけを替えてもらいました」
吉田が日本の頂点に立った頃はスピードグルー全盛時代で、彼は『ブライス』にスピードグルーをガンガン塗っていた。しかし、08年にスピードグルーが禁止になるとラバーを『テナジー』に替えたが、ラケットは替えなかった。「周りの選手はラケットを替える人が多かったけど、ぼくは一度使うと長く使うタイプ。ラケットの感覚が変わるのが嫌なんです。その打球感覚が違うとレシーブとかショートとか、台上技術の微妙な感覚が狂ってくる」と吉田は言う。
当時、多くの木材ラケットユーザーが特殊素材入りのものに替え、失ったスピード感をラケットで補おうとしていた時代だった。「よく、選手はラケットでボールを飛ばそうと思うけど、それは違うと思う。ボールの威力は身体で出す。細かい技術は感覚が重要だし、弾むラケットを使っているとそういう細かい技術が難しくなる」(吉田)。
このラケットを使い始めて8年目にラケットを床に落として、グリップ部分の左側にひびが入ってしまった。スペアラケットを持っていなかったので、そのまま使い続けたが、しかし、さすがにまずいと思い、10年間使ったこのラケットを取り替えることにした。もちろん同じ『吉田海偉』モデルだ。
たとえプラスチックボールになっても、昔のように吉田の考えは明快だ。「年齢を重ねて筋力が落ちたから用具でカバーしようと思う人はいると思うけど、まだ自分は身体も動くし、パワーも落ちていない。だから今は用具を新しく替える必要はない」。
10年間、吉田の右手にあったラケット。まるで古い戦友のようにいとおしく、汗とともに使い込まれ、ひびの入った一本。このラケットで吉田は日本の頂点に立ち、世界選手権でメダルを獲得した。それは彼の栄光の証だ。しかし、それは輝かしい記憶の中にしまい込まれるものでもない。
最後に彼はこう言った。「ぼくの卓球はこれからですよ。この間の全日本選手権は『吉田海偉はまだ引退していない、生きている』ことの証明。これからが本番ですよ」。
36歳の吉田海偉はまだまだ上を見ている。そして、替えたラケットに新しい戦果を刻もうとしている。(文中敬称略)■
[Profile]
よしだ・かいい
1981年5月16日生まれ、中国・河北省出身。高校から青森山田高に留学し、インターハイ3連覇。全日本学生選手権でも優勝し、日本に帰化した直後の04年度全日本選手権では初出場・初優勝。翌年には2連覇を達成。08年、10年世界選手権団体メダリスト。今シーズンから東京アートに所属し、ポーランドリーグでも活躍する