<インタビュー後編>
聞き手:今野昇
[いまむら・たいせい]
1957年生まれ、富山県出身。1982年にタマスに入社し、84年、27歳の時に駐在員としてドイツの現地法人TBE(タマス・バタフライ・ヨーロッパ)に赴任。以来、ドイツに在住。TBEの社長を経て、今年6月末に退職した。50人以上の日本選手がお世話になった
・・・・・・・・・・・・・・・
●ー以前、ESN(世界最大のラバーサプライヤー)のゲオルグ・二クラス前社長(「ドニック」の創始者)に聞いた話があります。「タマスにあって、うちにないものはタイセイだ。タイセイのネットワークは素晴らしい」と賞賛してました。今村さんは選手、クラブ、協会とのパイプがすごいと。
今村 直接彼からそんな話は聞いたことはないんですけど、ゲオルグも「オクセンハウゼン」に「マスターカレッジ」(LMC)を作って選手育成をやったり、子どもたちを発掘・育成する「コンパス」を作ったりしてましたね。ああいうことをやろうとするビジネスマンはいないですね。
あの会社はメーカーじゃないので、広告宣伝のためではなく、卓球界に貢献しようとしてるんだなと感じています。ああいうプロジェクトはゲオルグがやりたいことだったんだなと。彼の会社とバタフライでは立場が違うし、彼は全部自分で会社を作ってスタートした人間ですからね。
●ーゲオルグはヨーロッパの低迷を心配していたんだと思いますね。ヨーロッパが強くない卓球界では面白くないし、競技として衰退するという危惧を抱いている。ぼくが1986年に初めてヨーロッパ選手権プラハ大会を取材した頃はヨーロッパがキラキラ輝いていて、ヨーロッパの試合は最高に楽しかった。今村さんはまさにそういう時期にドイツに行ったんですね。東欧はまだ強くてステートアマの時代でしたね。
1989年にベルリンの壁崩壊で、1991年にソ連邦が解体したりとか、スポーツも政治の中で翻弄され、その頃からヨーロッパの卓球が弱体化していきますね。今村さんから見て、なぜヨーロッパは地盤沈下していったんでしょう。
今村 ぼくがドイツに来た頃はハンガリーのヨニエル、ゲルゲリー、クランパがぼちぼち引退かなという頃でした。東欧の選手はみんなステートアマでしたが、我々にとって大きく変わったのは契約関係ですね。当時のタマスはソ連、チェコスロバキア、ユーゴスラビアとか、ブルガリアとルーマニア以外のすべての東欧の国と契約していたんですよ。東欧の国は原則個人契約は禁止で、協会と契約したらその協会の代表選手はラバーもラケットも使わなければいけないという契約でした。それぞれの協会との契約はウエアだけでなく、ラバー、ラケット込みです。中にはラケットはいらないと言われた協会もありましたけど(笑)。
1989年から1992年の間に東欧の国もバラバラになっていきましたね。
●ー当時、契約の話し合いも大変だったでしょうね?
今村 たとえば、ユーゴスラビアが分離していて、クロアチア、スロベニア、ボスニア・ヘルツェゴビナと次々分かれていくんだけど、それぞれの協会とは西側スタイルの契約になっていくんですよ。それに個人でキープしたい選手に「個人契約してくれ」と言われる。突然、ナショナルチームの数が増え、チェコスロバキアがチェコとスロバキアに分かれて、同じ契約をダブルでやるとかね。
●ーお金は相当かかったんですね。
今村 「新しく協会を作ったのでよろしくお願いします」と言われて、「君の協会は弱いから無理」とは言えないですよ(笑)。それまでの関係性もあるしね。旧ユーゴスラビアが分かれた時に、クロアチアの協会は「頼む」と来たけど、スロベニアは何も来なかったり、ボスニア・ヘルツェゴビナも来たんだけど、ここに卓球選手がいたのかなという場所だったりとかね。
解体してみたら、ソ連にはウクライナとベラルーシがあったんだなとかもわかりました(笑)。それまでソ連がどう構成されているのかもわかっていなかった。国の援助があった時にはみんな強かった。当時、スポーツ選手は国外に出られるし、生活の保障もあった。とはいえ、勝ってナンボの世界だったようです。
●ー東欧の自由化、ソ連の解体後に、卓球選手たちは西ヨーロッパになだれ込んでいくわけですね。
今村 国の援助もなくなり、生活できないから西へ西へと動いていきます。
●ー国としての強化がなくなり、東欧の選手のレベルも低下するんですね。
今村 そうですね。東欧の卓球クラブも片っ端からつぶれて数が減り、卓球人口も減っていきました。ここ最近、また頑張ってみようかという流れになってきましたね。
●ーブンデスリーガの状況はどうなんでしょう。
今村 今はブンデスリーガだけじゃなくて、フランスリーグやポーランドリーグに行けば結構稼げますけど、ここでダメだったら、イタリア、スペイン、ポルトガルとかレベルは少し落ちるけど行くし、もっと稼ぎたい選手は2カ国のリーグとか、3カ国、4カ国を掛け持ちしてプレーしている選手もいます。各リーグで50万円ずつもらって、全部合わせて200万円で、卓球ジプシーのような生活をしている選手もいます。
●ー2018年に日本で松下浩二が創設するTリーグが生まれますけど、ヨーロッパではどのように映っていたんでしょう?
今村 新しいリーグに対してドイツでも興味を持っていたし、「どうしたら日本でプレーできるんだろう」と結構な数の選手が聞いてきましたね。リーグが始まって、これからどんどんとチームが増えるのかなと思ったらそうでもないですね。コロナもあったけど、チームが増えないと選手も行けないですね。
●ー日本は学校スポーツ、実業団、クラブスポーツ、プロのチームが混在していて、ヨーロッパはクラブスポーツだけです。どちらかが良いということはないけれど、今村さんから見て日本はどうですか?
今村 ヨーロッパでのスポーツの位置づけは日本のような学校教育の延長ではないですね。医療と結びついてスポーツが行われたり、ドイツやオーストリアは国防省のようなセクションと結びついていて、選手の中には軍隊の所属の人がいます。ヨーロッパのピラミッド型のシステムはもともと国が作ったもので、ドイツは戦後のゴールデンプランで今の形を作りましたね。
●ー8月、9月から始まるヨーロッパのシーズンから日本男子は10数名がヨーロッパでプレーします。Tリーグができてからは日本選手はあまりヨーロッパに行かないようになってました。Tリーグは出場給の選手が多いので、試合に出ないとプロとしては難しい。それに、ドイツの練習環境が良いのでドイツに向かう選手が多い。名電高のように経験として練習、試合をドイツでやらせる場合もあります。ここに来て「ヨーロッパ回帰」のような状態です。
今村 アジアの選手がヨーロッパでやるのを見ていて、「間に合うのかなどうかな」と考えることがあります。プロとしてやれる期間という意味です。
ヨーロッパの選手は職業として考えているので、めぼしい選手というのは生活のためにリーグでプレーするし、スポーツ選手としてできるだけ強くなりたいからやるわけです。
アジアの国のレベルは高いし、日本で代表になるのはものすごく大変じゃないですか。だから職業として卓球選手をやるのに、20歳を過ぎてヨーロッパでプレーをすることが間に合うのかなと思います。1年、2年で本当に稼げる選手になれるのかなと。
経験としてはもちろん良いと思うし、ヨーロッパで3年くらいやるのは絶対に良いと思うけど、卓球の技術で考えると間に合うのかな。ヨーロッパの選手はのんびりやりますから、20代なかばで芽が出ればいいかなくらいに考えている。
●ー職業として考えているかどうかは別にしても、日本は相当早い年齢から本格的に練習をしますね。ヨーロッパとは違う。「ジュニアでダメだったら将来難しい」となります。
今村 こっちの人が日本の選手を見るとみんなびっくりします。小さいのにこんなことができるんだ、あとは体が大きくなるだけだなと。ある意味、卓球って不公平なスポーツだなと思います。生まれた国や環境によって全然違うわけだから。中国で100番の選手でも他の国に行けばトップになれたりする。出場の制限があるけど、もしテニスのようなツアーのシステムだったら、世界は中国選手だらけになったでしょうね。
●ー経験としてヨーロッパに行く選手と、ヨーロッパで小さい頃からプレーする選手は卓球への姿勢や考え方が違うんですね。
今村 そうですね。日本選手は選手としてダメだったらコーチになろうとか、全く別の仕事をしようと考える人がいるけど、ヨーロッパでは職業としてできるだけ長くプレーしたいと選手は考えています。
●ー日本ではプロ選手が一線を退いて、プロコーチとして卓球場をやるケースも増えています。ヨーロッパには個人の卓球場というのはないですよね?
今村 個人ではなく、大きいのはあります。最近の話ではドデアン(ルーマニア)とモンテイロ(ポルトガル)がルーマニアに大きな卓球場を作りました。試合会場のような大きさです。「ダニアン・ドデアンアカデミー」という名前でした。
ツイート