卓球王国 2021年6月21日 発売 vol.291
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インタビュー

セカンドキャリアは“神社を継ぐ”。元日本リーガー・中尾優子、故郷の香川で奮闘中

 昨年の後期日本リーグ女子2部で、27年ぶりの優勝を果たした百十四銀行。末友栄二監督は最終戦での逆転優勝を「ベンチに神主様がいるので、卓球の神様が応援してくれたのかなと思います」と語ったが、「神主様」とは百十四銀行の中尾優子コーチ。現在、百十四銀行に勤務しながら、父の後を継いで実家である神谷(かんだに)神社の宮司(※神社の長である神官)となることを目指している。

 香川県の北部、坂出市にある神谷神社は国宝にも指定されている、由緒正しき社(やしろ)。この神社の一人娘として生まれた中尾コーチだが、父から「神社を継いでほしい」と言われたことはなく、子どもの頃から神職に就くとは考えもしなかったという。神職を志すに至った経緯や現在の生活について語ってもらったが、故郷で過ごすセカンドキャリアはバイタリティと充実感にあふれていた。

〈インタビュー・浅野敬純〉

 

●「考えてみたら“継ぐのは私しかいないな”って」

–——まずはじめに、中尾さんが卓球を始めたキッカケを教えてください。

中尾:私の母が卓球をしていたのがキッカケで、自然と私も小学生から「あいはらスクール」で卓球を始めました。あいはらスクールが私の卓球の原点ですね。厳しいこともあったんですけど、指導してくれた相原ひとみ先生には卓球だけじゃなく、人間性を育ててもらいました。相原先生が「卓球が強くなってほしいのではなくて、1人の人間として幸せになってくれたらそれでいい」と言っていたのを今でも覚えています。

小学6年時に全日本ホープス3位に入賞

 

–——高校からは地元を離れて岐阜の富田高に進学しましたが、一人娘が地元を離れることについて、ご両親は何か言っていましたか?

中尾:全然(笑)。あいはらスクールでは、小学生の頃から自立できるように合宿や遠征に「一人で行きなさい」と言われていたので、小さい頃から一人でいろいろな所に行っていました。なので、両親も特に心配もしていなかったと思います。あいはらスクールから富田に行った先輩もいなかったので、すごく悩んだんですけど、練習に行かせてもらった時に先輩たちがすごく優しくて、それが決め手のひとつでした。あとは先生がわざわざ香川まで来てくれて、すごく熱心に誘っていただいたのも大きかったですね。

 

–——そこから早稲田大に進みますが、伝統ある大学で過ごした学生生活はどうでした?

中尾:卓球人生の中で、大学時代が大きなターニングポイントだったと思います。私の高校時代の成績では早稲田のスポーツ推薦を受けられなかったので、自己推薦で入学しました。1年生の春の(関東学生)リーグ戦には出られず、ベンチで先輩たちの試合を見ていたんですけど、純粋に「この舞台で試合がしたい」って思ったんです。そこから意識が変わりました。

 チームメイトにも恵まれて、早稲田の自由な環境も私にすごくマッチしていたと思います。誰かに管理されたり、厳しくやらされることが一切なくて、良くも悪くも自分次第。日本のトップや世界で戦う選手とも一緒に練習させてもらって、たくさん勉強させてもらいました。そうやって過ごす中で、上を目指したい気持ちが強くなり、さらに卓球が楽しくなっていきました。

早稲田大では1、2年時に全日学で3位に入賞

 

–——大学卒業後は日本リーグのエクセディでプレーしましたが、もともと実業団でプレーしたい気持ちは強かった?

中尾:中学生の時に将来の自分に向けた作文で「10年後は実業団で頑張っていますか?」みたいなことを書いたり、なんとなくですけど実業団でやりたいとは思っていましたね。そのために高校までがむしゃらに頑張ってきたつもりでしたが、現実はそんなにあまくないことも大学に入って気づかされました。それでも、大学でようやく成績が残せるようになって、実際に実業団でプレーすることを強く意識し始めたんです。

 

–——エクセディでは何年間プレーされましたか?

中尾:5年ですね。最初から「何年プレーしたい」とか細かくは考えてはいなくて、3、4年経って、「(プレーするのは)5年くらいかな」と考えるようになりました。エクセディでもチームメイトやスタッフ、会社の方々など、周りの人に恵まれました。負けたことのほうが多かったんですが、みんなで戦う日本リーグの試合はとにかく楽しくて、苦しい試合でも実力が上のチームに勝てたことが何度もありました。特にホームマッチでは普段一緒に仕事をしている社員の方々の前で試合ができて、そこで勝てた時は本当にうれしかったです。

エクセディ入社1年目には全日本社会人女子ダブルスで準優勝(パートナーは玉石美幸)

 

–——選手時代に引退後のキャリアみたいなものは考えていました?

中尾:引退したら実家に戻ろうとは思っていたんですけど、そんなにハッキリとしたビジョンがあったわけではないですね。

 

–——その中で、実家を継ごうと決めたわけですが、どんな心境の変化があったんでしょうか?

中尾:神職を目指そうと決めたのは引退の1年くらい前ですね。社会人まで好きな卓球を続けさせてもらって、恩返しじゃないですけど、実家を継ぐのも良いかなと思ったんです。それに、考えてみたら「継ぐのは私しかいないな」って(笑)。

 

–——引退後はすぐに香川に戻られたんですか?

中尾:神職の資格が取れる機関というのが決められていて、代表的なのが東京の國學院大と三重の皇學館大です。私はたまたま三重のエクセディに勤めていたので、引退して半年くらいエクセディで働いてから退職して、2019年の8月に皇學館大で1カ月くらいの研修を受けて資格を取りました。その年の10月くらいに香川に戻って、そこから百十四銀行に勤めながら神職をしています。