卓球王国 2021年10月21日 発売 vol.295
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パーソン+ワルドナー [世界の卓球史を変えた二人の男が語る]

<卓球王国2009年12月号より> 

Interview Legends

 

パーソン+ワルドナー

[世界の卓球史を変えた二人の男が語る]

 

 

>>ヨルゲン・パーソン

1966年4月22日、スウェーデンのハルムスタッドで生まれる。1986年ヨーロッパ選手権団体・シングルス優勝、91年世界選手権千葉大会シングルス優勝。2000年シドニー五輪、2008年北京五輪ではシングルスで準決勝に進出

 

>>ヤン-オベ・ワルドナー

1965年10月3日、スウェーデンのストックホルムで生まれる。1989年世界選手権ドルトムント大会で団体とシングルスで優勝、92年バルセロナ五輪金メダリスト、97年世界選手権マンチェスター大会シングルス優勝、2000年シドニー五輪銀メダリスト

 

 

1980年代から20年以上、

世界の卓球界をリードした二人の男。

中国の厚い壁を破り、

世界の卓球を変えたスーパースター。

いまだドイツのブンデスリーガでプレーを続ける

ヤン-オベ・ワルドナーとヨルゲン・パーソンが

輝くキャリアを振り返り、

熱いメッセージを残した。

 

 

W 92年のバルセロナ五輪で

優勝したことは大きな

ターニングポイントであり、

成功と言えるだろう

 

P 実現はしなかったけど、

ヨーロッパと世界を制した後は

オリンピックチャンピオンに

なりたかったね

 

スポンサーである『ドニック』のセミナーで来日したワルドナーとパーソン。世界選手権の獲得金メダル数はワルドナー計6個、パーソンが5個、ヨーロッパ選手権の金メダルはワルドナーが11個、パーソンが9個、五輪ではワルドナーが金と銀、パーソンは2回の準決勝進出と、間違いなく80年代から世界の卓球をリードしてきた。スウェーデンの代表として、国際大会への出場にピリオドを打った二人は、ともにドイツのプロリーグでプレーを続けている。

●―今、君たちは国際大会でのキャリアを終え、ドイツのブンデスリーガでプレーを続けているけど、そのモチベーションとは何だろう。

ワルドナー(W) 今でもぼくは楽しく卓球をやっているよ。ドイツの『フルダ・マーバーツェル』でプレーしているけど、観客もたくさん入って、それがモチベーションにもなるし、練習をして良い状態に持っていこうとしている。そんなにタフではないし、ブンデスリーガでプレーするのは楽しいよ。

 

●―でも君自身、何かターゲットのようなものが必要にならないのだろうか。

W ターゲットはあるよ。このチームはリーグで3位から6位くらいのところにいるから、プレーオフに出られる上位4チームに入りたい。いつもはストックホルム(スウェーデン)にいて、リーグの試合があるたびにドイツに行って試合をして、試合後にスウェーデンに帰るし、そのままドイツに滞在する時もある。

パーソン(P) ぼくは、ドイツの『プリューダーハオゼン』に所属し、ヨーロッパチャンピオンズリーグに出たり、ブンデスリーガは全部の試合には出ないけど、プレーを続けている。いきなり卓球選手の活動をやめるのは簡単なことじゃない。ブンデスリーガもハイレベルな試合があるし、ステップ・バイ・ステップで、ゆっくりと現役を終えていくのがいいんじゃないかな。ドイツのリーグには良い選手がたくさんいて、試合で勝つために練習も必要になるし、それがモチベーションになっているね。

 

●―世界選手権横浜大会が最後の国際大会でのビッグゲームになったけど、喪失感とか、もうその舞台には戻らないという寂しさを感じるのでは。

P 世界選手権やオリンピックというのはもちろん大きなゴールというか、目標となる大会だよ。そこでメダルを獲ることが大きなモチベーションになっていた。ぼくにとっては北京五輪の後は、横浜でプレーすることが大きなモチベーションだった。日本はぼくにとって特別な場所で、91年に世界チャンピオンになった国だからね。

ただ国際大会の中で自分のゴールを見つけることが難しかったから、今はブンデスリーガを最後のゴールにしようとしている。

 

●―まだ現役としてプレーは続けているけど、君たちの輝くようなキャリアの中でのターニングポイントはいつ、どの大会だったのだろう。

P 長いキャリアの中でのターニングポイントはいくつかあったと思う。なぜなら世界の卓球が大きく変わってきたからだ。この10年間にボールは大きくなり、カウント方式が変わり、グルーも禁止になった。そのたびに自分の卓球を発展させるために、モチベーションをかき立てられた。それもターニングポイントと言えるだろうね。80年代や90年代の卓球では今は戦えないのだから、その時代に合ったスタイルを作る必要があったし、自分のスタイルを変えなければいけない。

もちろん、86年のヨーロッパ選手権で優勝した時にはぼくはまだ19歳で、選手としては大きなターニングポイントだったね。次に91年の世界選手権(千葉)での優勝。それは特別な気持ちだった。その後に、厚い厚い中国の壁を感じたし、彼らは世界を席巻していた。そして2000年のクアラルンプールの世界選手権で、その中国を破ったことも大きな出来事だった。実現はしなかったけど、ヨーロッパと世界を制した後はオリンピックチャンピオンになりたかったね。

W やっぱり92年のバルセロナ五輪で優勝したことは大きなターニングポイントであり、成功と言えるだろう。もちろん89年世界選手権のシングルスと団体の優勝や、97年のマンチェスター大会も大きな勝利だった。