卓球王国 2021年10月21日 発売 vol.295
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水谷隼「日本でのんびりやっている選手に負けたくない」

<卓球王国2015年4月号より>

 

チャンピオンインタビュー

水谷隼

「日本でのんびりやっている選手に負けたくない。

ぼくは試合もたくさんしたいし、日本では満足できないから」

 

 

なぜこの男は勝ち続けるのか。

平坦な優勝への道のりではなかった。

水谷隼は敗戦の淵まで

追い込まれながらも最後は勝利の拳を突き上げた。

9年連続の決勝進出は小山ちれに並ぶ大記録だ。

王者としての不変の強さと進化していく強さ。

水谷隼は日本の頂点に立ち、見慣れた景色から何を語るのだろう。

 

聞き手=今野昇

写真=江藤義典&奈良武

 

 

優勝する自信はなかったし、

厳しいと思ってました。

組み合わせも厳しかった

 

(2015年1月)優勝を決めた瞬間、王者は静かだった。重圧から解放された安堵感を漂わせ、周りも勝ったことに驚きを見せない。それが水谷隼の7度目の優勝の風景だった。

全日本選手権で優勝を決めた2日後にはロシアリーグに旅立った水谷隼。これもプロフェッショナルとして当たり前にこなす。そして試合を終えて帰国直後に、彼の都内の自宅でインタビューは始まり、じっくりと話し込むことになった。

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●−−優勝から1週間経ちました。大会は長く感じましたか?

水谷 試合をしているのは4日間でしたが、2日終わって、今までなら次の日が最終日なのに、まだ半分かと思ったら(大会の途中では)すごく長く感じましたね。

ワールドツアーでもシード選手は金・土・日曜で終わりだけど、1週間というと世界選手権と同じだから、1週間を緊張感ある中で過ごすのは大変でした。

 

●−−大会前の調子としてはどうでした?

水谷 タイペイで招待試合があって、1月5日に帰ってきて、7日から練習を始めて、すぐに首を傷めた。むち打ち症みたいに首が動かなくなって、普通の姿勢で生活するのも痛かったんですよ。医者では捻挫みたいな感じと言われ、電気治療とかしただけで、練習は11日まで完全に休んで、何もできないからボーッとしてました。12日が大会の開会式で30分ほど練習しました。

 

●−−不安にならなかった?

水谷 いや、全然。練習しないことで不安にはならないけど、体を動かせないことは不安でした。食べて体も重くなるわけだから。12日は首は痛かったけど、がっつり筋トレはしたし、最初の試合の時にはかなり治っていました。初戦は龍崎(JOCエリートアカデミー)で相手も相当強いし、プラボールになった大会なので感触を確かめる感じでした。今回は優勝する自信はなかったし、厳しい↖と思ってました。組み合わせも厳しかった。森薗、吉村、岸川さんか健太……自分の体が保つかなという不安。だから全部4ー0で勝ちたかった。4ー2とか4ー3の試合をするときつい。だから4日間でそれだけの強い相手と連戦する自信があまりなかった。

 

●−−そして最初にして最大の難関だった5回戦の笠原戦(協和発酵キリン)を迎えます。

水谷 彼には負けないと思っていた。負けたこともないし、4ー0か4ー1かなと思っていた。(競り合った原因は)やっぱりボールですかね。

 

●−−笠原選手は試合後に、「水谷戦に照準を当てて、ジャンケンも考えていつもと違うボールを選び、勝ちを狙った」と語っていました。

水谷 笠原はタマスのボールしか使っていないと聞いていたのに、選球所に行ったら彼が事前に選んでいたのがニッタクだった。「あれ?」と思ったけど、「それじゃ、おれもニッタクで受けようか、そっちの土俵でやろうか」と考えましたが、契約もあるし、その度胸がなかった。だからぼくはタマスのボールを選びました。そして試合でコートに入ってジャンケンで彼が勝ち、ニッタクのボールでスタートした。

 

●−−でも大会前にニッタクのボールでも練習をしていたでしょ?

水谷 多少はしてました。

 

●−−ボールが普段のものと違うけど、1ゲーム目を取っている。ということはボールが合わないからスタートから悪かったようにも見えない。

水谷 笠原もニッタクでそんなには練習していないから、相手のほうが最初はボールに合っていなかったんですよ。1ゲーム目を取って、2ゲーム目も3ー1でリードして「ああ、余裕だな」と思って、「今後もニッタクのボールでやるかもしれないから様子を見るか」なんて考えていたら、ずるずるいっちゃいました。3ー1から(3ー7と逆転され)2ゲーム目を落とした。その時点であんな試合になるなんて考えていなかった。

3ゲーム目あたりから厳しいなと感じ始めてました。サービスが全然出せなかった。ナックルしか出せなかった。相手のフォア前のところにツーバウンドで入れていくサービスが切れば切るほど横に流れて、ワンバウンドで台から出て、それをレシーブで強打される。そのためにナックルサービスしか選択肢がなくなったから、ずっと同じサービスしか出していない。

それに1ゲームで5本ずつくらいラケットの角に当てていた。自分の中ではチャンスボールだと思って振っているのに、ラケットの角にしかボールが当たらない。角ばかりに当たって感覚がつかめない。4ゲーム目は5ー5から3本連続ネットインされて、「これはやばいな」と思いました。

 

●−−それで1ー3とゲームをリードされた時の心境は?

水谷 もうあきらめてました。もう無理だなと。ある意味、リードされていることをボールのせいにして開き直ってました。「負けてもいいや」と思う自分と「勝ちたい、もっと頑張れ」という自分が半々くらいあった。4ゲーム目を落としたけれども、後半良いプレーができていた。ベンチに戻り、「結構厳しいよ」と言ったら、コーチの邱(建新)さんに「今のプレーだったら勝てるよ、逆転できるよ」と言われました。

 

●−−5ゲーム目を11ー5で取り、6ゲーム目はジュースで取った。

水谷 6ゲーム目の10ー5でリードしていて、そこから次のゲームを見据えていろいろ考えていたらずるずるいかれた。10ー10の時に「ああ、やっちゃったな」という感じだった。何とか取れたのはたまたまですよ。

最終ゲームへ入る前に、「5、6ゲーム目のプレーでそのままやれば勝てるよ」と邱さんに言われたけど、自分としては勝てるかどうかわからなかった。ただ、相手も焦っているなと思っていた。最後のゲームは自分のネットインが2本くらいあってラッキーだなと思いました。10ー7でマッチポイントを取ったけど、チャンスボールが来たのにミスして「やばいな」と思ったし、ジュースになった時には「また、やっちゃった」と。

 

●−−過去の全日本でも負けそうな試合をひっくり返してきたけど、今回の笠原戦も相当に危なかった。

水谷 苦しかった分、終わった瞬間に、「この大会は優勝できるかも」と思ったし、周りにもそう言ってました。一回負けているようなものだから他の人よりもプレッシャーが取れるんですよ。