卓球王国 2025年4月21日 発売
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さようなら、熱血卓球オヤジ。渡辺勝男さんが天国へ旅立った

2017年、丸善卓球センターで最後の指導となった日の渡辺勝男

 

元丸善卓球センターコーチの渡辺勝男さんが3月15日に亡くなられた。81歳だった。東京や関東では有名なコーチで、小誌『卓球王国』では創刊間もない1999年8月発売の17号から連載『愛すべき熱血卓球オヤジ』の第1回を飾っている。その際の取材でも、相手が子どもたちやレディースの選手であっても容赦ない多球練習を行い、体育会的な雰囲気の指導には度肝を抜かれたことを記憶している。

小学生の頃から中学2年まで渡辺さんの指導を受け、その後指導者になってからも交流のあった新井卓将さん(丸子橋卓球スタジオ)は「熱血卓球オヤジ」についてこう語る。

「8歳の頃から6年間ほど丸善卓球クラブで指導を受けました。その後、自分がコーチをやるようになってからもお付き合いをしていました。渡辺先生は怖くて熱血漢で頑固な指導者というイメージを持たれていたと思いますが、実際には子どもたちは先生のことを怖いと思っていなかった。『頭を持って来い』と言われて、先生のところへ行き、頭を突き出すと、げんこつや頭を叩かれるんだけど、それがうれしいと思っていたんです。それは大人になってからも同じで、頭を叩かれたいから練習場に行く人もいました。実は、痛くやらないんです。ちょっとうれしそうに頭を叩かれる感じがあった。だから、それが怖いわけではなかった。まるでご利益があるような感じで、迫力はあるけれども痛くないげんこつでした。それにオヤジギャグも飛ばすし、優しい人というイメージしかないですね。

多球練習でも全身を使った球出しをし、それは誰も真似できない迫力があり、緊張感もありました。練習は多球練習とゲーム練習だけでした。私も丸子橋卓球スタジオで教えるようになってからも、日曜日に先生のところへ子どもたちを連れて練習に参加していましたが、丸善クラブとは別に『渡辺教室』があり、そこにはいろいろなクラブが練習に参加していました。丸善卓球クラブの後も八王子卓球スクールなどでお孫さんの指導をしていましたし、厳しいけれども優しい、本当に熱血指導の渡辺勝男先生が私たちは大好きでした」

日本の卓球界には渡辺さんのような熱い心を持った卓球指導者が多くいる。一人の熱血親父は天国へ旅立ったが、あの熱い卓球指導は多くの人の心の中に残っている。

 

*写真提供 新井卓将

体罰ではなく、生徒の方から渡辺さんのげんこつに向かって頭を突き出していく。痛くない、優しい渡辺さんの拳だった

 

丸善での最後の日に教え子たちも集まってきた

 

 

壁にびっしりと貼られた多球練習のメニュー

 

丸善卓球センターでの渡辺さん

 

丸善卓球センターでの最後の日、渡辺さんを囲む「卒業生」

▼卓球王国17号での「熱血卓球オヤジ」で登場した渡辺勝男さん