知っているようで知らない卓球メーカーの社長さん。
どんな人物が、どんな経緯で、卓球メーカーの社長になったのか。社長という重責を務める人物を卓球王国編集長の中川学がインタビュー。
第2回は、ドイツの歴史ある人気ブランド『ドニック』の日本総代理店、ドニック・ジャパンを運営するイルマソフト株式会社の瀧澤光功(みつのり)取締役が登場。前編と後半の2回にわたって、瀧澤取締役のインタビューをお届けします。
――今回、社長インタビューとして瀧澤弘社長にご連絡させていただいたところ、「ドニックの事業につきましては、取締役の光功が中心に取り仕切っているので、今回は彼に話を聞いていただけますか」と言われました。そこで、光功さんにご登場いただきました。
瀧澤光功(以下・瀧澤) この度は弊社にお声をかけていただきまして、ありがとうございます。かなり緊張していますが……。ぜひよろしくお願いいたします。
――まずは、光功さんについて聞かせてください。出身と年齢は?
瀧澤 生まれも育ちも埼玉県入間市で、現在は36歳になります。
ーー光功さんが卓球に出合ったのはいつですか?
瀧澤 地元の小学生の時に学校のクラブ活動でたまたま卓球を選んで週1回やっていましたが、他にバスケットボールもしていたので、卓球は遊びという感じでした。
中学は私立の明治大学付属中野八王子中(以下・明大中野八王子中)に行きましたが、なんとなく卓球部に入ったんです。入部してみると、入れ替わりで卒業した先輩が団体戦で全中に出場したほどの強い部活でした。自分としてはそういう「ちゃんとした部活」だとは知らずに入ったんですけどね(笑)
全中に出た先輩たちが抜けると部員が少なく、幸いなことに1年生から試合に出ることができました。顧問の田中先生方に指導してもらいながら、1年生から試合に出られることが楽しくて、中学の部活は楽しい記憶しかないですね。当時は高校生と同じ卓球専用の練習場でやっていたので、高校生にもよく教えてもらいました。中学時代は週7日毎日練習していました。
――休みなく練習していたんですね。
瀧澤 はい、顧問の先生も熱心で、環境もとても良かったです。でも、自分自身はあまり強くなく、中学時代の個人の最高成績は3年の時にぎりぎりで都大会に出場しただけです。でも、八王子市には強いクラブチームもあって、私は部活動だけの練習だったので予選を抜けて都大会に出られただけでもうれしかったですね。
中学時代でもっとも記憶に残っている試合は、東京の新人戦で実践学園中の山崎譲治さんとの試合です。当時山崎さんは全国大会で上位に行っていて、私にとっても雲の上のそのまた上の存在でした。
今でも点数をはっきり覚えていて、21対7、21対15(当時は21点制の3ゲームズマッチ)で完敗。そもそも試合前の練習の最初の1球目のフォア打ちからボールに追いついていませんでしたね(笑)。山崎さんは現在はアンドロ・ジャパンの会長をされている方です。
――中学時代に対戦した相手がのちに同じ卓球業界で仕事をされる。何かの縁ですね! 中学卒業後に高校でも卓球部に入ったんですか?
瀧澤 いえ、高校では卓球部には入りませんでした。というのも、当時は明大中野八王子高から明治大への進学率は60~70%くらいで、私としては明治大に進学したいと考えていたので、そこは落とせないとなりました。高校では勉強を重視するために部活動には入らずに、卓球は地元のクラブチームで時々練習していました。クラブチームの練習では、塩野真人さん(現スティガ・スポーツ・ジャパン)のお父様に指導していただきました。
インターハイが羨ましいという思いはありましたが、一方で勉強もしっかりしたいという思いがありました。それでもクラブチームで卓球ができていて、卓球との縁は切っていませんでした。受験が終わってからは顧問の先生の好意で、高校の部活の練習に参加させていただくこともあって、とても感謝しています。
――明治大に入ってからの卓球の関わりは?
瀧澤 明治大では競技部ではなく一般の卓球部に籍を置かせていただくこともありましたし、地元の同級生たちとiruiru clubというチームで、各地のオープン大会に出ていました。大学時代は週に5、6日は卓球をしていましたし、仲間と一緒に関東以外の地方まで試合に行くこともありました。自分の中では、あの時期が一番強かったと思います。
――大学卒業後はお父さんが経営するイルマソフトに入社したと聞いています。
瀧澤 ちょうど私が就職活動を始める時期に、父の会社(イルマソフト)でドニックの日本総代理店の話がありまして、私から父に「ぜひ(自分も)やりたい」と伝えました。
そして、正式にドニック・ジャパンを立ち上げることなって、私も大学4年からは授業がない日にアルバイトとして手伝うようになりました。そして、大学を卒業して2009年4月に正式に入社しました。
これはドニック・ジャパンの話をいただく前になりますが、英語力を身につけるために大学3年の後半に留学しようと決めていて、結果的にドニック・ジャパンに入ってからそれを仕事で活用できるようになったと感じています。
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