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馬龍「戦いの場から逃げるくらいなら、 自分のことを信じよう」

 

<卓球王国2015年8月号より>

馬龍 十年目の飛躍

Ma Long, A Jump after 10 years

 

ぼくは本気で

世界チャンピオンになりたかった。

その思いがこれまでにないほど強かった

 

世界選手権蘇州大会で、悲願の男子シングルス初優勝。

ライバルの許昕や張継科が敗れる中、「重戦車」馬龍は一気にタイトルへ突き進んだ。

頂点へのわずかな差を詰め切れなかった男の何が変わったのか。何が進化したのか。

優勝直後の思いを告白する。

 

「蘇州大会では、どれくらいチャンピオンになりたいと思っていたの?」。私は馬龍にそう尋ねてみた。「それはもう、すごくなりたいと思っていたよ」。わざと落ち着きはらってそう答えた後、馬龍は笑い出した。毎日、世界チャンピオンになることばかり考えていたのだと、その笑顔が教えてくれた。

蘇州大会前の集合訓練の期間中、馬龍の様子は普段と少し違っていた。ハッキリ現れた目の下のくまは、練習での疲労がたまり、あまりよく眠れていないことを物語っていたが、取材に訪れた記者にはむしろ笑顔で接していた。それまでの、わき目もふらずにひたすら練習する馬龍ではなかった。

取材を受ける時も彼は冷静だった。「その日によって気分が変わるんだ。気持ち良く練習ができて、世界選手権に向けて期待がふくらむ日もあれば、調子が悪くて、世界選手権までの日にちを数えて怖さを感じる日もある」。自分の心理状態を冷静に見つめていた馬龍。ひょっとしたらこれが、彼の成功への第一歩だったのかもしれない。

 

 

●–蘇州大会は、これまでの世界選手権と何か違いを感じましたか?

馬龍(以下:馬) 心理的には、やはりちょっと違いがあったと思う。……冷静さと落ち着きかな? いや、それは今までもずっとあった。今回違っていたのは、たぶんポジティブな考え方と、絶対に優勝するんだという信念だ。

男子シングルスで優勝したいなら、それは決して順風満帆な道のりではないことはよくわかっていた。ぼくはもともと団体戦でプレーするほうが慣れているし、ダブルスや団体戦でプレーするのが好き。誰かがそばにいて助けてくれる感覚があるからね。でもシングルスのコートで自分ひとりになり、頼れるものがなくなった時、自分のパフォーマンスが明らかに低下してしまう。これは自分でもよくわかっていた。

蘇州大会でのプレッシャーはとても大きかったよ。これだけ多くの世界選手権に出場してきて、絶対にこれまでの記録を塗り替えたかった。世界選手権に出るたび、周囲からもすごく期待されていたしね。

でも今大会が今までと違ったのは、物事をポジティブな方向に考えられたこと。たとえば、蘇州はぼくにとって「福地(縁起の良い場所)」だと言う人がいた。確かに09・11・13年と、蘇州で行われた中国オープンでは全部優勝している。「それなら今回も優勝できるだろう」とぼくは自分にポジティブな暗示をかけていった。自分が過度に焦ったり、恐れを抱いたりしないようにね。

正直に言おう、今回は本当にタイトルがほしかったんだ。たくさんの友だちがぼくのプレッシャーをやわらげようとしてくれたし、「優勝できなかったらどうだっていうんだ、それでも君は馬龍だよ」と言ってくれる人もいたけど、ぼくはそうは思わなかった。もし、ぼくが20歳だったら、あるいは40歳だったら、世界選手権で優勝しても自分に大した影響はないと考えたかもしれない。でも今、ぼくは本気で世界チャンピオンになりたかった。その思いがこれまでにないほど強かった。だから今大会では、本当に苦しい場面でも、粘り強く戦うことができたんだ。

 

●–試合でどのような困難に遭遇した時、チャンピオンになりたいという信念の強さを感じることができましたか?

 この大会は精神的な負担もすごく大きかった。中国で行われる大会で、テレビで生中継されるし、普段はあまり連絡を取らないような友だちからも「大会前の調整はうまくいっている?」とか、そんなメールが来たよ。

それに「科龍大戦(張継科と馬龍の決戦)」を期待する人もとても多かったけど、ぼくと継科は同列にはできない。これまでの成績から言えば、大きな開きがある。だから「科龍」とひとくくりにされているのを見ると、コンプレックスを感じてしまう時もある。

優勝への思いが強いぶん、最初のほうのラウンドではすぐプレッシャーを感じていた。自分のほうが実力的に上だから、余計なリスクは負いたくないと思っていたのかもしれない。「相手をうまくだまして、ミスを誘って勝てれば十分だ」「もっと後のラウンドになってから頑張ればいいだろう」。そういう考え方が、2回戦のルベッソン(フランス)との試合をとても苦しいものにしてしまった。

試合が始まる前、全然プレッシャーは感じなかったんだ。まるで世界選手権ではないみたいに。前日の男子ダブルスで負けていたのも関係していたのかもしれないけど、ぼくは「試合をどうでもいいと思っているんじゃないだろうな?」「どうして緊張しないんだ?」と自分自身に問いかけていた。

本当に、試合前に余計なことをしてしまったと感じたよ。試合が始まってみると、やっぱり良いプレーができず、すごく苦しかった。第1ゲームは1︱4でリードされたし、ゲームカウント2︱0にした後も第3ゲームを取り返されて、第4ゲームは5︱8で負けていた。しつこく、粘り強く戦わないと勝てないと感じた。

そんな苦しい時に、自分の心の中で声がしたんだ。自分を助けられるのは自分だけだと。そこからは、みっともないプレーもあったけど、最後まで持ちこたえることができた。自滅してしまうことはなかった。

 

 

●–2回戦がすっきりしない試合になって、心理的な影響はなかった?

 2回戦で心理的な問題にぶつかって、試合には勝ったけど本当に厳しいなと感じた。つらかったね。ルベッソンとの試合中、自分だけでなく、劉国梁監督も少し緊張しているのを感じたし、どうにも試合をコントロールできない感じだった。

試合の後、劉監督から「自分の力を出し切らないとダメだ」と長く注意を受けた。自分本来のプレーを見せられてこそ、観客の声援を集め、チャンピオンになることができる。その場しのぎのまとまりのないプレーをしていると、結局優勝することはできないのだと。

ぼくも反省したよ。ルベッソンとの試合は体に力が入らず、ただ得点を拾っていくだけだった。だから試合の後、練習場に行って多球練習をやったんだ。本来の感覚を取り戻したかったから。

 

●–(4回戦の)朱世爀(韓国)戦の前、劉国梁監督とずっと話をしていましたね。試合前にかなり対策を立てたのですか?

 その前にカットのギオニス(ギリシャ)とやった時は、「千人の敵を破って八百↖人の兵を失う」ようなプレーになってしまった。劉監督がぼくに求めたのは、ただ試合に勝つだけでなく、自分の消耗も防ぐようなプレーだ。確かにぼくはカットマンとやる時は、我慢して粘り強く戦うので、自分もかなり消耗が激しくなる。昔はカットマンと試合をした次の日は、いつも腕に影響が出ていた。

だから劉監督からは、カットとやる時はそんなにがむしゃらに打つな、カットマンの〝天敵〟になるようなプレーをしろと言われた。カットの天敵といえば、よく↖許昕がそう言われている。彼のカット打ちはとてもレベルが高いし、カットに当たったら、それは次のラウンドへの進出が約束されているようなものだ。ぼくはまだそんな感覚を味わったことはない。

決勝トーナメントのドローの後、ぼくは秦志戩コーチに「カットマンとふたり続けてやるなんて、本当にキツイね」と言った。今大会、ぼくは絶対に勝てるだろうと感じた試合は1試合もなかった。10球以上打たなければ得点できないラリーも何度もあったよ。

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