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インタビュー

卓球メーカー社長インタビュー vol.1 『スティガ』早川徹社長 【前編】

 

知っているようで知らない卓球メーカーの社長さん。

どんな人が、どんな経緯で、卓球メーカーの社長になったのか。社長という重責を務める人物を卓球王国編集長の中川学がインタビュー。

第1回は、北欧スウェーデンの老舗ブランド『スティガ』の日本法人、スティガ・スポーツ・ジャパン株式会社代表取締役社長の早川徹さんが登場。

前編、後編の2回にわたり、早川社長の素顔に迫ります。

 

入学するつもりがなかった狭山ヶ丘高と東洋大。

卓球を続けていたことが縁で、卓球の貿易会社に入る。

 

スティガ・スポーツ・ジャパン株式会社の早川徹社長

 

――早川社長と知り合ったのはかなり前のことで、お互いにまだ20代前半だったから25年くらい経つのかな。早川社長は当時、確か…大学4年生だった。

 

早川徹(以下・早川) そうでしたね、ちょうど大学の卓球部を引退した辺りだったので4年生の秋か冬くらいでしたね。学さんと…いや、中川さんと

 

――大丈夫、言い直さずにそのままで(笑)。普段から呼び合っている「徹(とおる)、学(まなぶ)さん」で行きましょう。

 

早川 はい(笑)。学さんと初めて会ったのは、一緒に何かのオープン戦の団体戦に出た時でしたね。

 

――そうそう、年齢の近いメンバーでチームを作ったんだけど3人しかいなくて、試合に出ようと思ったら「ひとり足りない」ってなって。それで1歳上のメンバーが「若い子がひとりいるから呼ぶわ」ってなって、連れてきたのが徹だった。

 

早川 ぼくだけが大学生で、ほかの3人はもう社会人だったので、卓球以外の部分でいろいろと勉強させてもらいました(笑)

 

――え、どんな勉強だったっけ(笑)。どっちかというと、試合そのものよりも試合後においしい店で食べたり、飲んだりするのが楽しくて、生ビールをおいしく飲む前に汗を流す目的で卓球をしているようなメンバーだったからね(笑)

 

早川 確かに、おいしいお店やお酒は、学さんや他のチームメイトの先輩たちに教えてもらいました。ぼくだけ歳が離れていたので、かわいがってもらっていましたね。

 

――かわいがっていたのかなぁ。選手登録や試合の申込み、車の運転まで、手のかかることは全部、徹にやってもらっていたね。当時はお礼も言わずに当然って感じでお願いしていたような……今更ですが、ありがとうございました(笑)

 

早川 学さんにお礼を言われるのは、なんか変な感じがするのでやめてください(笑)

 

 

――こういう感じで大学4年から知っているんだけど、東洋大学の前は狭山ヶ丘高校(埼玉)の出身ということまでは知っているけれど、それより前のことは聞いていませんでした。徹が卓球を始めたきっかけはなんだったんだろう?

 

早川 ぼくは埼玉県入間市の出身で、両親が地元のクラブで卓球をしていた関係で、子どもの頃に3歳上の兄と一緒に練習について行っていました。その影響で兄が地元の黒須中学校の部活で卓球を始めたんですが、ぼくが黒須中学校に入学した時に卓球部の顧問の先生から「兄がやっていたんだから、徹も卓球部でしょ。とりあえず仮入部に来て。」って感じで言われて、そのまま入部となりました。両親からではなく先生に言われて卓球部に入りましたね。

小学生時代は野球をやっていたので、ぼくとしては中学では野球部に入ろうと思っていたんですが、半ば強制的に(笑)。

 

――そうだったんだ。でも、その先生がいなかったら、こうしてインタビューできていなかったね(笑)。勧誘してくるくらいだから、熱心な先生だったのかな?

 

早川 めちゃくちゃ厳しくて、真剣に教えてくれる先生でした。今はもう定年になられているかもしれませんが、地元では厳しい卓球部の顧問で有名でした。

でも、その先生はぼくが2年生になるタイミングで他校に転勤になってしまい、2年生からは両親の勧めもあって、所沢市のフジイケクラブという所に練習に行くようになりました。中学の練習が終わってから、週2回くらい入間市から隣の所沢市まで両親が送迎してくれました。本当に感謝ですね。

また、当時のコーチの方が強くて非常に厳しい方だったのですが、そのおかげで卓球の基礎ができた気がします。

 

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