卓球王国 2024年12月20日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
インタビュー

「卓球を好きになって、ゆっくりでも強くなってくれれば良い」指導者生活30年、円山クラブの大家長・荻原正憲

 北海道札幌市にある札幌市立円山小学校を拠点に、40年近く活動を続ける円山クラブ。全国大会での入賞者、優勝者を輩出してきた歴史あるジュニアチームで30年以上にわたって監督を務めるのが荻原正憲だ。70歳を過ぎた今も変わらぬ情熱で子どもたちに向き合っている。

◆文:浅野敬純

 

●指導者生活30年以上。強くなるのは「小さい子の面倒を見ながら、自分も努力できる子」

 夕方になると、マンションが建ち並ぶ街の一角にある小学校へ、選手やその父兄が続々と集まってくる。この円山小学校の体育館こそが40年以上の歴史を誇る円山クラブのホームだ。今でこそ多数のジュニアチームが活動する札幌市だが、40年前には円山クラブを含め2、3チームしかなかった。円山クラブの監督を務める荻原正憲は「札幌のクラブでは、一番歴史は長いんじゃないかな。まあ、ただ古いだけかもしれないけど」と笑う。

 北海道で生まれ、国鉄札幌鉄道管理局(現・JR北海道)でもプレーしていた荻原が円山クラブの監督になったのは、同クラブに所属していた長男の典和が小学3年生の時。それから現在まで、30年以上にわたって小・中学生を指導し続けている。一時期は現役を退き、社業に専念するようになった協和発酵(現・協和キリン)の元選手たちが北海道支店へ転勤になった際、円山クラブの指導に携わってくれたこともあった。その中には元全日本チャンピオンで世界選手権にも出場した阿部勝幸、そして現在の女子日本代表監督である渡辺武弘もいた。

 円山クラブでは選手の父兄も練習に参加し、荻原の指導をサポートする。練習中の荻原の仕事は多球練習での球出しが中心。その間は卓球経験のある父兄が多球練習以外の選手のトレーナー役を務める。自分の子どもがクラブを卒業した後も、練習に駆けつけてくれる父兄もいるという。未就学児から中学生まで、幅広い年齢層の選手が一緒になって練習していることもあるだろうが、円山クラブの練習に流れる雰囲気は優しく、アットホームだ。

 「強くなるには勝ち気な部分があったほうが良いとは思います。でも、気が強くても、人をいじめたりするような子はダメです。そういう子には怒りますし、クラブにはいてほしくない。年齢が上の子が、下の子の面倒を見るのがクラブの良さ。そうやって面倒を見ながら、自分もしっかり努力できる子が強くなります。中には自分の練習そっちのけで下の子の面倒を見るような子もいますけど(笑)」

多球練習がクラブでの荻原の主な仕事。球出しで台にぶつけ続けてエッジが削れ、異様にコンパクトになったラケットが相棒だ

練習はシャドープレーなどのトレーニングからスタート

選手の父兄が練習をサポートする

 

●円山クラブから世界に羽ばたいた「雅己」。子どもたちは兄妹揃ってマスターズで日本一に

 数えきれないほどの選手を全国大会の舞台に導き、入賞者や優勝者も育ててきた荻原だが、その中で一番の出世頭は吉田雅己(木下グループ)だろう。吉田は円山クラブに在籍していた小学6年時に全日本カデット13歳以下で優勝。青森山田中・高に進学し、全中とインターハイでも頂点に立ち、2020・2021年の全日本では2年連続で3位に入賞。2015年世界選手権にも出場した。強くなるのは「面倒を見ながら、自分も努力できる子」と語る荻原だが、吉田はまさにそんな選手だったと振り返る。

 「雅己は周りにも気を配りながら、自分も必死に汗をかいて頑張れる子でした。強いだけじゃなくて優しさも持った、本当に素晴らしい人間だと思います。雅己が全日本の準決勝に行った時は、練習場にタブレット持ってきてみんなで応援していました。人のために一生懸命になれる人間だから、雅己は指導者になっても良い選手を育てるんじゃないかな。現役を引退しても、人から必要とされる存在だと思います」

 荻原に印象に残っている選手を聞くと、吉田の他にもう1人の名前があがった。その選手は昨年度まで協和キリンでプレーしていた後藤卓也。吉田と同級生で、円山クラブ在籍時には全日本バンビとカブを制覇し、クラブに初めての全国タイトルをもたらした。その後、後藤はクラブを離れることとなったが「日本代表になれるだけのものはあったんじゃないかな。指導者としてもう少し見てみたかったのが正直なところ」と、その才能を評価していた。

吉田雅己は円山クラブ在籍時にカデット13歳以下で頂点に

 

 これまで指導してきた選手の中には長男の典和、長女の直子もいる。2人とも高校や大学進学で北海道を離れたが、社会人になると故郷へ戻り、荻原と同じJR北海道に入社。日本リーグでプレーした。さらに兄妹揃って全日本マスターズ・サーティで日本一に輝き、30代となっても全日本一般に出場を続けるなど、バリバリの現役選手として活躍中。典和と直子への指導を「毎日練習だったし、かなり厳しいことも言った」と振り返る荻原だが、2人の活躍には目を細める。

 「自分の子どもだけど、2人ともマスターズで日本一になって、全日本にも出続けているのは本当にすごいと思う。それに、典和は(全日本選手権予選を兼ねた)北海道選手権でも37歳で優勝して最年長記録を作ったし、直子は今も長野の国体代表。何より卓球が好きなんだろうね。

 典和は卓球のセンスもあって、小さい頃から『全国でも勝てるんじゃないか』と思っていた(全日本カブ・ホープス、全中でベスト8)。根性も並大抵じゃないものがあるし、それが今も選手でやれている要因じゃないですか。ただ、直子はちょっと鈍臭かったかな(笑)。それでも全中でベスト8に入るまでになった。道外の高校からも声をかけてもらったけど、北海道に残って地元の高校(札幌星園)でインターハイで3位に入るまでになったんだから、大したものだと思います」

長男の典和は仙台育英高から大正大へ進み、JR北海道でプレー。現在はVICTASに勤務

長女の直子は札幌星園高から東京富士大を経て、JR北海道へ

 

●親子三代で過ごす円山クラブでの日々。「息子や娘」のような卒業生たち

 現在は典和も円山クラブで指導にあたり、典和の長男・大和と次男・大知も選手として所属。親子三代揃って円山クラブで日々を過ごす。典和の指導については「自分もプレーしながら、小さい子どもたちを教えたいそうです。根っからの指導者というタイプではないけど、卓球が好きですからね。良いことだと思います」と語り、「典和が教えてくれるから、最近は孫の面倒見が私の仕事」とのこと。直子曰く、荻原は「ただの卓球好きのおっちゃん」とのことだが、荻原も、典和と直子も、そして大和と大知も卓球に夢中だ。荻原と典和、直子は親子揃ってJR北海道でプレーしたが、意外にも親子二代でプレーしたケースは多いという。いつか、大和と大知もJR北海道のユニフォームに袖を通し、親子三代で所属することになる日が来るかもしれない。

典和の長男・大和

典和の次男・大知

 

 「指導者だなんてたいそうなもんじゃないけど」と謙遜しながらも、30年以上にわたって指導を続けてきた荻原。そこで感じる楽しさややりがい、うれしさは何年経っても変わらない。

 「子どもたちに言うのは、『卓球を始めて1年目はどんな大会でもいいからまず1勝して、2年目は全道大会に出て1勝して、3年目には全国に行こう』ということ。これが最短だと思っています。でもまずは卓球を好きになってくれること。そこからゆっくりでも強くなっていってくれれば良い。やっぱり、初心者の時から卓球を教えて、そこから勝てるようになっていく過程を見られるのはうれしいし、楽しいんですよ。

 あとは卒業生が顔を出してくれたり、指導者になってくれるのもうれしいですね。北海道を離れて暮らしている卒業生たちのことも気になるし、ここ(円山クラブ)で一緒に過ごしたみんなが、自分の息子や娘みたいな感覚になっているんです」

 そう言って顔をほころばせる円山クラブという大家族の長は、今日も子どもたちの成長を優しく見守る。

(文中敬称略)

 

【PROFILE】

荻原正憲(おぎはら・まさのり)

1948年2月13日生まれ。北海道出身。国鉄札幌鉄道管理局(現・JR北海道)で選手としてプレーした後、円山クラブの監督として30年以上にわたって小・中学生を指導。数多くの全国大会出場者を輩出。指導した選手の中には2015年世界選手権日本代表の吉田雅己ら、全国での入賞者・優勝者も多数。

関連する記事